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あなたの宗教は、あなた自身

宗教の解釈

日本は無宗教の国として、世界的にも稀な国です。世界には様々な宗教があり、カトリックやイスラム、キリストなど本当に多種多様。日本にももちろん仏教とかはあるけども、そこまで意識してる人って多くないのかなって思う。というより、新興宗教に関する事件とかが多いから、宗教っていうものがどこか不気味で怖いといったイメージが強いと思う。僕もその一人。そもそも宗教というのは何のためにあるのかというと、人の道を示す道しるべ、共通認識の正義、団結のためのきっかけなど様々。個人的な感想にはなるけれど、宗教とは「心の弱さを和らげてくれるもの」だと思っている。


道に迷ったり、どうすればいいかわからなくなったりしたとき、人は誰だって誰かに、何かに助けてほしいもの。その対象が宗教であり、自分が自分が歩く道を示してくれるものであると。だから、宗教はある種、占いと同じようなモノなのかなと思うこともある。人間は窮地に追いやられたとき、自身で自身の行動を決めることが困難になる。だから、無条件に信じることができる対象が欲しい。それが、宗教や占いである。だから、第三者からすれば明らかに常軌を逸した行動を、宗教の名のもとに行ったりする。地下鉄サリン事件などはまさにその典型だと思う。


しかし、ここで宗教や占いに関する解釈を改めたい。もし信仰している宗教の教えが人道に反するものであって、自身はそれを信じているわけだから執行した。結果犯罪だったので捕まった。これは、宗教の教祖が責任をとってくれるんでしょうか?当然ながら、とってくれない。自己責任。もし占いで明日〇〇へ行けば、きっといいことがると言われていった結果事故にあって、入院することになったら、その占い師が費用を負担してくれるんでしょうか?もちろんしてくれない。それも自己責任。つまり何が言いたいかというと、信用させはするけど責任は取ってくれないんです。そんな無責任なモノを、どうやれば骨身で信用できるんでしょうかね。


ある意味、今の社会も巨大な宗教のようなものです。残業することが正義であり、過労死が増え、パワハラは一向に減らない。でもそれに異を唱える人は少なく、皆それが当たり前になってしまっている。これはまさしく、「宗教」と同じ構図ではないかと思う。だから、社会に入り浸ることは非常に危険で、正常な判断を下すことができなくなる。



あなたの宗教はあなたでないといけない

では何を信じて生きていけばいいかなんてことに悩む人は多いんですが、それは簡単。あなたがあなたの行動を信じればいいんです。つまり、あなたが信仰すべき宗教は、あなた自身なんです。自分が主となる物事は、全て自分の意思100%純度で決定する。他者の意見やアドバイスを聞くことはもちろん大切だけども、それよりも大切なのは自分の意思で決めること。他人の意思や判断で決定してしまうと、失敗したときに逃げ道を作ってしまう。「これは自分の判断ではない」「あの人のいう事がまちがっていただけ」という具合に。でもこの言い訳や逃げ道には何の意味も生産性もなく、ただ都合のいい解釈をしているだけ。


自分の意思で決めて、自分で行動したことは、失敗しても意外と気にならない。そもそもそれを失敗と捉えることが少なく、「あーこの方法だとうまくいかないのか」程度に感じる。そして違う方法を試行錯誤し、結果的に形になる。物事のなるゆきなんてこんなもん。失敗したと感じるのは、自分で決めていないから。自分で行動していないから。それだけ。だから、あなたはあなたの判断と意思と行動を信じてあげてほしい。



あんたの宗教は、ほかでもないあなた。

沖縄おいで~