be thereにたどり着くまで
「これはとんでもないツアーが始まった…!!」と思うのも、もう何度目でしょうか。
ツアーを経るごとに驚きがあり 最高を更新してくる、それがもうずっと続いているのが BUMP OF CHICKEN というバンドです。
このままではどんどん強くなりすぎて最終的に超サイヤ人に…(ならない)
これは、先日ファイナルを迎えたBUMP OF CHICKEN TOUR 2023 be thereとはどんなツアーだったのか、側で見てきたいちリスナーとして私なりにまとめた文章です。
BUMPとリスナーとの距離
be there 何がどうすごかったの?という問いに対する私の答えはまたしても「距離」です。
前回のツアー aurora ark が終わった頃に私は「BUMPとリスナーとの距離が圧倒的に近くなった」と書きました。
今回のツアー be there は言うならばもう「ゼロ距離」です。
リスナーの心の真ん中にBUMPがいるような感覚。距離が近い、とかではなく、もういるのです、ここに。
(あれっ、これってツアータイトル"be there"…?!)
前回「BUMPとリスナーが両想いになった」とも書きましたが、こちらリスナー側がもうどれだけ好きですと言っても足りないくらいの愛になっています。
言葉を尽くして、パフォーマンスを尽くして、ステージからそれを伝えてくれます。これが過言と思いきや過言ではないのです。
それからライブの一曲目はセンターステージから始まり、その後もセンターステージでけっこうな曲数を演奏してくれて、物理的な距離も今までよりまたぐっと近かったです。
ここに至るまでに何があって"be there"ができあがったのか?
ふり返りながら紐解いてみたいと思います。
コロナ禍を経て
2020年に突如として世界を変えてしまったコロナ禍。日常生活が制限され、世の音楽活動も制限される日々が続きました。
藤原さんは、緊急事態宣言下で「衣食住」に音楽が含まれないことを実感する中、ツアー aurora arkで会ったリスナーの数々を思い浮かべ、「曲を聴いてくれる人の存在」がより強まったと話しています。
またお客さんを前にライブできる日を迎えたことで、自分たちが音楽ができる場があること、音楽を聴いてくれる人がいることは当たり前ではない、という思いも一層強くなったのではないかと思います。
少し話がそれますが、会場中が感動したロッキンのMCを。
いち音楽ファンとしてもこのときの「ここまできたんだ…!」という思いが溢れたみんなの拍手は忘れられません。
Silver Jubileeを迎えて
バンドは25周年を迎え、少し遅れて幕張メッセでの約2年8ヶ月ぶりの有観客ライブを皮切りに、ライブハウスを巡る周年ツアーが行われました。
ここでは、活動を続ける中でいろんな選択をしてきて、その度にいろんな声が届いて、だけど自分たちが今までやってきたことは絶対に間違ってなかったと思えるようになった、と藤原さんは話していました。
バンドを続ける中で大きな覚悟やたくさんの期待を背負ってきたであろうことを想像しますが、それを以てなお「看板に誇りを持っている」と藤原さんは明言しました。
これまでその看板を支えにさせてもらってきたリスナーとしても、この言葉は本当にありがたく、嬉しかったです。
音楽を聴いてくれるリスナーへの信頼だけでなく、度々迷いながらも音楽を続けてきた自分たちへの確かな信頼も生まれた数年間だったのではないかと感じています。
提げないツアー be there が始まって
ツアー Silver Jubilee が終わってほどなく、何も提げないツアー be there が始まります。
セットリストに様々な時期の曲をバランスよく組み込んだり、イントロが鳴ると思わず声を上げてしまうようなレア曲だったり、提げないからこそのセトリが用意されていました。
また、マスクをしていれば声を出していいという、久しぶりの声出しOKのライブでした。
センターステージでのパフォーマンスだったり、コールアンドレスポンスだったり、近くで声をだして熱量を分かち合える喜びをかみしめました。
"be there"の意味が分かるとき
「be thereって素敵な響きだ…!」くらいに感じていたこのツアータイトルが本領を発揮するのは、NHK 18祭が放送され、新曲『窓の中から』が披露され、キービジュアルが公開されたツアー半ばのことでした。
18祭では18歳世代が「自分のこと」をテーマに応募動画をつくり、それを受けたBUMPが新曲を書き下ろして、最後に会場でいっしょにパフォーマンスするというものでした。
そこで生まれた新曲『窓の中から』について、18祭の番組内で藤原さんが「心の不可侵領域から世界を覗く窓」という表現をされていました。
はじめは心のなかで一人だけでひっそりと歌い
窓の中から世界を眺めているだけだったのが
窓を通してだんだん世界が広がっていき
最後には心も解き放たれ 出会ったお互いを称え合う
歌詞もサウンドもコーラスもそんな展開が見事で、会場で大きな声で歌うと人生を肯定してもらえるような気持ちになりました。
曲の配信開始とあわせるように公開されたツアーのキービジュアルは、窓から宇宙をみながら宇宙船を操縦する宇宙飛行士が描かれていました。
操縦席から宇宙をみるその光景に『窓の中から』を思い出せずにはいられませんでした。
アプリ"be there"がもたらすもの
さらにツアーファイナル終了と同時に、アプリ"be there"がローンチされました。
なんと be there の概念はツアーにとどまらず、アプリに繋がって私たちの生活の側にいてくれるのです。
聴いてくれる人がいることへの心からの感謝、どうにかして聴いてくれる人の側にいたいという想いを藤原さんはMCで繰り返し伝えてくれていましたが、その究極系がこのアプリなのでした。
このアプリを開けばいつでもBUMPの曲が流れていて、集っている一人ぼっちたちがいて、ニコルにも会える。いつでも本当の自分を思い出せる新しい居場所ができたことに、とても安心する気持ちになりました。
かつて「いくら曲に勇気をもらっても闘うときは自分一人だ」と日々怖くて仕方なかった私のような人にとって、何よりも頼もしいお守りです。
今まで「味方だよ」「側にいるよ」と言ってくれていた曲たち、あるいはBUMP OF CHICKENという概念が「ここにいるよ」と示してくれる。
そんなアプリだと私は思います。
今思い返すと、コロナ禍のことを語ったインタビューで藤原さんが「リスナーと話したかった」と話していたのですが、まさにこのアプリこそがバンドとリスナーとが「話す」ことのできる場にこれからなるのではないだろうか…!?と考えています。
BUMPにとってライブとは
ツアー be there ファイナルのアンコールのMCで、藤原さんは『BUMP OF CHICKENにとってライブとは?』というまぁよくあるという質問の答えが、27年間やってきてようやく分かったと話していました。
「○○にとってXXとは?」という、密着ドキュメンタリーの最後を締めくくるような、最も抽象的で最も核心に迫る質問。
その答えが「僕らの音楽を受け止めてくれた人に会うための場所」でした。
『窓の中から』の歌詞にあるように、言葉でなくてもいいからもっと話すということ。声を重ねるということ。
かつて藤原さんにとってライブとは、存在証明の手段でもあり、もっとヒリヒリと張り詰めたものであったかもしれません。
それでも今このような答えにたどり着いたのは、今までの一曲一曲のリリースや 一公演一公演があって、誰かの声が一つずつまた一つずつ確実に届いて、それが積み重なって、そうやってできたものだと思います。
今までのバンドとリスナーの歩みのたどり着いた先にあったのが "be there" という概念だったんだな、という結論に私は至りました。
そしてこれから
アプリ"be there" はリスナーの自作ショート動画やインタビューの質問も募集するようだったので、アプリを介してメンバーとリスナーの交流もできちゃうのではとわくわくしています。
他にもどんなコンテンツが登場するのか少し不安な気持ちもありますが、BUMP OF CHICKENは今までもこうやって新しいことを始めてきたし、変わらないまま変わっていくBUMP OF CHICKENが私は大好きなので、やっぱり楽しみに待っています。
きっとこれから先 "be there"が連れてきてくれるもっともっと愛おしい未来を想像しながら、今日もアプリを開くのでした。
(ニコル本当にすっごくかわいいね)
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