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ミルクティーの苦い味

集合の時間に遅れそうになっていたある日、急ぎ足で目的地まで向かっている途中に外国人と思われる方が、道に迷った様子でうろうろしていた。

正直とても気になっていたけれど、急がなければ時間に間に合わない。しかも自分に話しかけてきたわけではなく、こちらが一方的に気づいている状況で、向こうはこちらのことなど気にもしていない。

なら今回は仕方ない、申し訳ない。と急ぐ足を進めようとしたその時、手に持っているミルクティーと同じような明るいベージュの髪を揺らした女性が自ら声をかけ、話しかけて道を案内し始める。

その瞬間、己の二つの未熟さをひどく悔いた。一つ目は自分よりも若そうな女性が、自ら率先して迷っている人に声をかけていたのに、女性よりも先に気が付いた自分は忙しさを理由にして見て見ぬふりをしようとしたこと。

そしてもう一つはどうせ急いでいなくても、自分から話しかけることはなかったと気づいてしまったことだ。時間に余裕があって自分から気づいた状況だったとして、あの女性のような対応ができただろうか。結局何か言い訳して理由をつけて見て見ぬふりをしたのではないか。

そう自覚した瞬間に自分がものすごく恥ずかしくなった。そういう咄嗟の判断で、個人の人間性が出てくる。社交的になってきたと思い込んでいた錯覚が、みるみる剝がされていく感覚に陥った。何かを言い訳にして見ようとせずに蓋をするような人間性を持ち合わせていたことを遺憾に思った。

これが大学4年生で就活生だった時の話。結局その光景を遠くから見て立ち止まったことで、予定の電車には乗れず、面接の開始時間にも間に合わなかった。でも良い勉強代になったと思っているから、後悔はまったくしていない。

先日、久しぶりに外国人の方に道を聞かれるという状況に遭遇して、その日のことを思い出した。高円寺だったこともあり、案内はすぐに終わったけれど、少しでもあの時の女性のようになれたらいいと今でも心から思った。名前も顔も分からない、知っていることは当時の髪色とミルクティーを飲んでいたことぐらいしかないけど、あの女性のことはずっと尊敬している。


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