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勝ちは偶然、負けは必然

 1.あらすじ

 皆さんは何か真剣勝負をしたことがあるだろうか。ほとんどの人がyesと答えてくれるだろう。yesと答えた人達は99.9%負けた経験もあるだろう。では、負けた理由を考えたことがあるだろうか。

 勝負というものはその度合いはものによるにしても運の介入は避けられない。じゃんけんというのは運が占める割合が高い勝負と言えるだろう。そういった勝負についてはタイトルの「勝ちは偶然、負けは必然」は当てはまらないかもしれない。一方でスポーツのリーグ戦のように運が占める割合が低い勝負にはそう考えた方が都合が良い。

 このようなタイトルを立ててながらだが、もちろん必然の勝ちもあるだろう。スポーツ選手と会社員がそのスポーツ選手の領分であるスポーツで戦おうものなら、ほぼ無謀だと思えるだろう。そういった背景もあってか、勝ちには達成感や優越感などプラスな心情が得られる。得られてしまうのである。

 例えば、バスケットボールの1on1で、身長が180cmの方と身長が160cmの方が勝負し、前者が勝ったとする。バスケットボールというのは基本的に空中にゴールがある影響で背が高いほうが有利なスポーツとされている。そのため、この与えられた情報では前者が勝つというこの結果は必然に思えるだろう。しかし、バスケットボールの能力が後者のほうが高いという情報があればどうだろう。途端に勝ったのは偶然だったのかと思ってしまうのが自然だろう。

 勝負というものは本来こういうものなのである。たった1回きりではその勝負においてそれぞれの勝つ確率をなんとなく経験で判断できてしまう。そして、優勢が勝てば必然だ、劣勢が勝てば偶然だと考えてしまうものなのである。この思考の流れに抗う必要がある。

 2.感覚について

 そもそも感覚というものは分かりやすい情報をかなり優先してしまう。視覚の情報量が多く分かりやすいので、視覚の情報を優先してしまうのは、そういった背景がある。

 先述の例では分かりやすく身長差があるという情報が入るので、背が高いほうが優勢だと感じてしまうのである。また、身長差があれど、マスコミが「小さいからこそ俊敏に動き~」などともてはやせば、背が低いほうが優勢だと感じてしまうだろう。

 このように、自分に入ってくる情報は「本当に偏見のない情報なのか」「入ってきている情報が全てなのか」と考えないといけない。昨今学校でも指導されるほど、ネットリテラシーは騒がれ、ネットから得られる情報は容易に手に入り無限大なので、ネットから情報を集めようとする際には気をつける人が多い。しかし、情報を得ようとするときにだけ気をつければよいのではないのである。人は新たに知ったものについて、意識するようになることでその後よく耳にするようになるという現象があるように自然と偏見のかかった状態になってしまうことはしばしばあるのである。全てを疑うのは疲れてしまうが、本当に大事なことについては考えることが大切なのである。感覚を信頼しきってしまうと思わぬところで落とし穴に引っ掛かってしまう。

 3.勝ちは偶然、負けは必然。

 2を踏まえて勝負に置き換えると前回勝てたことによる達成感や優越感というのが分かりやすい情報というものである。感覚はそれらに引っ張られるので次回も一見同条件に思える勝負をしようものなら勝てるだろうと思い違いとなるケースが起こりうるのである。一見とつけたのは、全く同じ条件の勝負なんて起こりえるはずがないし、なにより相手は敗北を知り時間が経って変化を作ろうとするはずなので、確実に精神状態は異なるのである。そのため、勝てたことに対して不思議に感じ、自分でより良くできる部分を探って改善するのが良いのである。

 一方で負けは運に左右されたとしても必然的に負けたのだと考えるのが良い。感覚には分かりやすく喪失感や無気力感というような情報が与えられ、自分はダメだと感じるはずなので、この感覚に奮起して逆らうべきなのである。ここで奮起しなければ、同じ勝負をしたときにはほぼ同条件に近い勝負になり、負ける可能性は高いだろう。人は敗北すると努力が足りなかったことを認めたくないのか「相手の方が才能があった」という魔法の言葉を用いたくなる。この魔法の言葉を用いてしまえば相手を越える成長は見込めなくなってしまうのである。

 4.拡大解釈

 3を見て「当たり前じゃないか」「何を今さら」「長々と話して中身がないじゃないか」と思った方もいるかもしれない。ではマクロに拡大する。(ミクロからマクロ。マクロからミクロ。これは物事を考える上でとても大切である。後日かけそうならnoteに記そうと思う。)

 これを読んでくださっている大部分の方はすでに働いたことがある、または働いていることだろう。勝負というものを会社の業績アップに関するものに置き換えたとき、業績好調であるから「一会社員がこの業務を翌日に回してサボっても変わることはない。」業績不振ではありながら「一会社員がどうこうして変わることはない。」と考えてはないだろうか。会社を動かしているのは幹部であることが多く、大企業になれば一人の業務の影響度は小さくなるので、変わらないと考えてしまっても不自然ではないのである。しかし、いくら微力でも動かしている力の源は自分自身にもあるのである。

 業績不振に注目したい。その会社員は不振の理由を考えたことがあるのだろうか。もちろん幹部は考えるだろう。幹部が考えていなければその会社は経済という環境に影響されて上がり下がりを繰り返す下降線をたどることになるだろうが、実際、幹部が原因をある要素に求めたとき、それを改善しようとする取り組みを会社全体に浸透できなければ、変わっていかないのである。

 例えば、アパレル企業に注目しよう。この冬は暖冬でなかなか冬物が売れず苦戦することになった。この場合、不振の原因は暖冬に求めることができる。暖冬であるという要素は分かりやすい情報である一方で、自然環境の問題であるので、それ自身を改善することはできないのである。そのため、これは「不振が偶然だ」と考えているのとほぼ同意である。これでは、感覚に従っていることになる。ここで、幹部も暖冬だからと思っていたらその企業は前述の通りだろう。

 そのため、「不振は必然」と考えてその他の要素(それが不振の大きな原因でなくとも)について考えるべきでなのである。また、不振の原因は前述の通り、大小様々であり、一会社員であっても不振の原因がないというのはほぼあり得ないのである。実際にないのであれば、その部署なり、班なりは会社に反してプラスもしくはマイナスが小さいはずである。

 また、業績が好調のとき、当然好調になるだけの努力をしてようやく好調にできたとき、感覚では好調なのは必然と思ってしまう。しかし、軌道に乗ったからといって何も新たな施策を用意せずにいれば、今後その業績は良くて平行線、ほぼ間違いなく下降線になるのである。これは、自分たちが消費者に回って考えたら当然に思える事実である。平行線というのは新規顧客数と離れていく顧客数がほぼ同じということである。リピーターが多いならまだ下降線は緩やかになるだろうが、リピーターが少なければ業績は急落間違いない。世間に浸透するだけして、すでにその商品やサービスを購入した人が次回購入する可能性は低いなら、人口が有限であるので、いつか必ず不振に陥るのは目に見えている。つまり「好調は偶然」と考えてより良くできる部分を探り、挑戦する必要がある。

 5.まとめ

 このように「勝ちは偶然、負けは必然」とは現状に甘んじることなく常に改善を模索せよということである。導入として勝負の部分での心構えの体で話を進めたが、最も大事なのはそれをあらゆるシーンに当てはめて考えることである。

 毎度のことだが、最後に、この記事を読んで自分がどう思うかじっくり考えてほしい。自分と同じ意見だと言ってくれる人もいれば、一ミリも共感できない人もいるだろう。しかし、改めて考えることだけはあなたのためになることは間違いないと思う。

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