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「アバター近藤が解説する業界史~逆タイムマシン経営論529」

皆さん こんにちは アバター近藤です。
「逆タイムマシン経営論」として、業界唯一の経営情報誌であるフィットネスビジネス誌のバックナンバーを引用しながら、それぞれの年のトピックスや記事について、示唆することは何かをアバター近藤なりに解説していきます。
「歴史に学ぶ」とは良く使われる言葉ではありますが、フィットネス業界史について、詳細に検証した文献は恐らくないと思いますので、これから良い歴史を作るために何かしらのお役立てになれば大変うれしく思います。

~Fitness Business通巻第15号(2004.11.25発行)「スイミングクラブの成長戦略」2~※名称等は当時、一部文章省略

Ⅰスイミングクラブ成長の経緯と方向性

競合状態が激しさを増す中、昭和48年(1973)のオイルショックを期に出生率は減少、少子化の時代へと移り変わっていった。
この環境変化をいち早く察知し、新しい分野に成長の方向性を見い出したのがピープルとセントラルスポーツである。
昭和58年(1983)に両社がそれぞれフィットネスクラブをオープン。
その後、両社ともに単体スイミングクラブの出店は無くなったものの、フィットネスクラブを付帯させてスイミングスクールの数を増やしていった。

昭和62年(1987)にバブル経済を迎えると、異業種からの業界参入も相次ぎ、平成2年までの間(1987~1990)はフィットネスクラブの出店ラッシュが起こる。
その新店の多くもスイミングクラブを付帯していた。
競合状態は激しさを増した。

平成3年(1991)にバブルが崩壊すると、リーディングカンパニーを中心に、プールの運営効率を高めるべく、スクールのクラブ化が進められた。
プールでのクラス数を増やし、会員制にして成人会員の集客に注力した。
平成8~10年(1996~1998)に「アクア会員」「プール会員」といった名称で大人向けのマーケティングが本格的に始められる。
子供向けの水泳指導を中心にしてきたクラブもこの会員制導入で成人へのプログラム・サービス提供に自信を深め、「フィットネス」、「会員制」、「大人」に軸足を移していくようになった。
こうして現在では、スイミングクラブとしてスタートした多くの企業がフィットネス施設を付帯させ、総合クラブとして成長を図るに至っている。

その一方で、子どものスイミングスクールを中心にしたまま着実な成長を遂げているクラブもある。
その強みはスイミングスクールとして長年培われた評判と実績であり、フィットネスクラブの新規店がすぐそばに進出してきても揺るがない競争力を保っている。
こうしたクラブは450~600坪で会員数2,000~2,500名、月間退会率2%台を維持している。
安易にフィットネス市場に進出せず、また競合のスイミングスクールとも差別化を図りながら、自身の強みを活かして業績を伸ばし続けている。

フィットネスを付帯することで売上規模は大きくなるが、定着率が高まる傾向も見られる。
ハイリスク・ハイリターンとも言えるフィットネスクラブに対して、ローリスクで堅実に長期的にリターンを得ていく戦略もまた同様の重みを持つ一つの選択肢であることは現在も変わっていない。

~ここまで~

この記事を振り返ることで、フィットネス市場は人口動態と社会・経済変動によって変化を余儀なくされてきたことが理解できます。

その意味で、今回のパンデミックも大きな社会・経済変動でありますから、当然ながら相応の変化が必要となるわけです。

そして、今後の人口動態を考えますと、人口ボリュームの多い団塊世代が後期高齢者になっていくマイナスインパクトとスイミングクラブ第一世代の団塊ジュニアが健康意識の高まる50代になるというプラスインパクトが、ここ数年で確実に起こる未来となります。

従いまして、現場のお客様にフォーカスすると同時にマクロの変化に事前対応できる俯瞰した視点も持つことが求められていると思います。

本日もお読みいただきありがとうございました。


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