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1月14日(日):社会も動的平衡で保たれている

昨日はユニセフの広報誌「ユニセフニュース」における特集を引き合いに、ユニセフのマンスリーサポートのことなどに触れましたが、本日もその続きをもう少しばかり。

前述した特集は「わたしたちのストーリー 未来へつなぐ想い」と題したもので、ユニセフ・マンスリーサポート(毎月の定額寄付)を始めたきっかけやどんな想いでそれを続けているのかが掲載されていました。

私自身もマンスリーサポートを15年以上続けていますが、こうした他の支援者の方々の声を聞く機会は少ないので、それらに触れて自然と心が温まりました。

メディアでは残酷なニュースを目にしたり、公共の場でも思わず眉をひそめたくなるような自分本位な言動を目にする機会も少なくないですが、その一方で周囲への感謝や社会への貢献を考える方々が数多くいて、それぞれが自分にできる小さな取り組みをしていることが感じられて安堵するところもあります。

それで、ふと頭に浮かんだのが動的平衡の概念です。

動的平衡は簡単にいえば外見上静的に見えるものの、実際は動的状態にあって均衡が保たれている状態です。

例えば人間は昨日と今日では外見上の大きな変化は見られないものの、身体の内部における細胞レベルでは破壊と生産を絶えず繰り返す動的な循環が起こっており、それによって外見上は昨日とほとんど変わらない状態が維持されています。

この動的平衡は福岡伸一さんが説いた生物に対する概念ですが、これは社会全体にも同じことがいえるんじゃないかと感じます。

人は誰しもが自分の意思で「壊すことのできるもの」があり、同時に「守るべきもの」や「背負えるもの」を持っています。

それは我が家の子どものように12歳や9歳であっても、年齢に応じたそれらがあります。

例えば自らの意思で何らかの物を壊すことができるし、時には他者を傷つけたり、何らかの約束を破ることかもしれません。

それとは逆に人やモノ、命、気持ちを大切に労わったり、守ることもできます。

それが大人になっていけば、その対象が増えたり、その範囲が広がっていくのが一般的です。

人を傷つけることもあれば、自らを優先するあまりに家庭を壊すこともあるかもしれないし、相手との関係や職場におけるチームを壊すこともあるでしょう。

一方でそれらを大切に守っていくこともできるし、自分なりに意義を感じて新たに背負うべき責任を見出していくこともあると思います。

人間として成熟していく、ということを考えるならばそれらに対して無自覚であるよりは自覚的であるほうが良いだろうし、その対象や範囲が少しずつでも広がっていくほうが望ましいとも感じています。

人間の身体における動的平衡では、細胞の修復や生産より破壊やエラーに傾き過ぎれば、例えば「がん」のような何らかの病気になってしまうように、社会においても調和を乱す人や行為が過剰になれば、社会や共同体は成り立たなくなっていくものです。

社会の動的平衡を保つには支援や温かさをもった人の想いや行動があってこそ保たれます。

それはマンスリーサポートのような金銭的な寄付だけに限ったことではありません。

誰かがポイ捨てをしたゴミを人知れず拾ってくれる市井の人がいたり、困った時に声を掛けてくれたり、何かを差し出してくれたりすることなど、その想いや形は様々です。

社会が一夜にして荒むこともなければ、一夜にして楽園になることもなく、日々の営みによって変わっていくものであるだけに、改めて自分も日常を振り返りながら社会の動的平衡が保てるような一員でありたいと思います。

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