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※まだ本題には入りません      ~サブカルってさ~ 坂元裕二 初恋と不倫 感想#0の2

先ほど、昨日投稿した自らの挫折文をふと見返したときに、一筆書きがバレるいかにもな誤字脱字を発見したと同時に「サブカル民」とか「サブサブカル民」とか非常に危険な言葉遣いをしていることに気が付いた。いや最初から確信犯で使っていたが、やはりその犯行に対して罪の意識が拭えず懺悔文を投下するために舞い戻ったのである。さてさてこの投稿は、こたつ記事と言われるネット記事もびっくりのタイトル詐欺を行っている。騙されてしまいここまで読み進めた方大変お世話になっております。まあ「※」の「ネタバレあり」以外の活用方法を模索するという点においてもこたつ記事とは一線を画す詐称行為として評価されたい。一旦黙ろうか著者。黙る。。。。。。。さて早急に坂元裕二作「初恋と不倫」について書くためにもこの懺悔文を供養しなくてならないので、素人の感想文のクソスピンオフを始めようか。これやればやるほど本題のハードル上がりそう。こええ。

著者が懺悔をするのは、「サブカル」という言葉の活用である。というのも著者自身この言葉は、好きで嫌いな言葉だ。センスあるっぽいので使い続けたいが、今すぐにでも死語になった方がいいという願望もある。「サブカル」は「サブカルチャー」の略語であり、まあ簡単に言えば「メインカルチャー」いわゆる大衆的なものの対比として存在するものでしょう。そうだと思う。というかこの投稿では、それくらいの定義にさせてくれ。させてください。それこそここら辺の定義や、言葉の守備範囲的なものに対しては、ものすっげえうるせえ人が大衆をなしているから怖い。著者自身も何冊かそれについて触れている本を読んだり、大学の講義でスマホをいじりながら聞き流したりしたが、その定義となんかプライドを帯びたサブカルサイドの意見にあーめんどくせえと思った。だからメインとはちょっと違う文化形態くらいの感覚で。ただここにこそ著者の懺悔ポイントがある。この言葉をこの現代社会で使うことには、意味がないというのが著者が考えていることだからだ。あ、あとあれだエンタメに限定して話すよ。そのなんか政治に対してのサブカルチャーが!!とかそういうの言われるの怖いし、よくわからないし、怖いから。

今日、もはや人っ子一人の短い生涯では、網羅できないほどの情報とコンテンツに溢れている。本来これだけプラットフォームが開かれていなくても、例えばこの世に「本」しかコンテンツがなかったとしてもタッチしきれないくらいなのに、今はねえ、テレビ、映画、ラジオ、youtube、ポッドキャスト、note、サブスクリプション系、SNSなどなどプラットフォームの存在だけでお腹いっぱいであるよ。まだまだ色々あるよね。サウンドクラウドとかもね。まあそんなこんなでコンテンツ過剰供給時代ですよ。そのせいもあり、最近私は、周りの友人とのエンタメにおける共通言語を見つけることが難しいと思ったことがある。多分皆さんもあるのだろう。特に著者は、KPOPに明るくない。そのせいでせっかく女の子と盛り上がるチャンスなのに何度もテキトーな相槌と愛想笑いで空間と時間を意味もなく埋めてしまった。もったいねえ。それこそ坂元裕二の登場人物的に偏屈なリターンをして嫌われた方がマシだったぜ。まあこれはほんの一例に過ぎないがそんなエンタメすれ違いのようなことが会話の中で多発しているわけで、先人たちが良く言う「何時のテレビを観るために走って帰って、次の日は、教室でその話で持ち切りだった」的なことは、もうない。まあそれもおそらく断片的なもので本当にみんながみんなそうだったとは思えないが。まあどちらにせよ。エンタメにおける共通言語が見出しずらいほど、受け取り手の手段もアティチュードもいっぱーいあるのだ。その点でいうともはやテレビはサブカルなのでは?と思うことがある。私はかなりテレビ好きで中でもバラエティ番組の話をよくするのだが、私が会話をしたKPOPが好きな女の子は、昨日見てたのは、日プと言われた。あーこの子KPOP女子兼プロレス女子でもあったのかなんて勘違いするほど、聞いたことのない言葉だった。日プ。しかもあれか、プロレスは、新日本プロセスか。詳しくないし、また怖い人に怒られそうだし、話がそれすぎてるからこの話はここでタップ。プロレスにもタップはあるよね?多分。話を強制的に戻すし、また文章書くのが急にめんどくさくなってきたのでまとめるが、今「メインカルチャー」って薄れてきてるよね!てことなんですよ。色々なものを能動的に選択できるから、なにかがメインになり得るほど、共通のエンタメってないんだよ。だからこそ「サブカルチャー」なんて言葉の存続もむずいんじゃないと。いや逆にいうと「一億総サブカル社会」であるのか。



ただね、それでも「サブカル」って言われるものはあるじゃないですか。私も世間がなんとなくいうサブカル的な音楽とか映画とかそういうものが好きなわけで。そこでね常にぼんやり流れてる空気感て「サブカル好きなおれ、私」感の臭いですよね。その臭いを放っている自覚がある自身も含めてまあどこか「これが好きな自分」に酔っちゃってるところあり、それが楽しいし、気持ちいいというところもありね。それがいてえ!って外野に言われうるですよ。もっとひどいのは、知識マウントを取ってサブカル界隈内で村八分を行う長老とかがいてね。まあそんな感じの悪いことを産み出すんですよ「サブカル」って言葉。まあこれもどれもなんとなくの私のイメージの範囲内の話であって、偏見の域を超えてないんですけど。だからそのようなリスクがある言葉と考えていながら前回その言葉を乱用してしまったことを懺悔しているのです。

じゃあよ私は、どうしてるのかと。なんか書き始めた時と全然違う弧を描いてるけどいいや。じゃあよ私は、どうしてるのかと。自分の好きなものを「メインカルチャー」と思う!である。多分おそらくきっと大衆性が薄れてきているこの時代において主流に置くべきなのは、文字通り主である己でいいのでは!だからもし「サブカル好きだね」と否定的な意味で言われたとしても「いやいやこっちからみたら貴様がサブカルだ!」と必殺のメインカルチャー!!!で反撃してやろうではないか。

なんかまとまりのない文章かつ補えてない部分が多い文章に違いはないが、もう眠いし、疲れたので読み返すこともせずに右上の公開に進むを押すことにする。あ、でもこれだけは、恐ろしさもあるからいうけど、コンテンツが多くなってエンタメ共通言語がなくなりつつあるとは、言ったが。なぜか自分がプラットフォームもコンテンツも自ら選んでみたはずの物なのに他人と共通の話題として展開されることがある。これってもしかしてさ、アルゴリズムってやつに踊らされてんじゃあねえの?自分で選んだように感じるけど、そのアルゴリズムで年代とかでさ、こっちになにかしら提示されてんじゃねえの特にショート動画系。なんか陰謀論的な感じに思われたらいやなので、全然違うからこの話はやめるけど。でもさ、逆にいえばそう言うのなしで共通のエンタメの話題会う人って本当に貴重だから大事にしたいよねって。だから坂元裕二というワードに惹かれて誤ってここに至ったあなたは、私にとってすごく大事です。次こそは、坂元裕二の「初恋と不倫」の感想を書きたい。そして前回の投稿でこれを読んでいるあなたは「サブサブカル民」だと不条理なカテゴライズをしてしまったことを詫びると共に、感謝を込めていつかあなたの「メインカルチャー」になり得るコンテンツにしていきたい。でもあれですね。こんな文章を最後まで読んだあなたって随分と「ニッチ」な方ですよね~。おやすみなさい。


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