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59 日々考えて過ごすことの大事さ

毎日を楽しくするには、日々考えて過ごすことが大事だと思うようになった。

これは最近ハマっているドラゴン桜から学んだことでもあるんだけど、地頭をよくする行いをしていると、毎日が飽きないし、そんなに気分が乗らないことでも楽しめるような気がした。

具体的には、あれ?これってどうなっているのだろう、といったような、なんで?を大事にする。

洗面所で手を洗っている時にも、この水道ってどうやってわたしたちの家に運ばれてきているのだろうか。地下の水道管を通ってきているのだろうけど、蛇口を捻ったろレバーを開けると出てくるのは何故だろう。放出口の直前まで水が来ていて、それを止めているだけなのかな。

そして、この水たちはどこからきているのだろう。水は山の方の地域から順繰りに分配されているって聞いたことがあるけど、わたしの今住んでいる家はどの浄水場から運ばれてきているのだろう、とか。

こんな感じで当たり前すぎるけど、考えてみるとどうなっているの?って言う現象が意外と世の中に存在している気がする。

料理をしているときも、金属製のボウルってどうやって作られているのだろうとか、フライパンってどうやって作っているんだろう、という感じだ。

こんなことをずっと考えていては、なんだか日々疲れそうって感じるかもしれないけど、脳が刺激されてとても心地よい。何より、自分の頭を使って考えているのが良い。

ある程度答えが絞り込めたり、どうしてもわからなかったりしたらネットで調べて答え合わせをする。便利な時代になったものだ。

こんな感じで、日々の生活に疑問を持つようになると、毎日が輝いて見えるし、日々の充実度が少しだけ増す気がする。何より、自分の意思で生きている気がする。

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わたしは子供の頃から、親の言うことをただ聞いて育ってきた人間なので、自分で考える、ということがいろいろ欠落しているような気がする。

気になったことは親が教えてくれたし、ある程度正しい方向を示してくれた。
優しい親のように思うかもしれない。親の言っていることを聞いていれば毎日を過ごすことができたのだから。

ただ、その代償として、自分で考える力や自分から他者にはたらきかける力は育たなかったのだと思う。それは今社会人をやってとても痛感している。

思考の整理学、という本の中ではこう言った人間のことをグライダー人間と言っていた。風の力がないと飛ぶことができない。

学校教育の中で、先生のいうことを忠実に守ってきた人間だ。言われたことをその通りにこなすのは得意である。

ちなみに対比となっているのは、エンジンで飛ぶことのできる人間だった気がする。風がなくたって(何かの助けがなくたって)自分の力で飛んでいけるからだ。

なので、トレーニングというほどでもないけど、日々頭を使うようにすることで、少しでも自分で考えられる人間に近づいていけたら良いと思う。

もちろん親には大変感謝している。わたしを育ててくれてありがとう。

でも、社会人というものは自分で考えて生きていくことが重要だと思っている。何かに依存するのでもなく、自分の力で決断できる人間が。

雪白真冬

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