慣れはかなしい?
10年以上アイドルを推している(いた?)。
推す人、ジャンルは変われど、アイドルという存在はわたしの人生に彩りを添えてくれている(いた?)。
アルバムが出れば片っ端から曲を聞き、ツアーが開催されれば地方まで行く。
突如現れる非日常を楽しみにしていたから、日常をそれなりにがんばって生きられていたんだと思う。
でもここ数年で気づいてしまった。
コンサートに、新曲に、胸が躍らないのだ。
冷めたのでは?といわれればそれまでなのだが、熱を上げているときでも割とそんな感じだったのである。
あのワクワクとトキメキはもう味わえないのか?かなしい。
考えてみた。
恐らく聞いた曲は何百曲、コンサートへ行った回数はウン十回。
わたしの中で非日常だったはずのものが、日常と溶け合ってきてしまっている。慣れてしまった。
そして、心のどこかで「新曲を聞く」「コンサートへ行く」ことが義務だと感じるようになってしまった。
しあわせパウダーを振りまいてくれているアイドルにそんなことを思うなんて、まったく失礼な話だ。
ということで最近はアイドルに費やすお金・時間がめっきり減ってしまった。SNSでたまに見るくらいが、いまの自分にはちょうどいい。
そんなことを考える中で、好きな海外アーティストのコンサートに行く機会があった。本当に楽しみにしていたし、実際すごく楽しくて余韻に浸りまくって、しあわせだった。アイドルを推し始めた当時の自分とおなじ気持ち。
2、3時間ずっと、自分の好きな音楽が大音量で、生で聴けるのが、いい。その空間にいるだけで、いい。
そこで気づいたのだが、わたしには生でアイドルという「存在」を感じるよりも「音楽」を感じる方が合っているんじゃないか、と。
アイドルの曲ももちろん好きだが、正直そのアイドルが歌ってるから、という理由が根底にあるので全部が全部好みというわけではない。
コンサートへ行くと好きな曲は全力で生歌を楽しみ、それ以外は推しを目で追っている。
そんなとき「帰り道人やばそうだな」とか「お腹すいたな」とか本当にどうでもいいことを考えるようになった。
楽しいはずのコンサートが、いつの間にかそうじゃなくなっていた。
けれど、その代わりに見つけた新しい非日常。
自分にとってのしあわせの解像度が高くなったのかな。
わたしがここ最近ずっと感じていた「慣れ」とそれに付随したうっすらとしたかなしさは、そのための布石だったということにしよう。(雑)
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