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『うつを経験した元教師がパーソナルトレーナーになった話3』

復活

みなさんこんにちは。
前回の投稿から、ずいぶん期間が空いてしまいました。申し訳ございません🙇‍♂️

ここでは、元教師がパーソナルトレーナーになるまでの話をありのままお話ししていきます。

またこれから、気まぐれに記事を書いていきますので、お時間ある方は覗いていってください!

とはいいつつも、「なんのこっちゃ話がわからんわ!」という方はこちらから読んでくださいね!
↓↓↓

それでは、続きをどうぞ!

心理状況、周りの反応

「抑うつ状態」と診断されてから、しばらく学校へは行くことができなくなりました。

まだ症状は軽めだったとはいえ、次のような心理状態が続いて自分を責め、ますます負の連鎖に陥ってしまうのが「うつ」というもの。

・迷惑をかけてしまってる
・こんなはずじゃなかった
・早く回復しないと


他にもたくさん思うことがあったとは思いますが、正直あまり覚えていません。

そんな状況の中、たくさんの方々にご迷惑をおかけしてしまったと思います。

特に、妻には本当に助けられました。

朝僕の心配をしながら自分も出勤をして、昼間には「体調どう?大丈夫?」と連絡をくれました。

夜は気晴らしに外出へも誘ってくれるなど、同棲中だった妻には頭が上がりません。笑

そんな中、今後をどうするか選択を迫られるときがやってきます。

退職(大阪)

学校を休んでいるときは「有給」を消化していましたが、2学期半ばでそれも使い切ってしまった僕は、2つのうちどちらかを選ばなければならなくなりました。

当時の大先輩であり、お世話になっていた先生からいただいたアドバイスは2つです。(その方は既に教育委員会へ配属となっていたバリバリの先生です。)

・「病休」扱いで3月までお休みをいただく
・そのまま退職

ぶっちゃけ、「病休」扱いだと、次の4月からは復帰予定となるのでお給料も多少いただけながら休むことができます。

ただ、それでは休んだという「記録」が残ってしまうため、そのまま退職したほうが僕のキャリアのためだよ。と、大先輩に焼肉を奢ってもらいながら話をしていただきました。笑

「退職」となると、復帰しなくてはいけないというプレッシャーからは解放されますが、もちろん以降の就職先を探さなければなりません。

僕は、その焼肉屋で退職の道を選択することになります。

2016年10月末のことでした。

退職を決意した僕がしたこととは?
続きは『うつを経験した元教師がパーソナルトレーナーになった話4』にて

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