「融けるデザイン」を読んだ

2015年1月25日に出版された本で、8年経った今でも全く色褪せない内容だった。バズワード的に使われるIoTやUXに関する本質を全く理解できていなかったんだな、と思い知らされた。

出版当初から読んでみたいとずっと思いつつ、ちょっとお高めの値段だったので購入を躊躇っていたのだけど、ふと思い出して昨年12月にポチって正月に読了。「自己帰属観」に関する感動を忘れないよう、当月中に感想のようなものを書いておく。

本書が出版された2015年というと、IoTというワードが流行った時期。その少し前にM2Mというワードが流行って、いつのまにかIoTに置き換わっていたような気がする。

もっと前からユビキタスネットワークという言葉はあったから目新しさもないし、Raspberry Piのようなデバイスを使えばセンサやモノをネットに繋げるなんて技術的に何も難しいことではない。「IoT」なんてただのバズワードと思っていた。今更な何だというんだ?と。

もしかしたら、それが徐々に当たり前になっていったので、「前提が変わってしまった世界」と、それによって「デザイン方法が変わってしまった」ことに気づいていなかったのかもしれない。過渡期にいると以前の考え方を引きずってしまうが、過渡期が終わると新しいデザイン方法を無意識に扱える、みたいな現象が「世代」による思考の違いなのかもしれない。

IoT

この本を読むまで、IoTを「あらゆるモノがネットに繋がること」という表現(afterの世界観)だけで捉えていたのが良くなかった。

本書には従来のネットとの接し方からIoTの世界観への遷移について、"デザイナー・設計者"視点で書かれている。これらの文脈のおかげで、従来とIoTが実現する世界観の決定的な違いを認識できるようになった。

「これまでネットと繋がるには、腰を据えてコンピュータの前に行く必要があったのが、IoTの世界観ではその制約がなくなり、あらゆる場所であらゆるモノがネットに接することになったのがIoTの世界観」といった感じである。写メも無いようなWindows 98ぐらいの時代を想像すると、たしかに全く違う世界観である。

限られた時間・空間という接点から解放され、常時あらゆる情報を得ることができるのはもちろん、本人のアクションなしにモノ自ら人に情報を与えるデザインも可能になる。こういう前提条件を念頭に置きながらデザインしていく必要がある(特にコンピュータが組み込まれていなかったようなモノ。例えば紙媒体の広告の手法しか頭にないとか)。モノを作っていると、機能の実装や製造工程などモノを作り込むことばかりに集中してしまい、使ってほしいユーザーの視点やユーザー体験(ユーザーの周辺環境)のことを忘れがちで、外界のことを意識できていなかったように思える。

IoTがセンサでデータをネットにアップロードすることを意味する言葉であるという短絡的なイメージを強く持っていた自分に反省。

コンピュータ

自分はコンピュータが大好きなので、人間とコンピュータもしくは人間とロボットを対比して考えることが多い(「アンドリューNDR114」は考えさせられる映画だった)。

本書は、改めてコンピュータの可能性を言語化してくれている。
もう紙の世界じゃないのだから、と色んな人(会社の人)に言いたい。ぜひこの本を読んでほしい。紙をExcelに置き換えただけのようなファイルが大量にあって、コンピュータのポテンシャル全然活用しきれていないじゃん、と。ココらへんの話は長くなりそうだから、また何かの機会にまとめようと思う。

自己帰属観

ガラケーからスマートフォンに乗り換えた時、iPhone 4Sの時代だったともうけど、iPhoneにするかAndroidにするか店で1時間以上悩んだことを今でも覚えている。カスタマイズ性では後者のほうが遊べそうな気がしたのだけれども、当時Androidはスワイプしたときにちょっとだけ画面のカクつき(指の動きに対して僅かなディレイ)があった。それがどうしても気持ち悪くて、結局iPhoneを選んだ。

本書では、いわゆるヌルサク感の重要性が書かれている。

自己帰属感とは「この身体はまさに自分のものである」とう感覚である

「融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論」渡邊恵太 (著)

あのときiPhoneを決定的に素晴らしいと思わせたのは「自己帰属観」だったのか!と当時の感動を思い出しながら読んでいた。

社内システム(特に内製)は、まぁ必要な機能は盛り込めているのだけれども、UIも残念だし、レスポンスが遅かったり、使っていて心地よいとは全然思えないのが多い。システムを使うのは現場の実務者であって、作った本人はそれを使って仕事をしていないケースが多いというのも要因なきはすけど、「自己帰属観」大切にして設計しましょう!と言いたい。

さいごに

ここ数年は何かとDXと騒がれているが、例えば何か装置の可視化であっても、装置やセンサ経由で取得したデータをネット上にアップロードするのは(狭義の)IoTだし、そのデータと人間の間には界面(UI)がある。最終的にそのデータを使って人間が成し遂げたいのか、どんな体験をしたいのかはUXである。

DXは直近のテクノロジーを使って十数年前の考え方から脱却しようという流れでもある。時代とともに何が変わったのか意識し、モノから体験まで全体を俯瞰しながらデザインするために、とても良い示唆を与えてくれる本だった。(DX推進部みたいな部署に所属しているわけじゃないんだけど)

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