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#4 聖地、日日。~時を越えて夜を歩く〜

 2017年春、映画版『夜は短し歩けよ乙女』は上映された。当時高校受験期間中に『逃げるは恥だが役に立つ』にどっぷりハマり、星野源に首ったけだった私は、原作もしっかり予習して本作を観に行った。地元岡山で1,2を争うくらいには大きな映画館で見たことをよく覚えている。その時の記憶は今となっては曖昧だが、とても面白い「ファンタジー作品」だった。知らないお酒、知らない土地に見たこともないお菓子。同じ地球上にある世界なのに、そこに広がる世界が魔法の国のように思えた。高校受験の合格祝いにと親に強請り、卒業旅行として京都の街を聖地巡礼した。修学旅行のイメージくらいしかなかった京都は、USJのハリーポッターエリア並みの世界観で当時の私を魅了した。

 あれからかれこれ五年が経つ。青春ライフを夢見て入った高校で無事に洗礼を受け、ひねくれにひねくれた私は、巡り巡って京都の大学に進学した。記憶のどこかにあの日見た映画のことがこびりついていたのであろう。勿論某旧帝大に進学できるような学力はなく、聖地のひとつである出町柳から数駅叡電で上った先で、感染症の拡大により私のキャンパスライフは半年遅れでスタートした。今までの大学生活を振り返っても、当たり前だが物語のような劇的な展開はない。授業を受け、なんとなく高校の延長線上で入った演劇部の活動に参加し、生活費を確保するために酒屋でのアルバイトに勤しむ。外部での演劇活動を始めるなど個人としての進歩はあったが、大学生としては非常にのっぺりした毎日を送っていた。森見登美彦作品も好きで愛読してはいたものの、文学を学ぶ以上どうしても研究対象になってしまい、あの頃のトキメキは薄れつつあった。

 そんななか、『四畳半タイムマシンブルース』の上映を記念し、出町柳にある出町座で『夜は短し歩けよ乙女』の再映が決まった。私は悩む間もなく出町柳に出向いた。やはり一度心酔した作品のことは一生好きなものだ。しかし、五年ぶりに映画館で鑑賞した『夜は短し歩けよ乙女』は、あの頃とは少し姿を変えていた。主観的に語るとするなら、「ファンタジー作品」ではなくなっていたのだ。しかし、一度作られた映画の内容が変わることなどあり得ない。五年の時を経て変わっていたのは紛れもなく作品ではなく「私」だった。

 あの頃名前もパッケージも分からない未知の存在だったお酒たちは酒屋アルバイトによって自分の生活と切っても切り離せない存在になり、見知らぬ駅だった場所はいつも利用する最寄り駅だ。見たこともなかったお菓子たちは「水無月」や「阿闍梨餅」と言い、出てきた瞬間に名前と姿が一致するくらいには馴染のものである。あの頃摩訶不思議な虚構の世界だと思っていたものは、五年の時を超えて私の日常に染みついていたのだ。あまりにも近くにあり過ぎて、見返してみるまで気づきもしなかった。

 ファンタジーをファンタジーとして楽しめなくなったことに若干の寂しさを覚えたが、それ以上に今自分の送っている大学生活があの頃の憧れに繋がっていたことに喜びを覚えた。先斗町を練り歩くことが出来なくても酒屋のアルバイトで「酒」を通じて様々なご縁に恵まれ、6月30日には上半期の健康を祈って水無月を食べた。ゲリラ演劇は出来ないけれど、神出鬼没に現れるあの舞台の構造を今なら理解することが出来る。そして、京大生にはなりそこなったけど、この左京区で黒髪眼鏡の「先輩」に巡り合うことが出来た。そう考えると、感染症で思い通りにいかなかった大学生活もすべてが五年前からの必然で繋がっていたのではないか。そうとなるとこの二年弱続いている感染症は李白さんの仕業なのかもしれないな、などと酷くご都合主義な思考を巡らしていた。

 上映が終わり、出町座を後にする。岡山の田舎者が心底憧れた景色には、きっと明日も足を運ぶであろう。
私は今日もあの日から地続きの日々を暮らしている、聖地の真ん中で。

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