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スポーツ感動の実話 伝説の400勝投手 金田正一

オリックスの日本一で、幕を下ろした今年のプロ野球。
今年は、史上最年少の三冠王に輝き、56本塁打を放った
ヤクルト村上 宗隆の活躍が日本を沸かせました。

このヤクルトスワローズの前身
「国鉄スワローズ」時代に在籍したスーパースターが、
伝説の400勝投手 金田正一です。

不滅の金字塔 400勝


投手起用の仕方に現在とは大きな違いはあるものの、
大投手の証である「名球会」入りの200勝も難しい中、
通算400勝(200勝達成は何と24歳!)という
不滅の金字塔を打ち立てた金田は、
史上最多奪三振(4,490)の他、
298敗という最多敗戦記録も持ちます。
生涯通算防御率2.34(大谷翔平の防御率はMVPの2021年3.18、2022年2.33)
という驚異的な数字からは信じがたい敗戦数です。

当時の国鉄スワローズは、
「打てば三振、守ればエラー」と言われるほどの弱小球団で、
打線の援護がなかったことが大きな要因でした
在籍した15年間の勝利数353勝は、球団の全勝利数の42%にあたり、
他球団であれば、500勝は余裕だったというのが大方の見方です。

しかし、そもそも彼は、
他球団からの好条件の誘いを断り、自らこの球団を選んで入団しました。
そこには、悲しい理由がありました……。

弱小球団入団の理由


彼は、高校を中退し17歳でプロ入りしています。
貧窮により弟妹を亡くしている彼の、
「貧しい家族を一日も早く楽にさせたい。」
そんな優しい思いからでした。

彼が選んだ球団は、設立間もない「国鉄スワローズ」。
弱小球団で、契約金も他球団の半分ほどの国鉄をなぜ選んだのか…。

契約を決定づけた条件は、宿舎で
「ご飯を好きなだけ食べていい。」
だったといいます。

当時、新人は食事の際、おかわりは許されていませんでしたが、
弟妹たちにご飯を食べさせるため、常に空腹を我慢してきた
彼の最大の望みは「腹いっぱい食べてみたい!」だったのでしょう。

長嶋茂雄のデビュー戦 4打席4三振の真相


金田といえば、長嶋茂雄のデビュー戦での快投が有名です。

東京六大学のスター選手で鳴物入りで巨人入りし、
オープン戦でも7本塁打を放っていた怪物ルーキー長嶋茂雄のデビュー戦4打席4三振に仕留めた話はつとに有名ですが、
実は彼には闘志みなぎる別の理由がありました……。

彼はこの日、進行癌に侵されていた父親を東京の病院に見せるため、
名古屋から呼び試合を観戦させていました。

野球が大好きな父親が、
もう二度と球場に足を運べないことを知っていた彼は、
この試合、一球一球に渾身の力を込めました。
父親に自分の勇姿を目に焼き付けて欲しいと願う彼にとって、
大注目のスター長嶋を迎え撃つこの試合は、
闘志を沸き立たせる最高のお膳立てだったのかもしれません。

この試合後も、弱小球団の国鉄でも巨人戦だけはテレビ中継があるため、
父親が病室で観戦していると信じてマウンドに向かいました。
自分が活躍することで父親を元気づけよう
日々猛練習を重ねながら魂の投球を続け、
70日目で20勝到達という最速記録を打ち立てるなど、
この年31勝14敗、防御率1.30この防御率で14敗とは…)、
311奪三振投手三冠を独占するという、
とてつもない成績を残しました。

情熱の男 ”カネやん” 逝く


大谷翔平選手が、メジャーリーグで二刀流の大活躍で、
昨年はMVPを獲得し、今年も投打ダブル規定到達など、
スポーツ界を大いに沸かせていますが、
金田も、投手として史上1位の通算本塁打38本うち2本は代打起用でのホームラン)、通算8度の敬遠
野手を含めた史上最年少(17歳2ヶ月)でのプロ入り初ホームランなど、
打撃でも強打を誇りました。

情熱の男、金田正一。
160㎞ともいわれる剛速球(残された映像解析の結果)と、
伝家の宝刀カーブを武器に、数々の伝説を作り上げた「黄金の左腕」
あまりの酷使で、プロ入り6年目から痛みに悩まされ続けた左肘は、
いつしか真っすぐ伸ばせなく
なっていました。

長嶋のデビュー戦、
金田の剛速球に4打席4三振を喫した長嶋がバットにかすったのは、
ファールチップ1球のみ
と、完膚なきまでに封じ込めました。

しかし、試合後、金田はこう語っています。

「あいつは、恐ろしいやっちゃ。
いくら空振りしても、小細工せずフルスイングしてきよる。
今にすごいバッターになるで。」

金田の予言どおり、
金田 対 長島の生涯通算対戦成績は、
打率.313で、長島に軍配が上がりました。

1969年、400勝など数々の栄光を手に、
20年に及ぶ現役生活に別れを告げた金田氏。
記者が
「記録ずくめの野球人生で、一番誇れる記録は?」
と問いかけると、
「生涯、ただの一度もビンボールを投げなかったことやな!」
そう笑顔で答えました。

引退会見での言葉が、まっすぐな彼の生き方を物語っていました。

最後に、彼の優しさを象徴するエピソードを…。
貧しい家族を養うため高校を中退し、卒業式に出られなかった彼は、
飲み会の席でよく「仰げば尊し」を歌っていたそうです。
「先生方への感謝を伝えたかった」と…

魂の男、金田正一。
人を想う心こそが最高の力になる
「優しさこそが本当の強さ」であることを、
私たちに教えてくれた不世出のスーパースターは、
2019年、永遠の眠りにつきました。
ご冥福を心からお祈りいたします。
ありがとう!”カネやん”

金田 正一 氏


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