独り言も言わない毎日

なんとなく思い立ってnoteを始めてみた。
というか、数年前まで書いていたのをやめて新しいアカウントにしたので、正確には再開。

すごく書きたくて伝えたいことがたまっているわけでも、文章が上手いわけでもないけど、在宅勤務で土日以外人にろくに合わない毎日では、思ったことや考えてることを言葉にすることが少ない。

でも、毎日何を考えて想って過ごしたのかよくわからない日々を重ねていくのもむなしいので、気が向いた時にここに書いてみようと思う。

今週末は、土日とも知人に会っていたから、なんだかすごく疲れた。
会いたくて会って、お金を出して楽しいことをしたはずなのに、会う前より疲れているのは不思議だ。
かといって一人で1日中家にこもっているのが大好きというわけでもない。

何となく使っている英語学習アプリに、「Are you an introvert or an extrovert(あなたは内向的なタイプか、それとも外向的か)?」というテーマの会話文があったけど、26年生きてきても、自分がどっちのタイプなのかよくわからない。

そんなわけですごく疲労がたまった状態で今週のスタートを切ったから、やる気は皆無。必要最低限の仕事を大急ぎで終えて、昼休みは1時間ぴったり昼寝して、定時きっかりに社用パソコンを閉じてやった。

でも、別に特にやりたいことがあるわけじゃなかったので、SNSで予告を見て少し気になっていたドラマを見た。
好きな脚本家さんの作品で、なんとなく、暇だったし1話から12話まで全部見た。

その脚本家のドラマは、台詞がすごく多い。めんどくさいくらいに多い。
日本語だけど、何なら字幕付きで見たいくらいに台詞が細かくて多い。
だけど、その一つ一つが、なんとなく見覚えのある台詞で、別にすごく悲しい場面や感動的なストーリー展開じゃなくても、ふと涙が出るときがある。

台詞に見覚えがあるのは、他のドラマと似てるからではなくて、自分の頭の中で浮かんだことのある言葉たちだからだと思う。

頭に浮かんだことはあるけど、急に言っても脈絡が無いな、と思ったり、こんなこと言ったらちょっと変人だと思われるか、と人目を気にしたり、見えない空気を読んだ気になって、日の目を浴びなかった言葉たち。

この脚本家のドラマを見てて感じるのは、まだそんなに深く話をしたことがない人との話の中で、ふと価値観や思考の共通点を見つけて、ああそうそれそれ、とか私もそう思ってた、とか感じる、それに似ている。

自分以外の人が何かに対して、自分と同じような感情や言葉を抱いていたのか、自分だけじゃなかったのか、と知った時の気持ちの昂り。

それを感じられる瞬間はあまり多くはないけど、だからこそ、たまに思わぬところでこの気持ちに出会うと、自分は言葉にしてこなかったけど、それを言い当てて、代弁してくれたような何とも言えない高揚感から、なんだか嬉しいような、救われたような気持ちになる。


ドラマを最終話まで見終わって、何だかすがすがしくて、ちょっとあったかい気持ちになった。

それと同時に、とりあえず、今お付き合いしている彼と私は、いずれお別れするような気がした。


別に感傷的になってるわけじゃない。
私が見て、何だか良い気持ちになったこのドラマを、彼はきっと全然好きじゃなさそうな気がするから。それだけだ。

きっと私たち合わないね~ である。

彼とは食べ物やお酒の好みも似ているし、共通の趣味もある。見た目も嫌いじゃない、というか結構タイプだ。

会うのに不便の無い距離に住んでいるし、年代はすこし離れてるけど上下関係も無く平穏に付き合っている。

でも、私が感動する言葉で彼は感動しないし、私が傷つく言葉で彼は傷つかない。

これはもう割と、これまでのやり取りの中で薄々、でも確信に近い形で気づいていることだ。


でも、今は出会いの場も少ないし、だんだん良い歳だし、とかいろいろ言い訳を並べてるから、意外とまだ別れようと思うほど好きが減っていないのかもしれない。よくわからない。

私は、人目を気にして流行りの洋服も買うし、インスタにはキラキラした万人受けしそうな写真しか投稿しない。

そこまで私の本質を知らないような人と飲むときには、自分が仕事もプライベートも楽しんでいて、ある程度稼いで人生が充実しているリア充だと思われるような言動をする、見栄っ張りで薄っぺらい人間だ。

私が実家を出て1人暮らしを始めたとき、赤ワインやウイスキーをロックで飲む用のグラスを贈ってくれる友人が多かった。
ああ、みんなは私のこと、1人でも赤ワインを飲みながらおしゃれに過ごしてる人間だと思ってるんだと感じて、大いに気持ちよかった。
ブランディングは大成功だ。

所詮、友達とはいえみんな他人の人生にそんなに興味はないのだし、他人が自分のことをどう思っていようと、それで人生の充実度や幸福度が決まるわけでもないから、見栄を張る必要は無いかもしれない。

でも、大して腹を割った話もしない関係の相手に、久しぶりに会った時の自分を、何か悩みを抱えていたり愚痴をこぼしながら毎日を過ごしているかわいそうな人みたいに思われるのは癪だ。


別に相手だって、かわいそうな私、に会いたくて久しぶりにわざわざ時間を作ってお金を払ってご飯を食べているわけでもないのだから、私が見栄を張るのはwin-winなのだ。誰も傷つかないし、犯罪は犯してない。

でも、同時に、そうやって過ごした帰り道はすごく自分が哀れに思えるし、他人の目なんて気にせず、自分の気持ちをちゃんと大事にして自分の好き・嫌いを正直に優先して、ただ自分を幸せにしていくことだけに真剣な部類の人たちに、どうしようもなくあこがれる。

お酒は弱くない方だけど、赤ワインは苦手だし、頑張って飲んだ日は翌日頭が痛くなる。

ハイボールはよく飲むけど、ウイスキーをロックで飲むことは殆どない。

たまに1人でお酒を飲むときは、コンビニに売ってる普通のビールや出来合いのハイボール、男梅サワーばかりを選ぶし、ワインは白の軽めのものか、ランブルスコみたいに甘くて飲みやすいなんちゃって赤ワインが好きだ。

糖質に気を使って我慢してるけど、おつまみはチーズやナッツじゃなくて、柿ピーかポテチが食べたい。

イメージとの矛盾ばかりだ。

ある程度は自分で頑張ってお金持ちになって、誰にも縛られず自由な暮らしをしたいけど、でも、ふと不安に襲われる孤独な夜には耐え続けられる気がしないし、誰かと関わることでしあ得られない幸せもあると思うから、自立した程よい距離感のパートナーは欲しい。

欲しいものは自分で手に入れたいけど、手に入れた時の喜びや手に入れるまでの過程を誰かと分かち合いたい。

1人の時間が無いと疲弊してしまうけど、友達や彼氏と遊んでいる人のSNSを見ると、私は孤独な人間なのかとすごく悲しくなったりもする。

大勢の人と仕事をするのも好きだけど、実は1人で好きな分野の勉強や研究だけに没頭する人生にもすごく興味がある。

幸せって、なるものじゃなくて気づくものなんだと何かの歌詞で聴いて、確かになあと納得したこともあるけど、そんなのただの言い訳じゃないかと思ったりもする。

結局、日によって気分も思うことも少しずつ変わるから、自分がどんな人間で何を求めているのかなんてわからない。
だから、今お付き合いしている彼に対する自分の気持ちもよくわからないままだ。

でも、考えるのをやめてしまったら、何を想って生きてきたのか、自分の人生が何だったのか本当にわからなくなってしまう気がするし、ドラマを見て沸いてきた気持ちのように、ふと自分のこだわりや価値観に触れる瞬間は大事にしたいから、飲み会とかが減って必然的に一人の時間が増えたこのご時世、せっかくだから気の向いた時にこうやって、自分の気持ちを記録していこうと思う。

起承転結とか、論理構成とか、そんなのは度外視して、ここでは自分が思うこと考えてることをそのままにただ書いていこうと思います。

記録開始。


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