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富士山の名の由来

2011


 みなさんは富士山の名前を気になったことはありませんか?

 不二山、不尽山、などとも書かれますが、名前の由来は
平安時代にはすでに分からなくなっていたそうです。
 「竹取物語」に不死の山と書かれていることが由来となったとする説がありますが、これは間違いだと思います。
なぜなら“不死”は漢文の読み方だからです。日本語は動詞の次に否定形がきます。
当然ですが富士山は漢字渡来以前からあります。
縄文人もきっと眺めていたでしょう。

 実は、私は縄文人は富士山を「巨大な蛇のトグロ」に見立てていたと考えています。
そして、富士山の名にその名残があると考えています。

 このように書くとエキセントリックな画家がエキセントリックな言説で人々をビックリさせようとしていると思われるかもしれませんが、
結構真剣に考えています。

 これからどこまで踏み込んで説明できるかはわかりませんが
現在までに調べていることを書き記していきます。


 霊峰富士は蛇のトグロに見立てられていた
 縄文人は円錐形の山に終始一貫、特別な関心を持っていたようです。
きっとそれは蛇のトグロに見立てていたのでしょう。

 なぜなら、日本には原始蛇信仰と呼べるような信仰があったようなのです。詳しくはこちら

蛇 (講談社学術文庫) 著者:吉野 裕子

神社の注連縄は蛇の交尾を表し、鏡餅は蛇のトグロを表しています。
縄文土器の装飾は蛇を表し、縄目文様は蛇のウロコを表していたようです。

 神奈備形と呼ばれる円錐形の山は日本各地で崇拝の対象になっています。
有名な山は三輪山だと思います。「日本書紀」にはご神体は蛇であるという伝承があります。

ならば、日本一もしくは世界一美しい円錐形である富士山はどうでしょうか?

富士講や浅間神社、コノハナサクヤ姫の伝説などはありますが、しかし、残念ながら富士と蛇を繋ぐ接点はどこにも見当たりません。

 日本の原始蛇信仰を調べている私には不思議でなりません。

やはり富士山と蛇は何も関係がないのでしょうか。

 文献上にはいくら探してもありませんので、縄文時代の状況を調べて行きます。

まずは、縄文時代の日本列島の人口分布を調べます。
各年代の地層からわかるそうです。

縄文前期には関東平野に人口が圧倒的に多く、
縄文中期も東日本と西日本の人口の比率は300:8です。
弥生時代にようやく東日本と西日本の人口の比率は逆転します。

通常の歴史の勉強で考えると西日本に都があり、東日本はド田舎だという
認識を持っていましたが、どうやら縄文時代の大部分は東日本に
人口が集中していたようです。

関東人としてはうれしいかぎりです。

 次に視点を変えて、富士山の見える極限の地域はどこか?を調べてみます。
西の極限は和歌山県の色川富士見峠だそうです。西日本の都があった場所は
見えないようです。

縄文時代の人口密集地域と富士山を望める地域はピッタリ重なります。

人口の分布状況は気候変動により食料を求めて変化したとされていますが
気持ちいいほどぴったりです。

縄文遺跡で有名な井戸尻遺跡あたりも富士見という地名がついています。
縄文集落は富士山が望める地を選ばれていることもあるのではないでしょうか?

現代人であっても物件を選ぶなら、富士山が見える物件はひとつの魅力となるでしょう。

 現代の私たちも遠くに見える富士山が見えた時は特別な感慨をもって眺めます。
縄文人も同じような感慨を持っていたとは考えられないでしょうか?
 しかし、以外にも縄文人と富士山を関係づけた文章は見当たりません。
たぶん、あるとは思うのですが、ご存じの方は教えてください。

 では次に、「蛇信仰」とは何かを説明します。
ほとんどの方は「なんじゃそれ!?」という気持ちでしょう。
できるだけ噛み砕いて説明してみます。

日本だけにあった信仰ではありません。世界中にあった信仰です。
数例をあげますとエジプトのツタンカーメンの額につけられたコブラ、インドのナーガ、オーストラリア先住民アボリジニにも虹蛇(ユルルングル)の神話があります。
中南米にもありますから、まさに世界中の人々が蛇に畏怖の念を持っていたようです。

なぜ蛇なのか?
人類が森で生活していたからだと思われます。
一神教が産まれる前のアニミズムです。

吉野裕子女史の推察によると、蛇信仰の基本的要因は
① 外形が男根に相似→生命の源としての種の保持者
② 脱皮による生命の更新→永遠の生命体
③ 一撃にして敵を倒す毒の強さ→無敵の強さ
以上三点となります。

蛇信仰というアニミズムを更に深く掘り起こし
人類がアニミズムの世界観から一神教が世界に派生していく流れを
環境考古学の視点から通史として書かれた本があります。


「蛇と十字架」人文書院  著者:安田 喜憲

日本の蛇信仰と世界の蛇信仰の相関関係が書かれています。

次に蛇信仰は“山”と“地母神”をセットで考えなければなりません。

大地母神の時代―ヨーロッパからの発想 (角川選書) 著者:安田 喜憲

蛇は大地の神となります。
豊饒の大地・豊饒の森が農耕以前の人類に生きるための食物である
動植物を産み出します。
人類の初期には大地こそが神であり、無尽蔵に食べ物を産み出す
大地母神(ガイア)が最高神でした。

 山は大地母神のオッパイであり、子供を産み出す妊娠したお腹に
なります。
ここで東西比較があります。
家畜を飼い、乳製品を食べる西の文化は山をオッパイに見立てるそうです。
クレタ島の地母神像は豊満な乳房と絡まる蛇で表現されています。
たぶん、蛇は男根を表し、地母神の多産を表しているのでしょう。

 日本では山を子供を生みだすお腹に見立てていたようです。
日本では女性らしさは下腹部に集中していたようです。
日本美術史をなぞっていくと大きな胸の女性像はほとんどありません。
大きな胸の土偶はありませんし、浮世絵の春画も大きな胸を強調した絵はほぼありません。

 次に三角形の山は蛇のトグロに見立てられていました。
日本各地の伝承や日本神話から考えて
山の神は“蛇”と考えて間違いないと思われます。

山の神 易・五行と日本の原始蛇信仰 (講談社学術文庫) 著者:吉野 裕子

世界各地のピラミッドも蛇のトグロかもしれませんね。
あまり広げると話の収集がつかなくなるので前に進めましょう。

世界中のアニミズムである蛇信仰の衰退は農耕の発見による
太陽信仰の始まりです。それとヒッタイト帝国滅亡による鉄器の普及です。
まだほかにもあるのですが、ぜひ環境考古学者 安田善憲先生の
著作をお読みください。
スリリングな人類史を体験できます。

 ここまで蛇信仰について書きましたが、アカデミックな考古学の
世界では取り上げられることはありません。
昔も今も日本人は直接的表現を好まないので縄文人も蛇そのものを直接的に
形象表現していません。明らかに蛇の形象がある土器はたくさんはありません。
考古学のような実証主義に重きを置くと“蛇”はまだまだ俎上にはのらないようです。

 富士山の由来は文献にはないと思われていましたが、実は私は気になる文献に行き着きました。
古事記・日本書紀の原本であるといわれている

「ホツマツタヱ」です。

全編五七調で紡がれており、文字もヲシテと呼ばれる特殊文字で書かれています。
このことだけでも驚きの内容であるし、引用するのであれば文献の信憑性を
論じなければなりませんが、
すでに「定本 ホツマツタヱ」により、古事記・日本書紀・ホツマツタヱを同文箇所すべてを三書比較されています。すべて読みましたがホツマツタヱがより詳しく書かれていました。そのため私はホツマツタヱが古事記・日本書紀の先行文献であると確信しました。

この文献で注目したいのは富士山の名が以前には

“ハラミヤマ”

と呼ばれていたことが書かれていることです。


おそらく農耕が盛んになる以前は地母神として崇められていたため
妊娠を表す“孕み(ハラミ)”なのでしょう。 


ではハラミヤマからフジノヤマへと、どのように新しい名がついたのでしょうか。

孝霊天皇(フトニノキミ)が念願のハラミヤマ登山を決意し、行幸されました。
高齢をおして登山に挑み、無事山頂に到着し、お鉢巡りもされて下山されました。

 君はこの栄えある登山を記念して、この山に新しい名を付けようと思われました。

丁度その時、田子の浦人が君の御前に進み出て、ひと抱えの咲き誇った藤の花を奉りました。
この藤を捧げた縁に想を得た君は、新しい山の名を織り込んだ秀歌を詠まれました。


 ハラミヤマ ヒトフルサケヨ

 フジツルノ ナヲモユカリノ

 コノヤマヨコレ


この歌により、その後ハラミヤマの名をフジノヤマと讃えるようになりました。

これが大まかな内容です。富士山の名は植物の藤から名づけられたということです。

驚くことに平安時代には分からなくなっていた、富士山の名の由来は植物の藤のから名づけられたということでした。
「ホツマツタヱ」にはこのような語源がたくさん書かれています。
これから私はこの文献を読みこんで勉強したいと思っています。


では、ここから私の見解を述べます。ハラミ山の“ハラミ”にはどのような意味があるのでしょうか。
ヲシテ文字で記されているので漢字から意味を探ることはできません。

 同文献内にハラミには妊娠の意味があります。
そして蛇の名称には“ハミ”が使われています。

“ハラミ”には地母神としての妊娠。
そして山の神としての蛇“ハミ”が両義的に関わり合っていると考えられます。

私見ですがハラミヤマを“妊娠山”そして“蛇身山”だと解釈します。


では、なぜ地母神と蛇が密接に関係あるのか。
それは前回に蛇信仰で言及したように一神教以前の地母神信仰には
“蛇”“山”“地母神” はセットになります。


次に歌に戻り、もう一度眺めてみると不思議な部分があります。
それは孝霊天皇(フトニノキミ)は美しく咲き誇る藤のから歌を着想したのではなく、
藤のからこの歌を詠んでいるのです。

ここで円山応挙「藤花図屏風」を参照してみます。

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         円山応挙 藤花図屏風 根津美術館

藤の幹、藤の蔓に注目すると

一般的な樹木のような垂直性はなく、まるで生き物のように自由に動いています。

そこに蛇を読み解くことができないでしょうか?

次に私のフィールドである里山で見つけた山藤の写真です。

画像2

私の解釈を記します。


 妊娠山(ハラミヤマ)
 蛇身山(ハミヤマ) よ 新しい名になってもひとしきり咲けよ

 藤の蔓が 蛇に似ていることが尚も名前の縁(ゆかり)となる

 この山よこれ

ホツマツタエにはハラミヤマの語源を文献中、「ハ・ラ・ミ」(ハオ菜・ラハ菜・ミ草)の三草から名づけられたとあります。
であれば語源の解明はする必要はないかもしれませんが、

それではウタの解釈は謎のままです。

神話の伝承者たちにも不可解で意味の伝わっていない箇所はあると思われます。

孝霊天皇(フトニノキミ)は日本書紀では欠史八代といわれる古い時代の天皇であり、
逸話の少ない天皇です。即位した時期を計算すると弥生時代初期にあたります。
孝霊天皇にとっても円錐の山を蛇のトグロに見立てる縄文中期の濃厚な蛇信仰は数百年前の祖先が持っていた宗教観であったと思われます。

 不思議なことに記紀には富士山の記述はありません。我が国の最も古い国書に最も秀麗な山である富士山についての記述がないのは不自然なことです。
最も古い記述は続日本記に噴火の記述が書かれています。

この疑問のひとつは、奈良・京都の都から富士山は見えないからではないでしょうか。

一般的な2千年間の歴史解釈であれば西日本(奈良、京都)に都があり東日本(鎌倉、江戸、東京)に移ったと考えますが
日本列島の歴史を縄文時代からの人口分布で読みかえると圧倒的に東日本に多くの人々が暮らしていた期間が長くありました。
 糸魚川の分水嶺でわかれる西と東のパワーバランスは100年単位ではなく1000年単位で考える必要があるのではないでしょうか。
そのように考えると記紀の編集者が富士山の記述を避けたのは西の文化を優位に印象づけるために東にあるシンボリックな美しい山の記述をあえて書かなかったのではないでしょうか。

 このように書くと不敬かもしれませんが奈良の三輪山は富士山のミニチュアとして崇められたのでは?と推測します。


 私は孝霊天皇(フトニノキミ)が縄文時代から続く山を蛇に見立てた
蛇信仰・地母神信仰を土台にしてこの歌を詠まれたと解釈しています。
そしてこの美しい山がいつまでも妊娠山・蛇身山であることは表現が直接的すぎて雅やかではないと感じられたのではないでしょうか。

もし現在も富士山が蛇身山と呼ばれていたらどうでしょうか?何か他の名前を付けたくなると思います。

 このエピソードは列島を覆っていた濃密な縄文文化のひとつが美しく更新された出来事だと考えています。




次に孝霊天皇(フトニノキミ)のウタに別の解釈を考えてみます。
ここまでは世界的にみられる地母神信仰・蛇信仰から「フジツル」は蛇を表すと考えましたが、ここからは「ホツマツタヱ」の文献内でフジツルは何を表し、どのようなユカリとなるのかを別の角度から考えてみたいと思います。

「ホツマツタヱ」にはハラミヤマ山頂にあるコノシロ池にタツが住むと書かれています。
タツは防火鎮火の役割を持ち、ヤマトタケさんを助けたりと大活躍します。
私はタツの語源がツタだと考えています。
だとするならば「フジツル」は「タツ」の象徴物ではないでしょうか?
フトニノキミのウタに別の訳を考えます。

ハラミヤマよ新しい名になってもひとしきり咲けよ
フジツルがハラミヤマに住むタツの象徴物であることが
なおもゆかりとなる
この山よこれ

また「ホツマツタヱ」の別の個所では
ヤマトタケさんが伊吹山で大きい蛇を見た時に
「何だ、取るに足りないオロチか。」と言って跨いでしまったことが
不敬となり、ヤマトタケさんの寿命を縮めてしまったと
新刊「ホツマで読むヤマトタケ物語」に書かれています。

これは明らかに“山の神=蛇”というエピソードです。

次に「ホツマツタヱ」を離れ、
柳田国男「山の人生」
“山の神を女性とする例多きこと”から考えます。
現代ではまったく日常生活で聞くことはありませんが
古女房を“山の神“と読んでいたそうです。
柳田国男はいくつかの説話を紹介し、疑問を投げかけていますが

私は単純に考えてみます。

山の神=地母神=多産の古女房=母(ハハ・カカ)=蛇の古語(ハハ・カカ)

よって
“山の神=蛇”

山の神が蛇である以上、富士山にあてはまらないはずがありません。

そのため
富士山=蛇のトグロ
と考えます。

私の考えている
「富士山は蛇のトグロに見立てられていた」は
フトニノキミのウタにある“フジツル”以外に手立てはありません。
私の確信は里山保全活動で見た山藤が宿主である樹木に螺旋状に絡まる姿の
“凄まじさ”です。

森を敬い、大切にしてきた私たちの祖先がこの様子を
「見ていない」とは考えられません。
そして重要なことですが藤は日本原産です。
日本一美しい山である富士山の由来が日本原産の植物“藤”であることには変わりありません。

最後に、藤の名の由来は諸説ありますが、おそらく花の形状から「吹流(ふきながし)」が縮まり
「藤(ふじ)」になったのではないかと思います。そして「吹く」も「流す」も日本語です。


現在の調査ではここまでです。

これから富士山の名の由来として縄文文化を取り上げる人たちが増えることを願っています。


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