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解釈違いだ!

漫然とした不安、間欠泉のように湧き上がってくる焦り。これらがフラッシュバックするたび、顔をしかめている自分。これが紛れもない自分だ。

自分のマインドとしては、自らを厳しい環境、自分のスキルを伸ばせると思った環境に飛び込むことで、周囲よりも優位に立とうという考えに根付いている。

他人に誇ることができ、羨ましがられるようなスキル・業績を持つことこそが、自らを満たすもの、自分の幸福に直結すると信じてきた。

特に、他人との比較において、自らの努力によって成し遂げたかどうかという観点を意識するが故に、努力して何かを成し遂げることが何よりも尊いものであるというドグマが思考を支配する。

しかし、他人との比較を前提とした幸せは、すぐに他の羨望によって上書きされる。なぜかって、自分よりも優れた人間は世の中にごまんといるからだ。他人に対する優越に立脚したアイデンティティーは脆い。

端的に言って、生きる目的を変える必要に迫られている、と感じる。言い換えると、生き方を変える必要があると思うのだ。

「解釈違い」とは、創作上において、受け取り手の解釈が創作者と異なる際に使われる用語だ。我々の人生はいったい誰が創作したのか知らないが、我々は受け取り手の側である。

創作者の意図なんて微塵もないのかもしれない。創作者の意図は個々人によって違っているのかもしれない。さらに、受け取り方は、地球上約80億人、受け取り手の数だけ存在する。しかし、私はどうやら解釈違いをしているらしい、ということだけは確かなようだ。

「どこが解釈違いなのか」はある程度示すことができたけれど、なぜ?どのように?いつ?解釈違いに陥ったのか、言語化するに至っていない。

次にnoteを書くまでの宿題にすることにする。はじめまして、note。





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