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懺悔 小学生の私

有り体に言って、私は他人に興味がない。

友人から見ても、私が他人に興味がないことは透けて見えるらしい。自分では努めて誠実に対応しているつもりなのだが。いや、「対応している」と言ってしまうマインドからして、他人への興味などあるはずもない。

他人に興味がないと述べたが、本当は嘘だ。しかし、結果として他人からはそのように見えていると思う。他人に対する興味は本来、人並みにある(たぶん)が、しかし他人にそれを表現するのが怖い。他人に拒絶されたトラウマの重みが私を押しつぶすからだ。

小学校の頃、私はいじめられていた。何がきっかけだったのか、全く思い出すことはできないし、忘れようと思って忘れた記憶だから今更わからない。けれども、間違いなくクラスで孤立していた。話しかけること、そしてものに触ること、たったそれだけの事を否定され続けた。

「〇〇菌がつく!」無邪気な言葉だが、今思い返すと、存在自体が穢らわしいとレッテルを貼られていたことに気づく。実際そのような扱いを受けていたし、この世から消え去りたいという願望を何度も抱いた。

他人から拒絶され続ける日々。しかし、その日常から逃げる選択肢は自分の中に存在しなかった。幸いなことに、その日の悪いことは寝れば忘れられる体質なので、毎朝、学校になんとか足を向けることはできた。

“運動神経”がなく、これと言って秀でたものがないメガネ猿だった私は、いじめに対処することが出来ず、唇をかみしめて現実を受け入れる他なかった。しかし同時に、真正面から現実を受け止めていたなら、私は間違いなく限界を超えていただろう。

だから、私は他人に期待しないことにした。拒絶してくるのが当たり前、叩いてこないだけマシ。そんなふうに自分の前提を作り替え、自分に言い聞かせた。

こうして、他人への興味を自発的に断ち切り、表に出さないようにすることで、他人から受ける拒絶のダメージをいなすようになった。周囲を変えるのではなく、周囲から目を背けることを選んだ。

けれども、他人への興味を断ち切ることは簡単だったが、承認欲求だけはどうしようもなかった。家族だけは味方だったが、家族だけでは不十分だった。自分は他者から認められているだろうか、私は価値ある存在だろうか。これらの問いに対して、当時の私の答えは間違いなくNoだった。当たり前。

小学校の頃の私は、希望を未来に託した。「将来、小学校の奴らを見返してやる!」といったような動機で、ひたすら勉強をした。失ったものを埋めるように努力した。幸いなことに、中学校以降の環境は私にとって非常に恵まれたものだった。

これだけ書くと、いじめをバネにして努力した結果のサクセスストーリーと捉えられるかもしれない。私が言いたいのはその逆、いつまで経っても消せない傷痕についてである。

小学校でのいじめの日々を経て、私は、他人に対する好奇心を抹殺するようになった。これは大学生になった今でも変わらない。他人への興味を示さず、相手の懐に入るようなことを一切してこなかった私にとって、他人と密にコミュニケーションをとり、懇ろになることは難しい。いわんや恋愛をや。

過去のトラウマの対する防御反応としての行動であるからして、もはや習慣と化したこの行動を変えることは非常に困難だ。一生こいつと付き合って行くことになる。

「小学校の奴らを見返してやる!」と意気込んだ小学生の私。確かに色々我慢して、犠牲にして、誇れるものを手に入れたかもしれない。でも、手に入れたものを周りに認めてもらうためには、前提として周りに人が居てくれないとお話にならない。他人への興味を棄て、一匹狼であることを選んだ私にとって、それは酷な話だ。

つまるところ、小学生の私は自己矛盾を孕んでいて、それに気付かず十年以上無我夢中で駆けてきた、というオチ。

幸い、私はまだ若いので、色々取り戻せるかな。取り戻せるといいな。

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