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5年ぶりのフルマラソン

コロナ感染拡大以降はマラソン大会も開催されなかったこともあって、今年2月のフルマラソン出場はおそらく5年ぶりぐらいになる。

10年前に初めてフルマラソンに挑戦した大会を走ろうと決めて、今回エントリーした。

フルマラソンを走り切ることでもやもやしている日常が少しでも打開できるのではないかとすがったのだ。

会社で一回り若い同僚と3回ほど20km練習をやり本番に臨んだので、スタートするまでは気持ちよく走れるのではないかという雰囲気になっていたのだが、いやいややっぱり42kmのフルマラソンは苦しさの次元が違った。

20kmを過ぎてからは「もうリタイアしようか」「いやいやまだまだやれる」という感情が数分おきにあらわれる。
弱い自分が現れるときは、「誰かに強制された訳ではないし、リタイアしても誰かに迷惑かけないよなー」ということが頭に浮かぶし、前向きでポジティブな自分が現れるときは、「もう少しペースを上げれば5時間切れるぞー」っとなる。

結果は目標とした5時間切りは出来なかったけれど、無事に怪我なく完走することが出来た。

弱い自分と前向きな自分を繰り返しながらもその結果を導いた原動力は明確だ。

28km過ぎからゴールまで結果としてご一緒した視覚障害のある方とその伴奏者の方にチカラをもらったことが大きい。
走者と伴奏者のお2人をつなぐのは、小さい輪っか。伴奏者の方はその輪っかと声かけで走者を導いていく。
その声かけを聞いていると実に繊細で思いやりのかたまりだったのだ。

『数メートル先は少し上りになります』
『ランナーが詰まっていますので、右斜め前に進みます』
『次の給水所まであと5kmです。頑張りましょう』


2人の信頼関係が着実に走者の足を前に進めている。

その姿をみていたら僕も自分に負けるわけにはいかない。
そういう気持ちが弱い自分を封じ込めたのだ。

フルマラソンを走り切ったのは結果だけをみると個人のチカラのような感じがするけれど、沿道の応援やランナー同士の励まし合いがあってのゴールだとしみじみ感じ、
仕事も人生も同じく沢山の人達に支えられながらの個人の歩みなのだと前向きな姿勢に転換させてくれたフルマラソンだった。