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真の実力

最近の朝活はオンラインでやっていて、やり方としては設定したテーマについて会話をしながら、その内容を要約していくのだが、その打ち込み画面を共有しながら進めていっている。

このやり方が良いのは、話した内容に対して双方に取り違いがないことを確認しながら進めていけることにある。

これは仕事をしていて僕自身が感じていたことで、打ち合わせをしていて同じ空間にいて会話が成立していたと思っていても、上司への報告議事録として整理したものをチェックしたりすると全く受け取り方が違ったりする場面に出くわすことがあったので、「伝わっただろう」とか「理解したはずだ」みたいな曖昧さは極力排除したいと思っていた。

そしてコロナ禍となり、オンライン会議のインフラが整備されて、画面に合わせての説明や確認が出来ることでその場で認識を正確に共有化できるようになったことは画期的だったといえる。

どこかしら対面には対面の、オンラインにはオンラインの良さや悪さはあるものなので、場面場面でうまく使いこなしていくということなのだと捉えている。

ただし画面共有メモは、会話した内容を記述する際に使うワードセンスが幼稚だと参加者全員に恥ずかしい姿をさらすことにもつながってくる。

文章はその人が持つ知性の度合いが出てしまうので、隠しようがないのだ。

いまさら実力以上の姿を見せようとしても逆にカッコ悪いので、やっぱり実力を上げていくしかない、ということで「センスは知識からしか生まれない」と以前読んだ本で言っていたので、地道に頑張っていこうと朝活を終えて、そんなことを思った次第である。