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故人を偲ぶとは今の自分と向き合うこと

先日は母(義母)の7回忌だった。
葬儀の時から来て頂いているお坊さんなのだけど、僕よりひと回りはお若くみえるそのお坊さんのお経やお話はいつも心に響くものがあって、お会いするのが楽しみな方だ。

今回はこんなお話をしてくれた。

「散る桜、残る桜も、散る桜」

江戸時代の曹洞宗の僧侶で歌人でもあった良寛和尚の辞世の句なのだが、
散っていく桜の中、まだまだ美しく咲き続けている桜もあって、皆それをみて美しいと言う。だけどその桜も永遠ではなく、いずれは散る桜となっていく、という歌だ。

どんなものも有限であるからこそ、今、この瞬間が尊い。

平均寿命などから、誰もが何の確証もないのに自分の死は随分と先のことだと想像してしまう。

でも人の死はいつ訪れるかはわからない。
明日かもしれない。

だからこそ与えられた命を大切にして生きることが大事なのではないだろうか。

しかしながら人は忘れてしまう生き物で、私も含めて誰しもがそうである。

だからこそこのような故人を偲ぶ法事や仏壇に手を合わせるなどの機会の度に大事なことを思いだす。
その繰り返しでよいのではなかろうか。

お話を聞いて、生前の母に思いを馳せながら、今を生きる自分と向き合う貴重な時間となった。

いつかは自分も散る桜だと意識して、咲いている間は美しい桜だと自分の周りの人たちに言ってもらえる生き方がしたい。

そんなことを思った母の7回忌でした。