合理的な練習、根性論はいらない。
私は、大学途中まで野球をやってきたわけだが、野球では、「意味を理解して納得してやる練習」というよりかは、「意味を理解せず、不合理な意味不明な練習」が多くあった。
なんのためにこの練習やってるのか。
高校球児の9割が、オフの日を待ち焦がれていると感じる。本来遊びでやってる、楽しいはずのスポーツに対して、休みの日を待っているのは明らかにおかしい。
それならば、早く辞めた方が良い。なぜなら休みを返上してまでもそれに没頭できないのだから。
前回の記事で書いた「本気度」にもあるが、人間は、心の底から本気で夢中になれないと本気になれない。
では、どうしたら没頭して、休みもいらないほど夢中に取り組めるようになるのか。
それは、上達のためにその練習をやる意味を理解して、「自分で」納得してからやる練習を行うことである。
やらされた練習で、メンタルが強くなるとかたかがしれていると思う。スポーツにおいて必要なのは、絶対的な技術のみ。
技術に自信がないからメンタルがどうとか言って、言い訳をする。
技術に自信がないということは、「合理的に行なった練習が足りていない」ということ。
やらされた練習は、なんの根拠もないため自信にはならない。
100回やって100回上手くいくことに人はプレッシャーは感じない。スポーツは、100回やって100回上手くいくことはない。
ただ、その確率を上げていくための合理的な練習を自分で考えて没頭して入れば自信がついてくる。
そして勝負は、その自信同士の戦いと言ってもいいと思う。
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