パリのアゲパン
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パリのアゲパン

 間宮林蔵がまだ樺太を島か大陸の一部か断定しかねていたころ、日本列島の片隅でど根性バレエという奇妙なバレエが生まれた。
 ど根性バレエとは、島国日本の島国根性を物事の根本にしておどる特殊バレエのひとつだ。視野を狭くたもち、静かに心を閉ざす。
「井の中の蛙( かわず)大海を知らず。空の青さを知る」ということわざがある。島国根性がど根性へと開花する精神を表現した、心が浮き立つようなことわざである。ど根性バレエの究極の理想だ。
 ど根性バレエは、幕末に大流行を見せた。島国日本を守るため、攘夷派はこぞってど根性バレエをおどった。「ええじゃないか」騒動のとき、人々は老若男女を問わず、ど根性バレエをおどった。しかし明治新政府により、ど根性バレエは弾圧され、やがて忘れ去られていった……。
 ある男がど根性バレエを歴史の闇から引きずりだした。間宮林蔵の末裔、間宮島蔵である。かれは大陸にわたり、超一流バレエ団の門を叩いたが、門前払いの憂き目にあった。やむなくヨーロッパを放浪するなか、ど根性バレエの浮世絵を模写したドガの絵に出会い、天啓にうたれる。間宮島蔵はど根性バレエの復活を決意した。
帰国後、精力的に日本列島各地をまわり、ど根性バレエの伝承をかきかつめた。それが、現代ど根性バレエのもととなった。
 そうして、ど根性バレエ団を設立。エグゼクティブ団長として八面六臂の活躍を見せている。
 そんなど根性バレエのうわさを、蛇行する偏西風が運び、フランス共和国に住むコンティネンの父の小耳がはさんだ。ドガの絵の崇拝者であったコンティネンの父は、むすめにど根性バレエを身につけさせたいと願い、すぐさま日本へ留学させた。――

 あん・ずう・とらあのかけごえもせせこましく、ど根性バレエ団では今日もみみっちい練習だ。
「思い込みはげしく!」
「もっと心を閉ざして!」
「視野を広げてはいかん!」
 そんな叱咤激励の声がとびかうなか、顔をゆがめ、耳をうたがうようなさけび声をあげたのは、ど根性バレエを学ぶために花の都パリから留学中の十八歳、コンティネンであった。
 コンティネンはお釈迦様すら発情しそうなコケティッシュなくちびるをひらいて抗議のさけび声をあげた。
「いんちきバレエは厭っ!」

 あん 
 ずう
 とらあ

 あん 
 ずう
 とらあ

 コンティネンのさけび声は、もはやフランス語とは思えない面妖なかけ声にかき消されてしまう。
 コンティネンはもう一度ふくよかなくちびるに魂をこめてさけんだ。
「いんちきバレエは厭ぁーーーっ!」
 魂のさけびがついに部屋じゅうにひびきわたる。
「やはり大陸人には無理だったか」
 この謎めいたひとこと発したのは、ど根性バレエ団のエグゼクティブ団長、間宮島蔵である。いかにも島国根性がありそうな太い眉をしている。
 間宮島蔵は語気を荒げてつづけた。
「ど根性バレエには島国根性が必要不可欠。フランス共和国、すなわちユーラシア大陸出身のワイドすぎるきみには、バーが高すぎたようだな」
 コンティネンは、はらわたとユーラシア大陸ゆずりのワイドなバストを煮えくりかえらせた。
「太陽王ルイ14世がヴェルサイユ宮殿でおどったというバレエをなめないで! ど根性バレエなんて邪道よ!」
 間宮島蔵の太い眉がさらに太くなった。
「コンチネン、きみはだいたい――」
「コンチネンじゃなく、コンティネンよ。『チ』なんて島国くさい言い方はやめて」
「プチトマト」
「プティトマト」
「わたしはエグゼクチブ団長です」
「あなたはエグゼクティブ団長よ!」
「あん・ずう・とらあ」
「アン・ドゥ・トロワ!」

「コンチネン、まだ大陸気分がぬけきれないようだな」
「ぬけきるつもりはないわ」
「愚か者め! きみは島国をバカにするが、世界じゅうからほれ、このようにど根性バレエを学びにきているのだ!」
 間宮島蔵は、二人を軽く無視して練習を続けているど根性バレエダンサーたちを指さした。
「イギリスから来たエリザベス! インドネシア出身のデビ!」
「ふん、島国ばかりね。あと、デビじゃなく、デヴィよ」
「アンはプリンスエドワードから!」
「プリンスエドワードは島国じゃなくて、セントローレンス湾に浮かぶカナダの小島よ!」
 コンティネンは地理にくわしい。
「そしてマダガスカル出身のこいつや、アイスランド出身のあいつ!」
「よく知らないのならいわないで!」
 大陸出身者でがんばっている者もいるぞ。韓国出身のユジン! インドから来たガンジー! ノルウェーのムンク! デンマークのキルケゴール!」
「韓国は朝鮮半島、インドはインド半島、ノルウェーはスカンディナヴィア半島、デンマークはユトランド半島……。全部半島じゃない! 島国の気持ちが半分はわかるんでしょうよ。」
 コンティネンは、地理にくわしい。
「しかも、デンマークの首都コペンハーゲンは、シェラン島という島にあるのよ!」
 コンティネンは豆知識を付け加えることも忘れなかった。

 あざやかに論破された間宮島蔵は、しかしとっておきのものを出すように眉をさらに太くした。
「きわめつけは、彼女だ。部屋のすみを見ろ!」
 コンティネンはいやいやながらも、エグゼクティヴ団長の間宮島蔵が指さすほうを見た。そこには点のようなものが見えた。それは点ではなかった。人だった。
「彼女こそ、ど根性バレエ団の星、瀬戸内海に浮かぶ小島、獄小島出身の聖愛(せいあ)だ。今は、ど根性バレエの基本中の基本、うずくまり健康法を実践中だ」
「わたしは、ぶら下がり健康法派よ!」
 コンティネンは背筋をのばした。
「だいたい、点になってどうするのよ」
「まだわからないのか、島は地図で見ると点みたいなものだろ。つまり、島=点なのだ」
「世界最大の島、グリーンランドは点には見えないけど」
「まだまだ修行が足りんのだ、グリーンランドは」
「怒られるわよ」
「かまわん」
「日本列島を構成する主な島、北海道・本州・四国・九州も点には見えないわよね。修行が足りないのかしら」
 コンティネンはいいところをついた。
「バカモノが!」
 間宮島蔵は逆ギレするしかない。

 間宮島蔵は話題を変えるため、コンティネンから目をそらし、一個の点と化した聖愛のほうを向いた。
「聖愛は俺が全国各地の離島をわたりあるいているときに見つけた秘蔵っ子だ。彼女は16歳のときまで地下牢につながれていて、そのときにもあのようにして牢のすみにうずくまっていた。まだ点ではなく、人間の頭ほどの大きさに過ぎなかったが、わたしはそこにうずくまりの才能を見出したのだ」
 間宮島蔵は得意顔である。
「わたしの人生とはおおちがいだわ。わたしは小麦商を営む出身の父とともに、幼いころから七つの海をまたにかけて、世界じゅうをわたりあるいたものよ。牢のかたすみでうずくまっているだけの人生なんて想像もつかないわ」
 コンティネンはおそろしさのあまりからだがふるえた。
「ビバ島国!」
 間宮島蔵はさけんだ。

 コンティネンは、もうお手上げという表情で窓の外を見た。
 島国なんて大きらい。帰りたいわ。帰りたいの。
 コンティネンはどこまでも青い青空を見た。この青空のむこうに、ユーラシア大陸があるのだわ。わたしのふるさと、ユーラシア大陸。――
「ああ、子供のころママンがよく歌ってくれた『ユーラシア大陸地方の子守唄』がなつかしいわ。
 世界の屋根ヒマラヤの神々しさ、
 ヨーデルで歌われるアルプスの牧歌的なおおらかさ、
 タイガやツンドラがひろがるシベリアのうら寂しさ、
 西アジアの油田で燃えさかる石油的情熱、
 ヨーロッパを吹きつつむ偏西風の母親のようなぬくもり。――」
 コンティネンはいちばん好きなフレーズを口ずさんだ。

 乳がゆれれば心もゆれる
 心がゆれれば乳もゆれる
 わたしの乳がゆれているのは
 偏西風のせいばかりじゃないのよ

 コンティネンは、ママンのおっぱいを思いだして、涙をうっすらとうかべた。
 間宮島蔵の怒声がとぶ。
「ふん! 間抜けめ! そんな規模のでかいものに執着しているかぎり、ど根性バレエはおどれんぞ!」
「うるさいわね。鳥取砂丘がゴビ砂漠に勝てると思っているの? リアス海岸がフィヨルドに勝てると思っているの?」
 コンティネンはお得意の地理の知識を活かして、逆捩じをくらわせた。規模の大きなものがきらいな間宮島蔵も島国の決定的な急所をつかれてかえす言葉もない。間宮島蔵の太い眉が少し細くなった。そこでついに禁句を口にしてしまう。
「そんなにいうなら、きみのふるさととやらのユーラシア大陸に帰りたまえよ! ゴビ砂漠で目に砂がはいり、フィヨルドの角で頭をぶつけてしまうがいい!」
間宮島蔵も地理の知識で負けてはいなかった。さすが間宮林蔵の末裔だけのことはある。
「わかりました。わたし、もうこれ以上このバレエ団にいることはできません。実家のユーラシア大陸地方に帰らしていただきます」
コンティネンは荷物をまとめて、ユーラシア大陸地方へと帰宅した。

 コンティネンは、ユーラシア大陸最大級の繁華街であるシャンゼリゼー通りをよたよたと歩いていた。ど根性バレエ団をとびだしてせいせいしたはずなのに、飛行機のなかでくよくよとど根性バレエのことを考えてしまい、一睡もできなかったコンティネン。猛烈な睡魔がおそうなか、コンティネンはもうろうとしながら、シャンゼリゼー通りをはずれ、いつの間にかガルニエ宮の前まで来ていた。
ガルニエ宮、通称オペラ座。フランスの国立劇場だ。現在は、オペラよりも主にバレエの上演が行われている。コンティネンのあこがれの場所のひとつであった。
コンティネンはガルニエ宮の扉をたたいた。
「はい、どちら様でしょうか」
 扉の向こうで怪しげな声がした。
 はっ。この声は!
「オペラ座のかいじんね!」
「ちっ。ばれちゃ、しょうがねえ」
 オペラ座のかいじんは扉をたくみな足さばきで蹴破って、姿をあらわした。
「かわいい!」
コンティネンは思わず歓声をあげた。
 オペラ座のかいじんは一九世紀末のような、おそろしい形相ではなかった。かわいらしい着ぐるみを着ていた。今やオペラ座のゆるキャラとして、客寄せパンダをつとめているのだ。
 みんなの人気者となった。だれからも愛され満足していた。
 しかし、そこへお釈迦様でも発情しそうなコンティネンがあらわれたのだからたまらない。オペラ座のかいじんは自分の真のキャラがゆるキャラではないことを思いだした。
「俺はかいじんではない、怪人だ!」
 オペラ座の怪人は本性をあらわした。
 コンティネンは錯乱した。
 こわい。
 と同時にねむい!
 オペラ座の怪人と睡魔のダブルパンチ。
 コンティネン、絶体絶命の危機である。

 コンティネンは睡魔に負け、ユーラシアの大地にからだをあずけた。ちょうど瀕死の白鳥が息絶えたときのポーズである。
 右足を前に、左足をうしろにつきだして、しゃがみこむ。上体をユーラシアの大地と平行になるまでたおし、両手は軽く右足の上でクロスさせる。
 コンティネンはバレリーナである。伝説のロシア人バレリーナ、アンナ・パヴロワの十八番「瀕死の白鳥」のこのポーズがいちばん落ち着くのだ。
 コンティネンの頬を、そよ偏西風がなでてゆく。コンティネンはすでにノンレム睡眠に入っている。無抵抗のコンティネンにオペラ座の怪人がおそいかかった。
と、そのときである。

 あん 
 ずう
 とらあ

 あん 
 ずう
 とらあ

 どこからともなく非フランス語的フランス語で、ど根性バレエ団特有のかけごえが聞こえてきた。日本からエグゼクティブ団長の間宮島蔵率いるど根性バレエ団の面々が、コンティネンを連れ戻すため、やってきたのだ。
 オペラ座の怪人はかれらのがさつきわまりない非フランス語的フランス語に耳をふさいだ。美的でないものに耐えられないのだ。

 あん 
 ずう
 とらあ

 あん 
 ずう
 とらあ

 ノンレム睡眠に入ったコンティネンにこのかけごえは届かなかった。しかし何ということであろう。コンティネンは深い眠りのまま、ポワントの姿、すなわち、つま先立ちで立ちあがり、手を白鳥のようにばたつかせ、ど根性バレエをはじめたのだ。
瀕死の白鳥はよみがえった。
 コンティネンは、表面上はど根性バレエを蛇蝎の如く嫌っていたが、自分でも気づかない心の底では深く共感し、おどろくほどその真髄をマスターしていたのである。そうでなければ、コンティネンがこのノンレム睡眠の最中にあって、ど根性バレエのせせこましいかけごえにからだが無意識に反応し、おどりだすなどということがありえたであろうか。
 コンティネンの豊満なバストがゆれる。
 乳がゆれれば心もゆれる。心がゆれれば乳もゆれる。

 耳をふさぎながらも、目はバストにひきつけられるオペラ座の怪人である。その一瞬、オペラ座の怪人が逡巡したすきに、かけ声にあわせてコンティネンのからだがうなった。

 あん

 コンティネンは右手を真っ直ぐに突き出した。恐るべき速さでオペラ座の怪人の顔に激突。格闘技の動きを取り入れたど根性パンチだ。

 ずう

 お次は左手がくりだすど根性チョップ! オペラ座の怪人の着ぐるみが破け、肩が裂けた。

 とらあ

 とどめはど根性キック! コンティネンの白魚のような右足が宙を舞う。鼻血で真っ赤に染まったオペラ座の怪人の股間にヒットだ。オペラ座の怪人は悶絶し、口から泡を吹いた。
「コンチネン、素ばらしいど根性バレエだ!」
 もっとも大きな声であん・ずう・とらあのかけ声をはりあげていた間宮島蔵は歓喜の声をあげた。他の面々もまばらではあるが拍手をおくる。しかし睡魔はふかくコンティネンをとらえたままだ。オペラ座の怪人はたおれても、睡魔は去らない。コンティネンはねむりつづける。

 先に目を覚ましたのはオペラ座の怪人であった。
「クリスチーヌ、クリスチーヌ……」
 クリスティーヌとは、オペラ座の怪人がかつて恋した歌姫である。
 間宮島蔵はこれを聞き逃さなかった。クリスティーヌではなく、クリスチーヌ……。
「さすがだな、オペラ座の怪人。地下生活が長かったせいで、ユーラシア大陸にいながらにして島国根性が身についているようだ。ちょうど、ど根性バレエ団の団長のポストがあいている。オペラ座の怪人よ、ひとつ、根性をいれかえて、いや、根性はそのままで、島国日本で再出発をしてみないか」
 間宮島蔵は太い眉を絶妙にうごかして勧誘した。
 ゆるキャラはもういや。
 オペラ座の怪人は二つ返事で承知した。
「これできみはオペラ座の怪人でもオペラ座のかいじんでもない。ど根性バレエ団の団長だ」

 コンティネンは、自分をおそったオペラ座の怪人が団長になったのも知らずに、ねむりつづけている。
「スーピースーピー」
 間宮島蔵の腕のなかで、かわいい寝息である。
 するとシャンゼリゼー通りのほうから偏西風にのって焼きたてのパンの香りがただよってきた。眠りながらも鼻をぴくぴくと動かすコンティネン。この香り。パパンが焼いてくれたパンの香り。
「パパンのパン、パパンのパン」
「どうした、コンチネン」
 パパンの声? コンティネンは夢の中でパパンを思い出していた。小麦商の パパンが焼いてくれたアゲパンが食べたい。
 間宮島蔵はコンティネンがパンを食べたがっていることを察した。コンティネンはすぐに小腹がすくのだ。間宮島蔵は、コンティネンがつねづね胃液が人より強力だとこぼしていたことを思い出した。そしてコンティネンの好物がアゲパンだったことも。――
「よし、みんなでシャンゼリゼー通りに行こう」
 一行は焼き立てのパンの香りのみなもとであるシャンゼリゼー通りに向かった。

 シャンゼリゼー通りにつくと、間宮島蔵はもとオペラ座の怪人に雑用をいいつけた。
「おい、新団長、初仕事だ。あそこのカヘでアゲパンをたくさんテークアウトしてこい」
 エグゼクティブ団長は団長をこき使う権利がある。たとえ団長の肩が裂けていようとも。
 もとオペラ座の怪人はさっそく使いっ走りに出された。

 いっぽうのコンティネン。
 父への強い思いがついに睡魔をうちやぶった。パパンに会いたい、パパンに会いたい。間宮島蔵の腕の中で、コンティネンは勢いよく目をあけた。
「パパン!」
 コンティネンは、パパンとまちがえて間宮島蔵に抱きつく。一瞬後、視界に入った太い眉を見て、ぎょっとしたコンティネン。すっとからだを離す。
コンティネンが抱きついたせいで、間宮島蔵の和服が血に汚れた。コンティネンはオペラ座の怪人の返り血を浴びていたのである。間宮林蔵はいらだった。きれい好きなのだ。
「血がついたじゃないか!」
 これを聞いてコンティネンは逆上した。せっかくユーラシア大陸にもどったのに、なぜこんな島国くさい言い方を聞かなくてはならないの!
「ティよ!」
「なに?」
「血じゃなくて、ティ!」
 間宮島蔵の表情がふっとやさしくなった。
「大陸魂は健在だな。それだけ元気があれば心配ない」
 間宮島蔵は太い眉をおだやかにうごかした。

「わたし、どうしたのかしら。なぜこんなティだらけに?」
間宮島蔵は、コンティネンがオペラ座の怪人をど根性バレエで撃退したようすを手短に説明した。
 信じられないといった表情のコンティネン。
「よく聞け、コンチネン。きみは、表面上はど根性バレエを拒否しても、二年間、島国日本でど根性バレエを修行した結果、からだのすみずみにまでど根性バレエがしみついてしまったのだ。だからこそ、無意識のうちにど根性バレエが出たのだ」
「そんな、そんなバカなことってないわ」
 コンティネンは猛烈な拒否反応を示した。
「パン、買ってきました」
 そこへ新団長のオペラ座の怪人が、裂けた肩を手でおさえながらもどってきた。
「コンチネンよ、まずアゲパンでも食べて、気を落ち着かせろ」
間宮島蔵は新団長から手渡された紙袋をあけた。そこにはアゲパンは入っていなかった。あきらかに揚がっていないパンが入っていた。
「なんだこれは?」
「アンパンです」
「アゲパンはどうした?」
「え、アンパンっていいませんでした?」
「ばかもん!」
 間宮島蔵は怒りを爆発させた。
 アンパンがシャンゼリゼー通りの宙を舞う。

 コンティネンはわなわなとふるえた。
 まず、自分をおそった張本人がいつのまにか新団長に就任していたという事実にふるえた。
 次に、新団長がアゲパンを買ってこなかったという事実にふるえた。
 コンティネンは怒りが頂点に達し、ど根性バレエをおどりだす。
 そのこせこせとしつつも美しいうごきに見とれる新団長ことオペラ座の怪人。
 コンティネンは、くるくると小器用に回転した。その勢いを利用して、ど根性ローリングソバットが炸裂。
 オペラ座の怪人は灰燼に帰した。

「それだよ、コンチネン」
 新団長が灰燼に帰したことを毛ほども気にせず、エグゼクティブ団長の間宮島蔵は快哉をさけんだ。
 コンティネンは我にかえって、がく然とした。そんな、そんなバカな。パリの青空を見上げるコンティネン。
 しばらくして、顔のかたすみにあきらめたような笑いがうかんだ。
「そういうことだったのね。わかったわ。たしかに、わたしのからだにはど根性バレエがしみついている。そのことは認めるわ。そんな自分に腹が立つけどね。でもね、わたしは島国には帰らない。このユーラシア大陸の大地に骨をうずめるのよ」
 コンティネンはどこまでも強情であった。
 間宮島蔵は作戦を切りかえた。
「コンチネン、さっき小腹がすいたといわなかったか?」
「ええ、いったわよ。あたしは今、山ほどすいた小腹が立っているのよ!」
「ならば、コンチネン、目の前のカヘからただよってくる焼きたてのパンの香りに誘われてみようではないか」
「カヘ?」
「カヘだ」
「カフェでしょ!」
 ぐいぐいと大陸流をおしてくるコンティネン。
「新団長がいなくなったから、しょうがない。ガンジー、アゲパンを買ってきてくれ。アンパンと間違えるなよ」
 ガンディーはものすごい圧を受けて、アゲパンを買いに走った。

 ここでいうアゲパンとは、ユーラシア名物アゲパン・ドゥ・パリのことである。
 フランスパンをもとにつくられ、太陽王ルイ十四世がバレエをおどる前後によく食べていたとされる創作パンだ。周知のとおり、コンティネンの大好物である。
 ガンディーがかえってきた。
「すみません、一個しかありませんでした」
 コンティネンはど根性パンチを躊躇なくお見舞いした。
 ガンディーの丸メガネがくだけちった。
 アゲパン・ドゥ・パリがガンディーの手からこぼれおちる。
 そのとき、一陣の偏西風が巻きおこった。偏西風に無慈悲にとばされるアゲパン・ドゥ・パリ。――
 コンティネンのからだがうごいた。
 これを失えば小腹が満たされないという切迫した危機感。
 アゲパン・ドゥ・パリをうばったと同じ偏西風の流れにのって、ど根性バレエのせせこましいうごきで、アゲパン・ドゥ・パリをみごとにキャッチ!
 シャンゼリゼー通りにどよめきが走った。
もういいのがれはできなかった。コンティネンの完敗である。コンティネンはようやく素直に認めた。
「どうやら、あたしの負けのようね。右手に握っているこのアゲパン・ドゥ・パリがその証拠よ……。もう『ドゥ』なんてまどろこしい言い方はやめるわ。アゲパン・ド・パリよね……。わたしのパパンは小麦商で、よく商品の小麦をちょろまかして、アゲパン・ド・パリをつくってくれたの。そんなパパンのアゲパン・ド・パリが大好きだった。パパンは去年死んだわ。島国の日本にわたしを留学させたことをいっときは恨んだりもしたけど、わたしはパパンが好きだった。だから、偏西風にとばされていくアゲパン・ドゥ・パリを見て、なんとかパパンを取り戻そうと思ったのね。大切なものをとりもどそうと、わたしはど根性バレエを活用した。ということはつまり、わたしにとってど根性バレエも大切なものなのだわ」
「わかってくれたか、コンチネン。俺はうれしいぞ。さぁ、アゲパン・ド・パリを小腹いっぱい食べなさい。もっとも、それっぽっちじゃ、胃液が強くて、食いしんぼうのきみには足りないかもしれないがな」
「まあ、エグゼクチブ団長ったら」
 間宮島蔵とコンチネンは、見つめあって心から笑った。つられて、ど根性バレエ団のほかの団員も笑う。シャンゼリゼー通りに笑い声がこだました。ガンジーも裸眼で笑った。エッヘル塔も笑った。

 コンチネンはアゲパン・ド・パリを食べようとして、一口大の大きさにちぎり、口までもっていたが、突如うごきを止め、そのひとかけらを間宮島蔵に渡した。間宮島蔵は太い眉で優しくほほえみながら受けとったが、すぐに考え直し、こういった。
「いいよ、コンチネン。胃液の強いきみのことだ。全部きみが食べなさい」
 間宮島蔵はひとかけらのアゲパン・ド・パリをコンチネンに返却しようとした。
 そのときである。
 間宮島蔵の太い眉がするどく光った。
「アゲパン、アゲパン、パンアゲ、パンアゲ、パンゲア!」
 間宮島蔵の甲高いシャウトにたまげる一同。
「よく見るんだ、コンチネン」
 間宮島蔵は、さっきコンチネンから受けとったアゲパン・ド・パリのひとかけらをもとのアゲパン・ド・パリに合体させた。そしてまた、離した。
「わかるかい」
 コンチネンは間宮島蔵をバカを見るようにふしぎそうに見つめた。間宮島蔵は、何度も何度も二つにわかれたアゲパン・ド・パリをくっつけたり離したりしている。
 シャンゼリゼー通りを夕陽が照らす。真っ赤に染まるアゲパン・ド・パリ。――

 しばらくすると、バカを見ていたようなコンチネンの表情におどろきの色がうかんだ。その色にだんだんと尊敬の色がまじりはじめ、顔じゅうがおどろきと尊敬でいっぱいになったその瞬間、コンチネンはぬれたくちびるをなまめかしくひらいた。
「大陸は大きな島、島は小さな大陸……」
 地理好きのコンチネンは感動の涙をうかべている。ど根性バレエに対してまだかすかにもっていた残り香のようなわだかまりすら、すっかり完全に一掃された瞬間であった。
「そのとおりだ、コンチネン。きみはやっぱりバカではないな」
 間宮島蔵がほめるともなくほめた。まったく事情を飲みこめないど根性バレエ団の他の団員はただただぼうぜんとするばかりだ。
ムンクは小首をかしげ、顔をゆがめた。

「きみたちは大陸移動説ということばを聞いたことがあるだろう。アルフレート・ベーゲナーというどえらい学者がとなえたかっこいい説だ。かれは、地球上にバラバラにわかれて存在する陸地がかつてひとつのかたまりであったと主張したのだ」
「ひとつのかたまり?」
 エリザベスが女王のように優雅におどろいた。
 コンチネンはたまらなくなってさけぶ。
「その陸地の名こそ、パンゲア!」
 地理好きのコンチネンのからだがつやを帯びはじめた。
「そうだ、コンチネン。きみのふるさとであるユーラシア大陸はおろか、島国の日本やイギリス、インドネシア、マダガスカル、アイスランドのみならず、朝鮮半島やインド半島、スカンジナビア半島、ユトランド半島、そしてプリンスエドワード島さえも同じひとつの陸地だったのだよ」
 アンが赤毛を激しく揺らして驚がくした。
 コンチネンはアンの表情を見て、満足げに説明をつけたす。
「気の遠くなるようなはるかむかし、ひとつだった陸地が地球をおおうプレートの運動により、じょじょに分裂、移動したのね。このアゲパン・ド・パリのように!」
 コンチネンがうながすと、間宮島蔵は、さっきと同じように、ふたつにわかれたアゲパン・ド・パリをくっつけたり離したりした。ど根性バレエ団の他の団員にも事の全ぼうがあきらかになってきた。ユジンの頬にひとすじの涙がつたう。

 コンチネンはオペラ座の怪人におそわれるまでど根性バレエ団の落ちこぼれだった。その原因の大半は、彼女が島国ではなく、大陸出身者であるからだと思われていた。特に大陸のなかでも、最大の規模をほこるユーラシア大陸だからなおさらである。また、ユジンやガンジー、ムンクのように半島出身者でもないのはあきらかに不利であった。
 しかしもともと才能はあった。かたくななまでにど根性バレエを受け容れないその姿勢、大陸流をおしとおす強情さ、これらはすべて島国根性といっていいだろう。
 ユーラシア大陸がいわば超巨大なユーラシア島なのであれば、島国根性でおどるど根性バレエを否定する理由はない。いや、むしろ最大の島であるという利点を生かし、最大の島国根性でおどることができるのだ。
「フランス革命より革命的だわ」
コンチネンは大陸=島という発見に感動していった。
「あんなものフランス改革よ」
「そのとおりだ、コンチネン」
 間宮島蔵はやけに自信にみちた声で他国のことに口を出した。
「この革命的な新発見により、ど根性バレエは飛躍的に全世界に普及することになろう。島国根性をなかなか身につけられなかった各大陸のど根性バレエ愛好家に夢と希望をあたえることになるのだ。コンチネン、きみこそその功労者だ」
 コンチネンの乳がワイドにゆれた。間宮島蔵のことばに心がうごいた証拠だ。

 乳がゆれれば心もゆれる
 心がゆれれば乳もゆれる
 わたしの乳がゆれているのは
 偏西風のせいばかりじゃないのよ

 コンチネンのゆれる乳を見て、涙する団員たち。デビとキルケゴールは号泣した。

「みなさん、おまちどお!」
 突如、サンタのように大きな袋をぶら下げて、カヘのおやっさんが現れた。 ガンジーがさっきアゲパン・ド・パリを買ったカヘの店主だ。
「悪いが、今の話は全部聞かしてもらったよ。わたしも大陸移動説の話に感動してね。きみたちにアゲパン・ド・パリをもっと食わせてやりたくなったのさ」
「でも、あれが最後のひとつだったのでは?」
 ガンジーが目を凝らして問うた。
「なあに、オーブンのクイック機能を使って何とか短時間で焼き上げたよ。さあみんな、召し上がれ!」
「ありがとう、おやっさん!」
「わあ、わたしの大好きな黒ゴマのアゲパン・ド・パリもあるわ!」
 コンチネンの胸がさらに大きくゆれた。カヘのおやっさんは大喜びだ。

 みんなはアゲパン・ド・パリをむさぼるように食べた。
 コンチネンが大好物の黒ごまのアゲパン・ド・パリにかぶりつこうとしたその瞬間、おそるべき跳躍によって、点のようなものがコンチネンのもっている黒ごまのアゲパン・ド・パリにくっついた。そのことに気づいた者はいない。
 コンチネンは大きく口をあけて、黒ごまのアゲパン・ド・パリにかぶりついた。
「やっぱり、黒ごまのアゲパン・ド・パリは、最高においしいわ!」
太陽は、ほぼ地平線の向こうに沈んだ。空は赤から濃い青色へと変わっていこうとしていた。
 コンチネンが食べた黒ごまのアゲパン・ド・パリ。――
 黒ごまのひとつと見えたものは、黒ごまではなかった。日本から点となってやってきた獄小島出身の聖愛であった。聖愛は点となって、この騒動を見ていたが、アゲパン・ド・パリが食べたくなったのだ。さきほどのおそるべき跳躍はど根性バレエのきびしい修行の成果であろう。
 それが仇となった。
 ほかの黒ごま同様にコンチネンの胃袋の中にとりこまれてしまったのである。
コンチネンの強力な胃液にさらされた聖愛。――
点となった体の半分は、すでに溶けていた。
「コンチネン、おいしいかい」
間宮島蔵がやさしく聞いた。
「うまーーーーーーーーーい!」
コンチネンは胃袋が見えるほど口を大きくあけてさけんだ。
そのとき、聖愛はコンチネンの胃のなかからかすかに見えるパリの空を見た。
 紺青(こんじょう)にかがやくパリの空を。――
聖愛が見た最期の光景であった。

「わたし、もう小腹がいっぱい!」
 コンチネンは百個のアゲパン・ド・パリを食べ尽くした。
「よし、じゃあ、小腹ごなしにみんなでど根性バレエをおどろう!」
「ウイウイ」

 あん 
 ずう
 とらあ

 あん 
 ずう
 とらあ

 ど根性バレエ団のせせこましいかけごえにおされるように太陽は完全に沈み、シャンゼリゼー通りは夜のくらやみのなかに消えてゆくのであった。

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