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目標達成に必要な要素

なぜ望むことはなかなか叶わないのか?

 今日は将棋の話題というよりも一般論として、目標や夢、こうなればいいなと願う事がどうしてなかなか実現しないのかについて考えたいと思います。
 正確に言えば一部の人は、トントン拍子に上手くいくのに、大半の人は目の前の目標達成にすら四苦八苦するという状況ですね。このような理不尽がなぜ起こってしまうのか見ていきたいと思います。

努力は目標達成の一部の要素に過ぎない

 京大卒の元ニートphaさんの「人生の土台となる読書」という本にこういう記述があります。「世の中でうまくいっている人間は、本人の努力の結果という以上に、環境に恵まれていたり、運に恵まれていたりすることが多い。」彼は、京大という学歴を手にしながら、サラリーマンとして働くよりも物を書いたりして細々と暮らす道を選びました。

 これは捉えようによっては、心のどこかで京大卒の彼がニートになったことに対して少なからず負い目を感じていて、こうなったのは自分のせいではない、と思い込みたいが故に出た主張であるともとれます。しかし、本当に自分の生き方を肯定するためだけに出た主張でしょうか?

 実際に世の中で様々な分野で何かを成し遂げた人の声を聞くと、成功者自身が今の状況が生まれたのは自分の努力の結果というよりも、運や環境に恵まれていたからだ、と捉えていることが多い印象です。

 例えば、株で一財産を築いたbnfというトレーダーは、自分がこれだけの利益を出せたのは、自分のトレードが優れていたというよりは丁度ITバブルの頃に株を始め時代の波に乗れたことが大きいと語っています。

努力量と成し遂げたことが必ずしも比例していないことは事実

 将棋の話に戻りますと藤井8冠は将棋界では一番の成功者として名が上がる存在かと思います。彼が、プロになったのは中学生の時ですが、中学、高校の頃どれくらい将棋の勉強をしていたかというと、平日は学校があるので一日3時間ほど、休日は5,6時間ほどだったそうです。(将棋戦法事典100+マイナビブックより)
 思ったよりも、少ないと感じる方が大半ではないでしょうか?

 対照的に、彼と幾度となくタイトル戦や棋戦で争ってきた存在として名が挙がる永瀬9段ですが、彼は努力の人として有名です。彼は努力は裏切らないと信じており年間5000時間も将棋の研究をしているとさえ言われています。
 その話が本当なら、藤井8冠の3倍~4倍の努力をしてきているはずです。
 しかし、現実を見るとタイトルを独占しているのは藤井8冠の方です。これだけ見ると、努力量と成し遂げられた結果がまったく釣り合っていません。

では成功にはどういう要素が大きく絡んでいるのか?

 努力の量が必ずしも得られる結果と比例しないとすると、成し遂げる結果に大きな影響を与えている要素は何でしょうか?
 
 先ほど挙げましたように、まずは運や環境があげられると思います。将棋で言ったら、たまたまいい指導者に恵まれた。たまたま、一番の伸び盛りの時期にすでにAIという研究ツールを利用する環境が整っていたなど、運や環境が藤井8冠の成長を後押ししたのは疑いようもありません。

運や環境、努力以外に目標達成に関わる要素

 努力、運、環境以外で目標達成に関係がある要素として私が感じるのは本人の意識です。つまり、本人がどういう風に考えているかが目標達成に大きく関与しているということです。

 例えば、現在B級1組で活躍している某棋士が中学生の頃、私がたまたま彼と同じ市内の学校に勤務していた関係で、彼の出身中学校のPTAが発行する会報を読む機会がありました。

 そこに将来の夢と題して彼が書いた夢が衝撃でした。なんと、「永世7冠になる!」というものです。私は当時奨励会員だった彼をまったく知らなかったため、こんな大それた夢を抱くのはどんな大物なのかと正直思ってしまいました。それ以来、彼の活躍に注目するようになったものです。

つまり成功者はその何倍もスケールの大きいことを本気で考えていることが多い

 その永世7冠という当時は前人未到の大きな夢を掲げていた彼でさえ、まだタイトルを一つも取っていない状況です。しかし、若くしてすでにB級1組で活躍、タイトル戦の挑戦者決定リーグ入りも果たしたことがありますので将来的にはタイトルを獲得する可能性は十分あります。

 ここで、私が言いたいことは、その人の本当に成し遂げたいと思う事は所詮その人の中では夢になってしまうので中々実現しにくくなってしまうということです。また、藤井8冠を例に出しますが、彼は将棋に負けるのが悔しいという気持ちが人一倍強く、負けたくない、勝ちたいという一心で努力してきたようです。

 そして、現在は、ただ一人将棋の真理を追究するために研究に取り組んでいます。大袈裟に言えば将棋というゲームの本質の解明、最善の追求といった意識レベルで将棋に取り組んでいると思われます。

 もちろん少しはあるでしょうが、恐らくはタイトルとか永世称号といったものにはあまり頓着していないでしょう。それは、先の名人戦第4局での負けがほぼ確定した時の彼の悔しそうな表情を見れば分かります。もし、タイトルだけに固執していたら、今回負けてもまだ3勝1敗でタイトル防衛に何ら危うい所はなく、そんな悲壮な表情を浮かべるはずがありません。
 ただ、目の前の対局に負けることが悔しい、と気持ちだけでしょう。

 そういったトップ棋士たちの意識と現実の結果を見比べてみると、描いている理想の2、3割が現実に実現していると言った感じでしょうか。
 冒頭に述べた、いとも簡単に実現してしまう人と、目の前の目標達成にすら四苦八苦する人の差は、実はこのような本人の意識の差が一番大きいのではないかと思っています。

目標は夢ではなく、意識の中で実現して当然レベルにまで落とし込むことが大事

 結局何が言いたいかというと、まず一つは、意識の中で夢にしてしまうと、所詮夢は夢で叶いませんよ、ということです。
 また、夢という形でなくとも、自分の意識のどこかで実現不可能という植え付けを自分で行っていたら一生その目標は達成できないということです。

 そういう自分自身が目標実現をセーブしてしまう状況は、周りからの影響でも起こり得ます。例えば、周りの人から、お前はダメだとか、成功するなんてほんの一握りの人間しかできないことだとずっと言い続けられてきたような人は無意識のうちに何か目標を達成することはとてもハードルが高いものと思い込まされてしまいます。
 自分自身の意識が成功のストッパーとなってしまうことは一番怖いことです。
 
 努力しても努力してもまったくうまくいかないという人は、何か自分の意識の中で邪魔している要素がないか疑ってみることも大事かと思います。
 


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