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主体性を持って生きる

今日は元教育委員長の平川さんと工藤勇一先生の
Voicy対談を聞いて、考えたことについて書いていきます。


◯2人を知ったきっかけ

この対談を知ったきっかけは、のもきょうさんのVoicyで、平川さんがゲストに呼ばれて対談していたところから。元教育委員会教育長で小学校にイエナプランと呼ばれる従来の学校教育からかなり自由な教育改革を進めていった方。

工藤勇一さんの方は、もう少し前から知っていて、田村淳さんのラジオにゲストで来ていて話を聞いたのが最初のきっかけ。
工藤先生も校長先生をしていて、校則とか行事とか、色んなルールを子ども主体で自由化して学校のあり方を変えていった方。
色々書籍も出されており、親でなくてもぜひ一冊読んでほしい。

◯主体性が必要ない教育

この2人の対談で出たワードに、今の子ども、教育を受けた人は主体性がない、ということ。

主体性とは、自らの頭で考え、判断し、行動する力。

教育のあり方が主体性を必要としない教育になっている、とお二人は話します。

先生の話を座って聞くことができる。
答えのある問いを解いて丸の数が多い人が優秀。
校則やルールを守れる子がいい子。
集団行動ができて輪を乱さない子が協調性のある子。

どれにも自分の意思は求められず、むしろ敬遠されます。
そんな教育を受けた子どもが大きくなるとどうなるか。

何でも人に聞いて一つの答えを求めたがる。
マニュアルや規則がないと不安になる。
自分の意見より周りの意見や周りがどう思っているかが気になる。

主体性のない大人の話が出た時、他人事とは思えずドキッとしました。
何でも人に聞いて、自分の頭で考えることを疎かにしていないか。
人の意見と自分の意見が違う時、周りに合わせなくては、と思っていないか。

○子どもの幸せを願う

対談の中で工藤先生が話した言葉で印象的なものがあります。

親は子どもの幸せを願うじゃないですか。じゃあ、子どもの幸せって何かというと、子どもが世の中に出た時に周りの人の力も借りながら自分の力で歩んでいくことができるようになることで、子育てはそれができるように支援することだと思うんです。子育ては子どもにどう手をかけるか、ではなくどう手を離していくかが重要だと思うんですよね。どう手を離すためにどう手をかけるか。

子どもの幸せって抽象的な言葉で捉えづらいけど、自分の力で歩んでいく力、という言葉で言い換えられるとなるほどな、と感じました。
親の自分がいつまでも面倒を見れるわけでもない。子ども自身が自分の力で周囲と関わりながら生き抜いていく力をつけることが子育て、教育の目的ではないのか。
そのためにどう手を離していくかを考えることが子育てで大切である。

○大人が待つことを厭わない

このどう手を離していくかという部分がかなり難しいのだろう、と子育てをしながら思います。大人がした方が早い、時間がないから、と着替えを代わりに全てやってしまったり、危ないから、と遊具で遊ばせなかったり。
かくいう私も、仕事をしていたときの平日の朝は子どもを急かして、着替えや靴の脱ぎ履きも全て手伝っていました。時間(基本的に自分)に余裕がないと子どもの動作を待つ、ということはなかなか難しいです。
だだ、大人が先取りでやってしまうことで子どもの経験や体験を奪ってしまっている、という認識は忘れずに持っていようと今回感じました。
待てるだけの余裕がない自分側の生活にも考え直す必要があるな、ということも。
忙しすぎる生活はそれだけ自分の心の余裕も無くなってしまいます。
余裕がなくなると、他者に優しくなれない。
優しくなれない自分にまた自己嫌悪する。
といった悪循環に陥りやすいのです。経験談ですが。

自分の暮らしをどのように設計していくか。
ここから始めていきたいと思います。

おわり。






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