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神田橋條治の治療思想と東浩紀による郵便論的世界 5

5   やや抽象的だが、問題を俯瞰的に整理しよう。   まず「否定神学」という問題があって、否定神学批判を行った哲学者東浩紀さんという人がいて、そのひとの考えと重ね合わせるようにして、神田橋條治先生の『精神援助技術の基礎訓練』を読んできた。「人類皆発達障害」という時代になって、医療が医療である、あるいは医者が医者で、患者が患者である根本的な条件がそのままでは成り立たなくなっていって、とくに「抱え」のちからが乏しくなり、その結果、「自由連想」のちからも衰えた結果、さまざまな場所

    • 神田橋條治の治療思想と東浩紀による郵便論的世界 4

      4   葛藤の問題に戻ると、そもそも、葛藤が現実に生きられるものではなく、「イメージ的なもの」つまり概念的なものになってしまうのにはどのような問題があるのか。   たとえば、「精神分析とイメージ」(1979)には、こうある。 つまり、イメージというのはそれだけですでに「誰か」から切り離されてしまっている心的現象であるので影響力はない。ところが、ときどきイメージがまるでドミノ倒しのように、治癒のプロセスを賦活させる、という、役割を担うことがある、と。   その時起こっているこ

      • 神田橋條治の治療思想と東浩紀による郵便論的世界 3

        3   いま、僕が書いたのは、治療者として精神科医の神田橋條治先生が治療法を試行錯誤していった結果として遍歴した流れと、現代思想あるいは哲学者の東浩紀というひとが哲学の世界で悩み遍歴した流れに、共鳴、相同するような流れがあった、という内容だった。   ところで、神田橋條治先生の治療法の流れには2つあって、ひとつには「ファントムとしての治療法のハウツーの開発」、そしてもうひとつは言語化しようにも言語化仕様もない、理論的でも言語的でも行動的でもなんでもない、なんというか、「非言語

        • 神田橋條治の治療思想と東浩紀による郵便論的世界 2

          2   僕は、この事情を書きながら、現代思想の領域における哲学者東浩紀の「否定神学批判」を連想する。   つまり、否定神学というのは体系の外部にあって、だから、だれもそこに手を伸ばすこともできないし、それを「カタチ」(ファントム)として表すこともできないのだが、コミュニケーションすることができないのだが、しかし、それが体系全体を規定しているという、「否定的(ネガティブ)な外部」のことで、「…ではなく、…でもなく」という形で、規定される神々、あるいは超越論性のことである。  

        神田橋條治の治療思想と東浩紀による郵便論的世界 5

          神田橋條治の治療思想と東浩紀による郵便論的世界

          編集中 1  神田橋條治先生に「精神分析とイメージ」(1979)という論文がある。   神田橋條治先生は、精神分析の歴史の中で、葛藤が、生きられる体験であるのではなく、概念的な、ようするに、無意識的領域にあるものとして、次第に奥まった場所へと理論化されていくことを述べ、さらにそれを慨嘆しつつも、必然的な流れであった、という。   この結果、自由連想どころか、診察室の解釈としてですら、葛藤は何らの会話の材料にはならないのだ。葛藤は「目に見えるもの」ではなくなった。「耳でやりとり

          神田橋條治の治療思想と東浩紀による郵便論的世界

          ノイズ、連続現像、直観像④

          4 意識の息苦しさ 哲学者のニーチェはいう。 僕は、「柳の樹に幽霊を見る訓練」について考え、試行錯誤しているが、基本的な困難はここにある。「徹頭徹尾、まず調整され、単純化され、図式化され、解釈されている」のとは逆の方向へいかなければいけないのだ。僕は「遡行」と表現する。 さいきん、ふと、気づいたのだが、ロールシャッハのテストのイラストがある。あれは、極めて、「フラクタル性」が高い図形なのではないのだろうか。   精神科医の中井久夫先生はロールシャッハテスト用の画像を名人

          ノイズ、連続現像、直観像④

          直観像、ノイズ、フラクタル③

          3 幸せのフラッシュバック くぐり戸 「三軸修正法」という整体法で有名な池上六朗先生は、もともと船乗りで、治療するときには、自分が大海原のまんなかにいるイメージで施術をするらしい。   僕が生死の危機で入院して、たくさんの管と心電図に繋がれていたとき、ふとかわいがって育てていた「鶏たち」の住んでいる小屋とその周辺の地図の視覚運動イメージを僕の周囲に思い浮かべた。   そのとき、痛みが和らいで、苦しみどころか安らぎの気持ちが湧いてきたのだった。 「池上六朗先生が言っていたの

          直観像、ノイズ、フラクタル③

          直観像、ノイズ、フラクタル②

          2 ニューラルネットワークとノイズ   近頃生成AIが話題になっている。   僕はみずからの生活処理能力には全く自信がないので、使えるものは何でも使おう、と考えるようになった。そのためか、生成AI に興味だけはあった。が、『人工知能の哲学』鈴木貴之を読んでいて、敵対的生成ネットワークの記述を読んでいたときに、ふと、単に文明だけでなく、自分個人の人生にとって重要な意味を持っていることを理解した。   生成AIは、いわば人間の脳神経を真似たニューラルネットワークというものを利用し

          直観像、ノイズ、フラクタル②

          直観像、ノイズ、フラクタル①

          1 直観像と雪のノイズ 内臓の手術のために入院しなければいけないことがあった。   とはいえ、それほど痛みもなく、短期間で済むというので、準備をして色んな本を持っていった。それで、「フラクタル」高安秀樹、という本。それから、「人工知能の哲学」という本。その二冊を続けて読んでいたとき、その二冊の内容が、「ノイズ」という言葉によってつながった。 そのころ、僕は、もはや手術も終わったので、ぼーとリハビリをしながら、ひたすらいろんなノイズの観察を通して「整体・気功」の練習をしてい

          直観像、ノイズ、フラクタル①

          ノイズ、連続現像、直観像

          直観像を観察する練習を続けながら、その現象について考えていくにつれて、次第に「フラクタル」と「ノイズ」の概念が実際に関係していることが明らかになってきた。 僕は「ノイズ」という言葉を多義的に用いている。これでは混乱する場合も出てくるだろう。人によってはまったく合理的ではないと考える人がいてもおかしくはない。 そこで、一度、僕が「ノイズ」関連の用語をどのように用いてきたかをここで整理してみる。 もともと、「ノイズ」という用語は、僕が最初に考えたときには、「ピントとノイズ」

          ノイズ、連続現像、直観像