「呼び方はなんでもいいです!」という自己紹介はめちゃくちゃめんどくさい
2023年1月19日(木)朝の6:00になりました。
どうも、高倉大希です。
呼び方はなんでもいいです!
自己紹介の項目のひとつに「呼び方」があります。
この「呼び方」という項目、なかなかに苦労します。
自分で「『高倉さん』と呼んでください!」と言うのもなんだか変だし。
「『高倉』と呼んでください!」と言うのも、いきなり呼び捨ては呼びづらいだろうなとも思うし。
だからと言って、最初から「あだ名で呼んでください!」というのも、妙に馴れ馴れしい気がするし。
正解がなかなかみつかりません。
最終的には、このような思考をぐるっと1周したあとに「呼び方はなんでもいいです!呼びやすいように呼んでください!」だなんてことを、我々は言ってしまいます。
「『高倉』でも『大希』でも、『タカ』でも『クラ』でも、なんでもいいです!」だなんて補足を加えた日には、もう最悪です。
要するに「自分で決めるのはしんどいからあなたが決めてね!」と、相手に放り投げているわけです。
さらにタチが悪いのは、それを優しさだと思っている節があるところです。
「あなたが決めていいんだよ!なんなら候補も出してあげたよ!好きなものを選んでね!」という「よかれと思って」がそこには内包されています。
基本的に、意思決定は体力を消耗します。
「なんでもいいです!」と言ってしまうと、冒頭に書いたような一連の思考を、相手がしなければならなくなります。
しかも、何度も言うとおり、自己紹介をするような間柄です。
なんでもいいと言われても…。なんて呼べばいいんだろう…。
呼び捨ても、あだ名も馴れ馴れしいしな….。
無難にさん付けで呼んでおくか…。
でも相手は年下なんだよな…。後輩なわけだしな…。
いつ「さん」を取ろうかと、あとで悩むのもめんどくさいしな…。
ただ、やっぱり呼び捨てもあだ名も勇気がいるんだよな…。
なんてことになるわけです。
これはなにも、呼び方だけに限った話ではありません。
スケジュールを決めるときや、食べるものを決めるときもまったくおなじです。
「いつがいいですか?」「なにが食べたいですか?」
聞いている方は、きっと優しさのつもりです。
しかし、それは相手に「これから決めて提案しなければならない」というタスクを押し付けているのと同義です。
そんなタスクを押し付けられるくらいなら
「『クラ』と呼んでください。よろしくお願いします!」
「1/19(木)の6:00からとか、どうですか?」
「今日のおひるごはん、中華とかどうですかね?」
と言ってくれた方が、よっぽど楽です。
言われた側は「YES」か「NO」だけを答えればよいわけです。
本当に細かい話でした。
本当に細かい話なのですが、これこそが気遣いの正体だと思っています。
もしかすると無意識のうちに、自分が嫌なものを相手に押しつけてしまっているかもしれません。
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