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クリスマスのイルミネーション

9月末から11月初めにかけて帰国していたため、イタリアよりも一足早く、クリスマスの飾り付けを東京のあちこちで見かけました。

「日本ではクリスマスをお祝いするの?」
この時期、良くイタリア人に訊かれます。
「な訳ないよね?日本人はカトリックじゃないものね⁇」
というコメントがそれに続きます。
イタリアでは、通常、キリスト教徒=カトリック。

「とんでもない!イタリアよりもずっと派手にお祝いするのよ。でも、商業主義的なクリスマスの祝い方だし、イタリアと違って祭日でもないわね。ご馳走を食べたりお酒を呑んだりするための最高の口実よ。」
とシニカルに答えたつもりが…

「あゝ!それならこちらと同じね!」
なんて言われてしまったりします。

こう返されると、あ、最近は、イタリアもそうかもねと納得してしまう部分があります。
だからこそ、クリスマスの翌日、ご馳走の食べ残りやプレゼントで新たにたくさんもらったオモチャによって廃棄処分となった古いオモチャがゴミ箱から溢れるほどに詰め込まれている状況を嘆くローマ教皇が、人々に語りかけるのです。

「クリスマスはキリストの教えに帰って他者への慈愛の心を思い起こし、自分よりも恵まれない人たちへ手を差し伸べる日であることを忘れないように!」

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因みにイタリアでは、一応、ゴミの廃棄は分別にはなってますが、普通は、上の写真のような廃棄物の種類別に用意された大きなゴミ箱が道に設置されており、いつでも好きな時にゴミ箱に住んでいる地区といった縛りもなくゴミを捨てられるようになっています。

今は、キリスト教の教義について語るつもりはありませんが、キリスト教徒にとっては、世界の救世主であり、人の道を説き、導く存在イエス・キリストの誕生(到来)を祝うという宗教的な意味を持つのが、クリスマスです。

確かに単なるお祭り騒ぎになって良いはずがないのですよね。
しかもコロナ禍は色んなところに爪痕を残しています。まだ、収束したわけでもありません。

それでも、高度経済成長期に幼少期を過ごした私は、家にテレビが入ってきたのと同じような感じで、ジングルベルも自分たちの周りにやってきた気がします。

ある時、サンタさんを楽しみにしていたまだ幼いわたしを、外国の宗教の祭りで何故、異教徒である自分たちが大騒ぎをするのか!とある意味真っ当な論理で、父に一喝(と言えば聞こえはいいですが、ブチ切れていました)されたこと(今は亡き父なので、こういうことは余り公表しない方がいいのでしょうが…)があります。

父の正論(?)で無邪気な子供の夢を砕かれ、大いにがっかりさせられたわたしは、それでも、やはり、クリスマスが近づくに連れ華やかになっていく街の雰囲気が好きな気分でいられる今の自分が幸せ(儚いながらも…)なんだと思います。

ここに載せた2枚の写真は、高級ブランド店が並ぶフィレンツェのブランド通りとして知られるトルナブオニ通りのイルミネーションです。多彩色ではなく、キラキラしてはいるものの日本の華やかなイルミネーションと比べると少し地味かもしれませんね。

でも、中世の建物(の中にブランド店が入っているのも凄い!)が並ぶ街並みに良く似合うセンスのいいイルミネーションです。
しかも、わたしには、ちょっと敷居が高い高級ブティックのショーウインドウを背景に眺めるイルミネーションは、子供の頃の眩しいクリスマスの思い出を掻き立ててくれる気がします。

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