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『小説 VS 写真』第十回

写真と文章を同時に提示する時、親密さや共鳴を見せようとするものが多いと感じています。しかしそれが上手く響き合っているものに出会えることはとても少ないです。相性が良いんだか悪いんだか。似ている二人だから一緒にいるのが難しいんだろうな、と、ふとそんなことを思い、写真家の木村巧くんに声をかけました。「喧嘩しようぜ」と。人生で初めて言いました。まさか二十八歳にもなってこのセリフを言うとは。
親密さを築くのが難しいのであればじゃあもう逆にぶん殴ってやるわ、はっはっは、と思い、バトル形式を思いつきました。仲良くすることを諦めて初めて仲良くなれるのかもしれない。
(山口慎太朗)
写真は目にした0.1秒の瞬間にその人の脳裏にイメージを焼き付けます。
小説と写真を読み解く時間は平等かもしれません。写真から繰り出されるパンチにどれだけの攻撃力があるかは分かりませんが、小説よりもきっと俊敏な一撃をくらわせることができる気がしています。写真は小説よりも手が早い。そんな暴力的なメディアに売られた喧嘩は買うしかないと思いました。
(木村巧)

ールールー
①課題曲を聴く
②山口は小説を書き、木村は写真を撮る
③より課題曲に似合ってる方が勝ち

ー課題曲ー
Sam Gendel, Sam Wilkes 『THEEM PROTOTYPE』



ー小説ー
 
 この職員室はなぜか三面採光になっているせいで夏はやたら暑く、冬はこれでもかと寒かったが、山の斜面を拭いながら降りてきた陽の光は東京のそれとは違ってあたり一面を輝かせる。放課後になると藁半紙と赤ペンが擦れる音が至るところから発せられ、しかしそれぞれが一定ではないリズムで進んでいく。そうするとたまに全ての音が同時に鳴る瞬間があり、そういう時に私は鼓笛隊の一人にでもなった気分で、こんな算数の答え合わせでユニゾンするのではなくいつか全員で同時にもっと大きな太鼓を叩いてみたくなるのだ。
 子どもたちの書く文字は基本的に大きい。その大きさがかわいいし、思いもよらぬ発想からの誤答に出会うのは嬉しい。私はこの赤ペンでの丸つけの作業をお風呂上がりのハーゲンダッツかのように贅沢なものとして取り扱っていたので、太田黒先生から話しかけられた時に少し「なんで今なんだよ」と思ってしまった。
「どうしました」
「羽山先生のクラスに渡辺界人くんっているでしょ」
「はい」
 不登校で、月に一回程度しか学校に来ない生徒だ。
「この前ね、空港に行ってるときに山道で見かけてね。どうも様子がおかしいというか、一人で歩いてたんだよ、山の中を」
 怖い話が始まりそうな予感がして少し体が強張る。
「はい」
「山の入り口とかそういうところじゃなくて、結構な森の中で、危ないんじゃないかと思って話しかけてね、おうちまで送って行きましたよ」
「そうですか。ありがとうございます」
「なんか、気にかけといてあげて」

 気にかけるとは一体何をどうすることを指しているのかわからない、と妻の百合子に言うと、彼女はパンツ一丁で地面にあぐらをかき、顔にパックを貼っているところだった。
「え? なんて?」
「いや、だから、気にかけるって何すればいいの?」
 鯵の南蛮漬けを食べながら、百合子の背中に話しかける。綺麗だなと思う。
「えー、普通に家行けばいいんじゃない?」
「いやでもさぁ、なんか、どうなんだろう、急に家行くのって」
「知らないよ。早くごはん食べて」
「知らないよってさぁ」
 私は悲しみから箸を置いた。
「ただ話したいだけだよ。知らないよって言うのやめて」
 百合子は無言で立ち上がると寝室に移動して、ベッドの奥にある箪笥からブラックバスの絵が描かれたTシャツを取り出した。そしてこちらに戻ってきて、私の左肩に手を置き、「ごめんごめん」と言った。

 界人くんの席は教卓から見て左の一番後ろにしてある。それはいつかの昼休みにみんなでサッカーをしていたとき、子どもたちの体力についていけなくなった私は運動場の中間あたりをのんびり歩いていた。界人くんはどこからか急に私の目の前に現れて、席を一番後ろにしてほしい、と言った。理由を尋ねると、「まぁ先生さ〜、こんなところで話すのもなんだし、お水でも飲みながら話そうよ」と、逆光の中で私を誘った。
 界人くんにはこういう不思議な大人っぽいところがあるのを知ったのはこのときが初めてだ。私はその言い草に思わず笑いながら「いいよ」と応えて、まるで銀座の薄暗いバーにでも入るかのような丁重な足取りで水場まで一緒に歩いた。
 マッカランの十二年をロックで。ではなく、ただの水道水。界人くんと横並びで。久しぶりに飲むとこれはこれで悪くない。逆さまに捻った蛇口から猛烈な勢いで水を飲んだ彼はすぐに縁に座り、「なんで勉強ってしなきゃいけないの?」と言った。
「勉強はしなくてもいいんだよ」
「え、そうなん?」
「みんなと同じことをするっていう練習だよ」
「そうなん?」
「うん。みんなと協力したり、時には我慢したり、っていう練習を界人くんぐらいの年齢の時にやっとかないと、大人になって後悔するから、学校があるんだよ」
「でも僕できるもん」
「何が?」
「みんなと協力したりとか、我慢とか、できるもん。もうできるからやんなくていい」
「できるかどうかを決めるのは界人くんじゃなくて周りの人なんだよ」
「なんで? 僕は僕やん」
「界人くんがみんなと仲良くやれる人っていうのは、みんなに伝わってないよ」
「伝えなきゃダメ?」
「ダメじゃないけど、『俺サッカーめっちゃ上手いよ』ってずっと言ってて、一回もサッカーやってるの見たことない友達いたらどう思う?」
「ははっ! ははっ! そいつめっちゃヘタだよ絶対! 騙されちゃダメだよ先生」
「でしょ?」
「でも、僕できるもん」
「そうか。わかったわかった」
 素直な子だな、と思う。珍しい。
 席を一番後ろにしてほしかった理由は、遅れて学校に来た時も入りやすいようにしてほしいというお願いで、それはまさに界人くんの我慢のできなさというか、さっき自分で言った「できる」ということをできていない証明だったが、まあそこは一旦黙っておき、とりあえず彼を後ろの席に移して様子を見ることにした。

 昨日の今日でその席に界人くんが座っていた。一ヵ月半ぶりぐらいに顔を見た。朝のホームルームが終わったあと、あまり目立たないように一度教室の外に出て廊下を少し歩き、後方の扉から再び入る。「界人くん」と呼びかけると、彼は子どもらしい不思議さで後ろを振り向き、「なに?」と言った。
「お父さんとお母さんは元気?」
「うん。元気だよ」
「そう。楽しく過ごしてる?」
「うーん。わかんない」
「ずっとおうちにいるの?」
 首を横に振った。
「どこにいるの?」
「山にいる」
「山にいるの?」
「うん。鳥がいて、おっきい鳥がね、飛んでるのを見てる」
「へ〜。おうちにいるのは嫌?」
「んーん、そんなことないよ。鳥を見たいだけ」
「鳥を見たいだけか。そうか」
「先生も見る?」
「え?」
「明日も山に行くから」
「先生は学校に来なきゃいけないから、行けないなぁ」
「明後日は?」
 明後日は土曜日だ。
「明後日は〜……考えとくね。ありがとう」
「うん!」
 そこで界人くんは満面の笑みになったので、私はしっかり迷ってしまった。

 行った方がいいのかな、と妻の百合子に言うと、彼女はパンツ一丁で地面にあぐらをかき、顔にパックを貼っているところだった。
「え? なんて?」
「いや、だから、行った方がいいかな?」
 たらこスパゲッティを食べながら、百合子の背中に話しかける。綺麗だなと思う。
「え、絶対行った方がいいよ」
「そうかぁ」
 百合子は立ち上がると寝室に移動して、ベッドの奥にある箪笥から犀の群れの絵が描かれたTシャツを取り出した。そしてこちらに戻ってきて、私の左肩に手を置き、「私も行こうか?」と言った。

 銀座五丁目交差点付近の名もなき路地裏の車の中で、私は夜空を駆ける一羽の鷹を見上げていた。それはただの見間違いで、実際はただのカラスだったかもしれない。そうして、田舎で教師をやっていた十年前のことを思い出した。名前は思い出せないが、不登校だったその生徒と山の中に入って大きな鳥を見たいつかのその日を。鷹か鷲か鳶かわからないが、青空の下を気持ち良さそうに滑空するその鳥を見て、私たちは三人で黙っていた。隣には当時の妻の百合子もいて、彼女は最初のうちは楽しそうにしていたが、その生徒があまりにもずっと鳥を見ているので、もうこれ以上付き合い切れないという感じで段々と不機嫌になっていった。黒くて艶のない冷徹な羽が、大きく広がって風を切り、つんと尖った黄色い嘴が行き先を見つめる。確かにこれはずっと見ていたい、と思ったことを覚えている。
 須藤さんがとんでもない勢いで助手席に戻ってくるなり、私の右頬を全力で殴った。頭の中でバキッという音がする。血に濡れた歯はボンネットの上をころころ転がり、赤子をあやすおもちゃのような音を立てた。
「自分でやれや」
 痛すぎてしばらく何も言えず、顔を押さえてジタバタする。ようやく喋れるようになり、すぐに「すいません」と言う。
「出せ。早よ」
「はい」
 私は東京に出てきてもう長いこと地上げ屋の手伝いをしているが、裏切りも暴力も日常茶飯事のこの日々が楽しい。しかし常に緊張はしている。唯一、ほんの少しだけその緊張を緩められるのは自宅の台所だ。真夜中に白色蛍光灯の明かりだけをつけて、そこでタバコを吸う。そうするとたまに光と煙の色が完全に重なる瞬間があり、そういう時に私は濃霧の中を歩く木こりの一人にでもなった気分で、こんな自宅の台所で遭難するのではなくいつかまたみんなであの山に登れたらいいのになと思うのだった。


 

ー写真ー
木村くんの写真はこちら↓

ープロフィールー
山口慎太朗 -
1993年熊本県生まれ。作家。
映画『アボカドの固さ』脚本
短歌連作『怒り、尊び、踊って笑え』『Emerald Fire』が笹井宏之賞最終選考に残る。
著書『誰かの日記』
Twitter:@firedancesippai

木村巧 -
1993年茨城県生まれ。写真家。
ライブカメラマンを経て写真家青山裕企氏に師事。
独立後はフリーランスを経験したのち就職。毎年1冊のペースで写真集を制作中。
Instagram:@kmrsan

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