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『小説 VS 写真』第九回

写真と文章を同時に提示する時、親密さや共鳴を見せようとするものが多いと感じています。しかしそれが上手く響き合っているものに出会えることはとても少ないです。相性が良いんだか悪いんだか。似ている二人だから一緒にいるのが難しいんだろうな、と、ふとそんなことを思い、写真家の木村巧くんに声をかけました。「喧嘩しようぜ」と。人生で初めて言いました。まさか二十八歳にもなってこのセリフを言うとは。
親密さを築くのが難しいのであればじゃあもう逆にぶん殴ってやるわ、はっはっは、と思い、バトル形式を思いつきました。仲良くすることを諦めて初めて仲良くなれるのかもしれない。
(山口慎太朗)
写真は目にした0.1秒の瞬間にその人の脳裏にイメージを焼き付けます。
小説と写真を読み解く時間は平等かもしれません。写真から繰り出されるパンチにどれだけの攻撃力があるかは分かりませんが、小説よりもきっと俊敏な一撃をくらわせることができる気がしています。写真は小説よりも手が早い。そんな暴力的なメディアに売られた喧嘩は買うしかないと思いました。
(木村巧)

ールールー
①課題曲を聴く
②山口は小説を書き、木村は写真を撮る
③より課題曲に似合ってる方が勝ち

ー課題曲ー
BOaT『RUMMY NIGHT』

ー小説ー


 れ、なん、私は、わからない、動けない、コピー機だ、あれ、白い紙、出てる、出てくる、汗だなぁキモいむり、なんだっけ、あれ、なんだ、私は、端っこに体重を、かけたら良さそう、痛いかも、痛いかな、どうして、何が、わかって、つもりなん、、、た、だ、、だって、まちがって、た、コピー機が、はしろ、はしって、、に、にげたろ、にげよかな、あれ、なんだっけ、むりかも、あれ、あ、やばい、むりだ、無理かも、無理だ、無理だ、無理無理無理無理無理無理無、っ、ぬ、
 遮光カーテンは紺色だった。あまりにも光を遮るからこの部屋は真っ暗だ。散乱したペットボトル、食べかけのカップラーメン、埃まみれのスチールシェルフ、首を振る扇風機。
 春田透子はゲーミングチェアにだらしない姿勢で体重を預けて、デスクトップPCで YouTubeを見ていた。知らないカップルチャンネルのモーニングルーティーン。店長から電話がかかってきたのはこの何の変哲もない十四時あたりで、十九連勤の果てにようやく手に入れた休日だというのにiPhoneの着信画面を見るなり嫌な気持ちになった。
 市内に二十四時間営業のサウナが出来たというのを聞いたのはしばらく前で、こういう時のために取っておいた。ビニール袋に下着と靴下とTシャツとタオルを入れて和菓子みたいにくるむと、それをまたリュックに入れる。マンションを出て、駐車場に向かう。母親が遺したミニクーパーに乗ると、助手席にリュックを置く。
 平日の夜の国道五十七号線は車が少なくて逆に事故りそうだ。いつもは運転するときラジオを流すが、今日は窓を開けて風を切る音だけを聞いた。考えていたのはやっぱり春霖ちゃんのことだった。といっても、何か具体的に論理立てて考えていたわけではなく、ぼーっと、彼女が振り返る時のポニーテールの揺れ方や、おでこの白さだとか、笑う時に手を叩いていたなとか、そういう景色を再生させていただけだ。コインパーキングに車を停めると、透子は歩いて下通りに入る。この商店街はありえないぐらい幅が広いのに人は少ない。透子は平日の夜の下通りが好きだった。一人で生きていく、と思った。
 サウナと水風呂を繰り返して、確かに何かが整っていく。駐車場までの道をなるべくゆっくり歩いた。夜風をたくさん浴びたかったから。春霖ちゃん。もう、戻ってこなくていいよ。
 綺麗な体で帰ってきたこの部屋。すっかり染み付いたはずの乱雑さが、今日だけは、うるさかった。明日からやる、と決めて、透子はiPhoneのアラームを八時ジャストから五分おきに、時限爆弾を思いながら規則的に配置した。
 八時五十八分にタイムカードを切ると、透子はまず油の確認をする。まずは目視で、次は匂いを嗅いで。ピンク色のダスターで鉄板の周りを掃除する。水切り台に逆さまに置かれたプラスチックの容器を二つ取って、作業台に置く。たこ焼き粉と小麦粉をそれぞれ入れて、水を慎重に注ぐ。冷蔵庫から卵をパックごと取り出す。二つ取る。それぞれ片手で割る。まずはたこ焼き粉の方に二個とも入れる。殻は三角コーナーに放る。次は小麦粉の方に。すっかり慣れ切ったこの開店前の準備の動作の中で、透子は初めて春霖ちゃんと話した日のことを思い出していた。更衣室で、あまりにもぐったりとしていたスーツ姿の彼女に、たこ焼きをあげた。

「いま食べたい」

 春霖ちゃんはそう言った。冬だった。多分。
 透子は「うん」と言うと、ポケットから垂れた鍵の束をじゃらじゃら鳴らしながら電子レンジまでの僅かな距離を歩く。三十秒温めて、春霖ちゃんに渡した。彼女はそれを食べながらボロボロ泣いた。ソースがこびりついた汚い空っぽの容器を「ん」と言って受け取り、ゴミ箱に捨ててあげた。ウェットティッシュを渡して「拭いたほうがいいよ」と言った。春霖ちゃんはその細い指を拭いた。時間が経ってガビガビに剥がれ落ちた深緑のネイルが見えた。
 透子がその日のことを思い出していると、店長が来た。いつもの腑抜けた声で「はるた〜」と呼ぶ。
「おはようございます」
「おはよう。こまったよ〜、日比野さん」
「あぁ」
「今日も来てない」
「そうですか」
「な〜んか、よくなかったかなぁ、俺」
「どうでしょうね」
 わからない。店長のせいとも言えるし店長のせいではない気もする。話すこと全てが推測でしかない。そう、春霖ちゃんはいなくなったことによって私たちにとって推測になった。「すいそく」と言っても翠色の速さと書いて「翠速」の方が正しい気がする。よくわからないけど。
 いつものようにたっぷり十三時間働いたあと、慣れ切った疲れすらも大切に抱えて真っ直ぐ家に帰る。まずは洗濯機を回す。その間にお風呂に浸かる。風呂から上がると髪を乾かすのもそこそこにして、溜まりきった汚れた食器を洗う。そのスポンジでそのままシンクも磨き、このスポンジはもうシンク用にすることにした。排水口が詰まり気味になっているので、iPhoneのメモ帳に「パイプユニッシュ」と書いた。洗濯物を干して、二回戦目を回す。掃除機をかけようとしたら、充電が出来ていないので、ドライヤーのコンセントを抜いて充電する。メモ帳に次は「三口のコンセント」と書く。キッチンに戻り、吊り戸棚の中身をどんどん捨てていく。ほとんどが賞味期限切れの乾燥した食べ物だった。寝室に行き、散乱したペットボトルたちをキッチンのゴミ箱の前に集める。そして見下ろす。メモ帳に「二段か三段のゴミ箱」と書く。二回戦目の洗濯物を干す。夜のベランダで、意外と動けるな、と思う。いつもは疲れ果てて風呂から上がるとすぐに寝るが、こういう、殺意のようなものを持っていると人はいつまでも動けるのかもしれない。焦らない、今日はここまで、と決めて、眠りに就いた。
 翌日の休憩時間、エスカレーターから二階に上がり、メモ帳に従って、パイプユニッシュと三口コンセントと二段のゴミ箱を買った。更衣室に置いておき、働き終えたあとにそれらを持って家に帰った。
 パイプユニッシュをキメている間に洗濯物を取り込み、畳む。スカスカになった箪笥にそれらを収めていく。掃除機の充電コードを抜き、母さんの部屋に入る。畳の匂いと、土煙のような、埃っぽい匂いが混ざっている。窓を開けて、掃除機をかける。夜中だけど知らない。なんか言ってくる奴殺す。掃除機を一度スタンドに戻して、要領が悪いな、と思う。居間の物を片付けてからまとめて全部屋掃除機をかければいいのに。居間に散らかったわけのわからない物体たちをあるべき位置に戻したり、捨てたり、と繰り返す。割れた電球はチラシで包んでビニール袋に入れた。キッチンに戻って水道水をじゃぶじゃぶ流す。詰まりは取れた。
 私はどんどん清潔になっていく部屋を見ながら、うっすらと感じていた予感が的中していくのを感じていた。ああ、そうか、と。そして一週間ほどでここ数年の汚れと完全に別れを告げたあと、ちゃんと、やっと、この清潔な部屋で泣いた。春霖ちゃんがいなくなったことを、私はようやく理解した。ちゃんと寂しくなりたくて部屋を掃除したのだ。
 帰り道にデイリーヤマザキで八枚切りの食パンと無花果のジャムを買った。私は今、毎日それを食べている。復讐みたいにガッツリ焼き上げた食パンに、スプーンでテキトーにジャムを塗る。カリッという音と共にそれを力強く何度も噛む。食べたあとの食器たちはすぐ洗うようになった。私は変わった。コピー機の前で倒れていた春霖ちゃんのことを時たま想像してその度に勇気をもらうが、それと同時に、そうはいられないじゃん、と思う。厳しすぎるだろうか。頑張れとは言わない。私は変わった。そして変わり続けるつもりだ。そして無茶苦茶笑う。もう会えないけど、まるでまだ春霖ちゃんがそこにいるかのように、諦めずにずっとここでクソほど働いて、クソほど笑いながら居座り続けることが、何より肝心だと思っている。

ー写真ー
木村くんの写真はこちら↓



ープロフィールー
山口慎太朗 -
1993年熊本県生まれ。作家。
映画『アボカドの固さ』脚本
短歌連作『怒り、尊び、踊って笑え』『Emerald Fire』が笹井宏之賞最終選考に残る。
著書『誰かの日記』
Twitter:@firedancesippai

木村巧 -
1993年茨城県生まれ。写真家。
ライブカメラマンを経て写真家青山裕企氏に師事。
独立後はフリーランスを経験したのち就職。毎年1冊のペースで写真集を制作中。
Instagram:@kmrsan

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