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『小説 VS 写真』第八回

写真と文章を同時に提示する時、親密さや共鳴を見せようとするものが多いと感じています。しかしそれが上手く響き合っているものに出会えることはとても少ないです。相性が良いんだか悪いんだか。似ている二人だから一緒にいるのが難しいんだろうな、と、ふとそんなことを思い、写真家の木村巧くんに声をかけました。「喧嘩しようぜ」と。人生で初めて言いました。まさか二十八歳にもなってこのセリフを言うとは。
親密さを築くのが難しいのであればじゃあもう逆にぶん殴ってやるわ、はっはっは、と思い、バトル形式を思いつきました。仲良くすることを諦めて初めて仲良くなれるのかもしれない。
(山口慎太朗)
写真は目にした0.1秒の瞬間にその人の脳裏にイメージを焼き付けます。
小説と写真を読み解く時間は平等かもしれません。写真から繰り出されるパンチにどれだけの攻撃力があるかは分かりませんが、小説よりもきっと俊敏な一撃をくらわせることができる気がしています。写真は小説よりも手が早い。そんな暴力的なメディアに売られた喧嘩は買うしかないと思いました。
(木村巧)

ールールー
①課題曲を聴く
②山口は小説を書き、木村は写真を撮る
③より課題曲に似合ってる方が勝ち

ー課題曲ー
Éric Satie 『Gymnopédie No.1』

ー小説ー


 煙かと思ったら壁だった。
 数日前から始まった駅前の工事のせいでこんな夜中でも町の全体は白く光り、窓の外に見える向かい側のオフィスビルは霧に包まれているかのように見えた。眠れなくなったベッドの中でその煙を追っていたが、それは煙ではなく、工事の明かりに照らされたただのビルの壁だった。

 八岐さんにそれを見られたのはちょうどこの工事が始まった頃だ。
 仕事帰りに高級なイタリアンのお店に行き、店内で最も中心に近い席に座った。真ん中がやはり一番目立つから良い。そしてメインのパスタに手をつけると、すぐに店員を呼ぶ。どうでもいい、もはや慣れきって自分でも思い出せないぐらいのテキトーな理由をつけては、店員に八つ当たりのような格好で怒りを発散させる。他人にこちらの安易な怒りを発露する罪悪感が快楽に熱を与えて、脳がじんわりと芯から熱くなった。視界の隅で、こちらをじっと見つめている人影に気付いたのは、店員が「大変申し訳ございません」ともう十回以上も言った後だった。窓際の席の二人連れ。八岐さんは呆然とした顔でこちらを見つめており、それに気付いた俺は一瞬だけしっかりと八岐さんの顔を見つめ返す。確かにこちらを見ている。今までにない快感が頭の中を走った。もはや言葉にもならないもごもごとした台詞を発しながら店員の胸ぐらを掴み、他のスタッフが慌てて止めに来る。

 あまり眠れないまま、工事の音が響く駅前を通り過ぎ、出勤した。あれから八岐さんは明確に俺と距離を置いたようだった。それまでは挨拶や仕事を引き渡すタイミングなどで天気のことや自身の状態について一言二言交わしていたが、全く何も言わずに目も合わせない。
 昼休みに社員食堂で同僚たちと昼食を済ませ、そのままみんなで仕事場に戻る廊下、向かいから八岐さんが一人で歩いてきた。八岐さんは通りすがりに控えめな会釈をした。すぐに俺は振り返って、「八岐さん」と声をかける。
「はい」
「みんなに言っていいよ」
 八岐さんは二秒ほど黙って、真剣な顔つきのまま、
「何をですか?」
 と言った。
 わかっているくせに、めんどくさい女だな、と思う。
 それで会話は終わり、エレベーターに乗り込むと同僚たちが「なになに、さっきの」と問い詰めてきた。「まあまあ、いずれ」と返すと、「えー、なになに〜?」と朗らかな雰囲気が流れた。

 それから二ヶ月が経ったが一向に社内の気配は変わらず、こちらに積もり上がった苛立ちも限界を迎えつつあった。駅前の工事は着実に進んでいるようで、緑道の木を全て伐採して、清潔で頑丈なコンクリートが地面に流し込まれていた。この一本道に沿ってお店がいくつも並ぶ予定のようだ。全てのお店で店員に無茶苦茶な理由をつけて怒るいつかの自分を想像して、少し、勃起する。

 八岐さんの退勤のタイミングを見計らって、追いかけた。エレベーターが来るのを待っているところに背後から近付くと、「お疲れ様」と声をかける。
「お疲れ様です」
 と、八岐さんが笑顔で頭を下げる。
「なんで言わないの?」
「え?」
「みんなに言ってほしいんだよ、こっちは」
「何がですか?」
「わかるだろ」
 思わず語気が強くなる。
「え、わかんないです」
 本気で戸惑っているように見えた。もしかして本当に分かってないのか? 
 それで俺は何も言えなくなる。踵を返して、仕事場に戻る。廊下の壁を思いっきり殴った。

 エレベーターの中で八岐薫はあのイタリアンレストランのことを思い出していた。店員に怒りをぶちまけている時の先輩の目のぎらつき、その穢れた所作、こちらを見ていた空虚な顔。そして、店員の胸ぐらを掴んでいる時に見えた股間の膨らみ。
 八岐薫はエレベーターを降りると、死ねばいいのに、と思った。エントランスを横切り、外に出る。駅前では工事もほぼ終わりに近づいていて、新しくオープンするらしいこの商業施設一帯はその希望の気配に包まれていた。赤と白の横断幕や優しい黄色に光る電球の明かりの下をたくさんの人が笑いながら、台車や木材を運搬している。それを見ていると、こちらまで幸せを分けてもらった気になる。今日はお風呂上がりにお気に入りの香水をつけて眠ろう、とそう決めた。


ー写真ー
木村くんの写真はこちら↓


ープロフィールー
山口慎太朗 -
1993年熊本県生まれ。作家。
映画『アボカドの固さ』脚本
短歌連作『怒り、尊び、踊って笑え』『Emerald Fire』が笹井宏之賞最終選考に残る。
著書『誰かの日記』
Twitter:@firedancesippai

木村巧 -
1993年茨城県生まれ。写真家。
ライブカメラマンを経て写真家青山裕企氏に師事。
独立後はフリーランスを経験したのち就職。毎年1冊のペースで写真集を制作中。
Instagram:@kmrsan

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