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『小説 VS 写真』第七回

写真と文章を同時に提示する時、親密さや共鳴を見せようとするものが多いと感じています。しかしそれが上手く響き合っているものに出会えることはとても少ないです。相性が良いんだか悪いんだか。似ている二人だから一緒にいるのが難しいんだろうな、と、ふとそんなことを思い、写真家の木村巧くんに声をかけました。「喧嘩しようぜ」と。人生で初めて言いました。まさか二十八歳にもなってこのセリフを言うとは。
親密さを築くのが難しいのであればじゃあもう逆にぶん殴ってやるわ、はっはっは、と思い、バトル形式を思いつきました。仲良くすることを諦めて初めて仲良くなれるのかもしれない。
(山口慎太朗)
写真は目にした0.1秒の瞬間にその人の脳裏にイメージを焼き付けます。
小説と写真を読み解く時間は平等かもしれません。写真から繰り出されるパンチにどれだけの攻撃力があるかは分かりませんが、小説よりもきっと俊敏な一撃をくらわせることができる気がしています。写真は小説よりも手が早い。そんな暴力的なメディアに売られた喧嘩は買うしかないと思いました。
(木村巧)

ールールー
①課題曲を聴く
②山口は小説を書き、木村は写真を撮る
③より課題曲に似合ってる方が勝ち

ー課題曲ー
toe『孤独の発明』


ー小説ー


 ヘルメットを被った工員は鉄の橋を渡りながらスープのことを考えていたのだ。今日は葉物の野菜を入れる。そう決めた。前を歩く一団が先に足場を降りていくと、彼も倣ってようやく地上に降り立つ。
 路肩の草むらにリュックを置き、その中から上着を取る。そしてヘルメットを入れる。いつかどこかのアウトレットで買ったカーキ色のジャケットに袖を通していると、「おーい」と呼ぶ声がして、振り返ると一人の先輩がこちらに向かって歩いてくる。そこそこ距離があるが、その先輩は急ぎもせずゆっくり歩き、こちらも動かず、長い時間が経った。ようやく近くまで来ると、「最後だろ」と微糖の缶コーヒーをくれた。
「ありがとうございます」
「おう。元気でな」
 その名前も知らない先輩は小走りで帰っていった。逆だろ、と思った。来るときは走って、帰りは歩くべきだ。
 夜のスーパーマーケットはだだっ広い。客は自分一人しかいないかのように思われた。野菜のコーナーを回りながら、蓮根、牛蒡、生姜、とカゴに入れていくと、いよいよ客が自分一人しかいない不安が本格的になってきた。焦って大きな店内を早歩きで進むと、乾物のコーナーにスーツ姿のサラリーマンが一人いるのが見えて、少し落ち着きを取り戻す。再び野菜たちの前に戻ると葉物野菜の緑色を見比べて、ようやく彼は春菊をカゴに収めた。
 スーパーを出て、駅に向かう道で乗り換え案内のアプリを起動した。出発と到着の駅を入れ替える。そうすると出発に「天王洲アイル」が入って、到着に「東中野」が入った。東中野を消して「渋谷」と入れる。りんかい線通勤快速に乗れば大崎で今自分が乗っている車両がいつの間にか埼京線に変わり、そのまま渋谷まで運んでくれるらしい。所要時間は十六分だ。意外に早い。男は野菜が入ったビニール袋を提げ、電車に乗り込む。うまく暴れたいと祈っていた。
 渋谷のクラブにはロッカーがあった。扉は水色で、把手は塗装されていない鉄のまんまだ。男はそこに野菜を入れると、フロアに降りた。爆音で知らない音楽が流れている。これだけ音が大きいと、もはや何も聴いてないのと同じだ。
 バーカウンターのところに友人の姿を見つけると、隣に座って他愛もない話をいくつかする。区切りがついたところで男は回転する椅子を利用してくるっと後ろを向き、フロアの全体を眺めた。想像していたよりも人間があまり動いていない。クラブというのは他人を殴ったり殴られたりするために来るものだと思っていたのでそのつもりだったが、全く不要な覚悟だったようだ。
 男はその友人のことをあまり知らない。大学時代からの長い付き合いだが、よくわからないまま時間だけが過ぎていた。友人が自分とは反対側の隣に座っていた二人組の女性と話し始めたあたりで、男はピスコをストレートでがぶがぶ飲むことにした。しばらくすると画面はぐるぐる回り、景色は切れ味鋭い裁ち鋏でいくつかに裁断された。
 自宅のベッドで痛みの走る頭を抱えながら男は目を覚ました。隣には知らない女が寝ていた。吐き気を抑えたくて水道水を飲み、台所の横についている窓を開ける。家の前の路地を三人組の小学生が歩いていた。彼らのランドセルのそれぞれの状態を確認するように見下ろしていた。何か思い出しそうになった。それが恐ろしく、頭を左右にぶんぶん振る。
 冷蔵庫を開けると、中には昨日買った野菜たちが整然と並んでおり、全く覚えていないが、泥酔していても無茶苦茶になれない自分は、寂しい人間なのかもしれない。
 銀色のボウルに水を張る。ピーラーで蓮根の皮を剥き、スライサーで切っていく。牛蒡も同じボウルにささがきにしながら落としていく。澄んでいた透明の液体はどんどん濁っていった。まな板と包丁を取って、生姜を洗い、薄切りにしていく。コンロの下の棚から大きな鍋を取ると、その中に生姜を放る。冷蔵庫から春菊を取る。洗い、根元を切り落とし、全体を三等分に切り分ける。野菜を全て鍋に入れると、カルダモンの入った小瓶を取り、四粒手のひらに落とした。皮を剥いて実だけを入れる。鍋を抱え、蛇口を捻る。野菜たちが全身浸かるまで水を入れると、それらは火にかけられた。換気扇の下でタバコを吸いながら、昨日のことを思い出そうとした。するとそこで見知らぬ女は目を覚まし、「なに作ってんの」と聞いた。振り返り、「スープ」と応えると、男はなぜか慰められた気持ちになった。
「スープだったんだ」
「ごめん、何も覚えてなくて、ちょっと、あなたの名前も思い出せないです」
「泣きながらロッカー蹴ってたよ」
「そうなんだ」
「どうしたの、って聞いたら、野菜が入ってるって、泣いてた」
 男はちょっと嬉しかった。
「おもしろいからずっとついてきちゃった」
「そうですか」
 そこで女は立ち上がり、台所まで来て、コップに水道水を注いだ。
「他に俺、なんかおもしろいことやってましたか?」
「いや、特に。ロッカー開けてあげて、ここまでタクシーで私が運んで、すぐに寝てたよ」
「そうですか、残念だな」
「なにが?」
「もう何もできないな」
「そうだね」
「誰ですか、あなた」
「同じ感じだと思う、多分。私たち。でも別にこれ以上何もしないけど。みんなに平等に降りかかってる厳しさが私にも降りかかってないと安心できないから」
「なに言ってるかわかんない」
 すると女は俺の頬を触って「休むのがヘタな人なんだね」と言った。今初めてわかったみたいに。鍋から金色の液体が吹きこぼれて音がする。それは垂れ下がってコンロの火を青から赤に変えた。


ー写真ー
木村くんの写真はこちら↓


ープロフィールー
山口慎太朗 -
1993年熊本県生まれ。作家。
映画『アボカドの固さ』脚本
短歌連作『怒り、尊び、踊って笑え』『Emerald Fire』が笹井宏之賞最終選考に残る。
著書『誰かの日記』
Twitter:@firedancesippai

木村巧 -
1993年茨城県生まれ。写真家。
ライブカメラマンを経て写真家青山裕企氏に師事。
独立後はフリーランスを経験したのち就職。毎年1冊のペースで写真集を制作中。
Instagram:@kmrsan

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