2021年3月の記事一覧
コーディーに教えるその後の話
1998年4月14日にはハイウェイ61を一台の真っ青なワンボックスカーが時速75マイルですっ飛ばしていた。そこに乗っていたのはでっかい腹を抱えて、窓の外を切っていく風の音にも負けないぐらいの大声で叫ぶ母と、汗びっちょりの手でハンドルを握り、「大丈夫だ!もうすぐ着く!」と叫び続ける父で、そうして俺は産まれた。俺だけが産まれた。コーディーは死んだ。双子だった。本当は。
大事にしていたプテラノドンの
1998年4月14日にはハイウェイ61を一台の真っ青なワンボックスカーが時速75マイルですっ飛ばしていた。そこに乗っていたのはでっかい腹を抱えて、窓の外を切っていく風の音にも負けないぐらいの大声で叫ぶ母と、汗びっちょりの手でハンドルを握り、「大丈夫だ!もうすぐ着く!」と叫び続ける父で、そうして俺は産まれた。俺だけが産まれた。コーディーは死んだ。双子だった。本当は。
大事にしていたプテラノドンの