なぜ走るのか

なぜ走るのか、それは自分自身の原点だからなんだろうなと思います。

好きなもの、得意なもの、一生懸命になれるもの、それらは人それぞれだし時期によっても異なるもの。

僕は小学校低学年までは走るのが遅い子供でした。徒競走は下位争いなので当然嫌いでした。
体の弱かった僕に、両親はスイミングスクールと朝のランニングをプレゼントしてくれました。
おかげで小学校高学年には、走るのも泳ぐのもある程度の自信がついていました。このプロセスが自分の原点。出来ないものが出来るようになる楽しさ。

特に中学以降も続けた陸上競技では、嬉しい思いや悔しい思い、連帯感、協調性、責任感、信頼関係、また努力が成果に結びつく達成感や、結びつかない挫折も味わいました。

今思い出すと、中学高校時代の部活ってものすごく濃密な時間でした。また部活に対する向き合い方の違いも感じました。
大人になるとどうでしょうか。仕事にせよ趣味にせよ家庭にせよ、魂の入った活動ってどれくらいあるでしょうか。魂が入る事が、人によっては押し付けだったり、そこまで目指してなかったり。

だからやっぱり、僕は走る事によって自分の魂を表現するんだと思います。
走る事を通じて感じることの出来る事は、自分にとって最も魂が入りやすい表現方法なんだと思います。

例え一度うまく走れなくても、また走ろうと思います。そんな事を考えている今日この頃です。

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