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「現代俳句」2022年11月号

 2022年も残すところあと二か月。というか、ほぼ一か月になってしまいました。早すぎます。好きなアイドルが「年々一年が短くなっている気がする」と言っていて「短くはなってないけど言いたいことはわかる」と頷いたのも一年前なわけです。信じられん。
 そんなこんなで、ラスト一か月もゆるっとやってきたいと思います。

今、伝えたい俳句 残したい俳句

八月号 作品10句より  横井来季

 横井さんの選句と鑑賞を読みながら、どことなく似たような色合いというか、温度感の句だなぁ、と感じました。似ているから悪いということではなくて、横井さんの好きな温度感の一部が読めておもしろかったという話です。
 すっきりとしたうつくしさや思わず微笑むかわいらしさというよりは、どこかにあるリアル、という印象。俳句において現実にあるかどうかは、わたしは正直どっちだっていいと思っているタイプですが、仮になくても「いつかあるだろう」と思わせる句が並んでいて、思わずハッとしてしまいました。

「翌檜篇」(43) 青年部 編

湿り  うっかり

死にたさや梨に刺したる爪楊枝
 死にたいと思っているというより、死にたさがある、という景だと思いました。死にたさって、うまく言葉ではいけないけど、ずっとぼんやりあって、死にたいと思うこととはちょっと違う気がします。
 それでもこの句に不穏さを感じないのは、梨のみずみずしさを感じるからでしょうか。

台風やお世話になった樹が折れた
 こちらもまた、切実な光景があります。でも、不穏ではない。「お世話になった」という表現が樹との距離感を近づけていて好きでした。どことなく、自治会の回覧板に書いてあるような、親近感のある句です。
 校庭にある樹だったのか、雨宿りさせてもらっていた街路樹なのか。これも「や」で切れていて、台風の強さの説得力がありますね。

相互フォロー  西野奏子

悪友のボタンつやめくチューリップ
 悪友扱いができる相手っていいですよね。ボタンのつやが見えるほど近いところにいるんでしょう。いや、めっちゃ仲いいやん! かわいい! チューリップて! かわいすぎるやろ!(素が隠せない)
 いろんな思い出がある友人なんでしょうね。いいな、すてきだな。

ティーバッグの紐染まりゆく春の月
 ゆっくりとした時間を感じます。春の夜に、ティーバッグで紅茶(かな?)を淹れている。とてもすてきな時間です。でも、ついつい長くつけてしまって、紐が染まってしまっている。誰かとおしゃべりしている間に、勉強に集中している間に……まったく同じ出来事ではないけれど、いつかそんな日があった気がする。俳句の共感性を身近に感じる句。

木の根明く  篠遠早紀

金魚には金魚の夢や面接日
 金魚と面接に行く人を重ねている、とも読めますが、重ねるのはその人自身ですよね。どうしても重なるものがあったのかもしれません。一方で、「金魚には金魚の夢」があるだろうな、と思うだけだったかもしれません。
 強い言葉ではないのに、取り合わせることでゆっくりと混ざり合う景色が魅力的だな、と思いました。

終戦日川は氾濫繰り返す
 繰り返すならなんとかすればいいのに、と思いますが、どうにもできないから繰り返すことだってありますよね。「終戦日」からはじまり「繰り返す」で終わるところに、どことなく力強さというか、熱っぽさを感じました。

てのひらに  山澤香奈

立秋の仮眠に丁度良き階段
 非常階段でしょうか。誰も来ない、人気のない階段。外の、というより建物の中のイメージがあります。非常階段と言っても、ビルにあるような閉鎖的なものではなくて、窓があって日の光が入ってくる明るい雰囲気を感じます。「仮眠に丁度良き」なんて、どんな階段か気になりますね。

人よりも蜻蛉多くして広場
 広場に立ってふと「蜻蛉多くない?」って気づいたんですね。最近は、蜻蛉もあまり見かけなくなりました。鬱陶しいほどいたのか、人がいなさすぎたのかわかりませんが。いきものの気配がある句。

地区協だより

岩手地区篇  五日市明子

 わたしが一方的に好きな県のひとつが岩手県なので、岩手とあって読み過ごすわけもなく。読めば読むほど切実な内容で、思わず「ううむ」とうなってしまいました。
 冒頭の、コロナ禍で通信句会に置き換わったところ参加者が増えたという話も、「県土の広さに加え交通の不便さ、高齢者の健康上の理由」とあり、これは否定できないな、と他県民のわたしでも実感がありました。実際、車社会なんですよね。続いて「ネット句会が成り立つ程、パソコン使用率も高くない」とあります。こればっかりは、やる気だけではどうしようもない部分があると思います。いくら本人が学びたくても、学べる環境がないとパソコンを使いこなすまでに至りませんし。こういった問題は、高齢化社会において切っても切れない話になってくると思います。他人事ではないです。
 「盛岡国際俳句大会」の運営の話はとても興味深く、関連事業の吟行句会というのもおもしろそうですね。夏井いつきさんの句会ライブもあったよおうです。

 後述では、俳句大会どうしで食い合っているのでは、という問題提起がありました。それはわたしもじわっと感じてはいましたが、実際、現俳の全国大会と関現俳の大会に出すのがギリギリです。どこでも出せるほどお金もないし、わたしは関西の人間なので、まあ関現俳のは参加せんとな、と思って出してはいますが。これも任意だし、参加不参加に優劣も正解もないですからね。
 運営にせよ、無償、ボランティアという現状で、どこまで運営するのか、手をかけるのか、という問題と、だからと言って改善せんでいいという話ではない、ということとの天秤に掛けられている部分があるなぁ、と思います。
 会員の人がみんな同じ気持ちであるわけがないので、その辺はおのおのの楽しみ方でいいと思いますが、もし運営の人が「趣味のはずがいつの間にか仕事のようになり、」と言わずにはいられない状況であったり、「次に渡すべき若い後継者も見つけ難いのが現状」ということであれば、どこからどう解決すべきかは、知恵を出し合うしかないのかな、とも思います。
 活動にはお金はもちろん必要ですが、時間も、体力も必要です。誰かのマンパワーに頼って運営する、ということが日本ではどこにでも見られますが、そろそろそういう時代は終わりにしないといけないのではないかと思います。わたしも、自分にできることから少しずつ学びながら活動を続けていきたいと思いました。

 というわけで、11月号ギリギリ間に合いました。そろそろ12月号が届きますね。気になる記事だけ読むスタイルではありますが、会誌を読むことが義務ではなく学びのひとつと思えるようになったのは、読み続けた収穫だと思います。これからも、マイペースに感想を綴っていきたいと思います。
 最後までお付き合いいただきありがとうございました。また次回。

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