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「現代俳句」2023年5月号

 5月号は新人賞の受賞作品も掲載されていて、かなり盛りだくさんな内容となっています。受賞作品の鑑賞は改めて書くとして、こちらはいつもの感じでお送りしたいと思います。
 それにしても、もう5月も半ばなんですねぇ。今年に入ってからまったく記憶が定かではないのですが、こんな調子で大丈夫なんでしょうか。今年は特にあっという間に終わりそうな予感がしています。振り落とされないようにしがみついていきたい今日この頃です。


列島春秋

中北海道

桜咲くのかこの道にこの修羅に  五十嵐秀彦
「桜咲くのか」という問いかけに畳みかけるように「この道」「この修羅」と続く表現に、緊迫感があって目につきました。列島春秋の一句目だったため、余計に気になったのもあります。
「この道」は、五十嵐さんがお住いの中北海道エリアを指すのでしょうか。北海道の冬は長く、桜が咲くのか疑問に思える気候かもしれません。
 ただ、そのあとの「この修羅」は、今の世界(現世)のことを指しているのだと思いました。「この道」も「この修羅」も現実のことを指しているとすると、「修羅」という仏語を用いて具体的なことはあいまいにしつつ、「桜咲くのか」という干渉を強く印象付ける一句になっていると思いました。

鹿児島

無邪気な薔薇は媚薬の散花を赦さない  桑鶴翔作
 字面が刺々しいな、と思いました。薔薇という字も、棘を表しているのかと思うほどトゲトゲしていると思うのです。そんな薔薇は「無邪気」に「赦さない」のです。
 薔薇が媚薬かはわからないのですが(媚薬として使われた花はいくつかあるようですね)、散花は「ちりばな」ではなく「さんげ」と読むのが正解でしょうか。景の意味を正確に把握することは難しいですが、散花を花を撒いて仏に供養する儀式のこととすると、不明瞭な景色の中から刺々しさではなく、むしろ清らかさのようなものを感じられる気がしました。


「協会に入るメリット」という難問について  後藤章

 わりと冗談ではなく、最近こう(上のTweet参照)思っていて。というのも、記事を読む限り「現在の入会者の多くはこの『メリット』という言葉を考えもしないで入会した世代だからだと思います。」(9頁)ということがあり、「現世的な要求に対して戸惑っている」(10頁)とあります。いやまあ、わたしもべつにそれほどメリットは考えていなかったけれども。
 続けて「つまり会員は、10,000円の会費で15,000円分のサービスを提供されている計算になります。」(10頁)とあったんですが。ぶっちゃけわたしにとっては、そういう数字上の損得は、メリットにまったく直結しないので「そうなんだ~」ってなったんですけど。関現俳の青年部に関しては、句会の参加費が500円という破格な値段であることや、比較的に駅から近い会場である(交通弁を考慮している)という部分で、わたしが「行きやすさ」を感じているのは間違いありません。
 会誌ひとつにとっても、定期的に掲載されるわけではないので「発表の場」ではなく、読み物としてあると思いますし、会誌を通じて地区協会の活動を知ったり(「地区協だより」)、作品を読んだり(「地区協会報を読む」)、という楽しみはあります。もちろん、青年部の翌檜篇もわたしの楽しみのひとつです。
 ただ、やっぱりわたしにとって一番のメリットは「超結社」なんです。会誌にしても、誰がどの結社かはさておいて作品が載っているので、ある意味フラットに読むことができると思っていて。そういう気軽さが、わたしは結構好きだったりします。なんせ、わたしが結社に所属していない「野良」なので(猫が好きなので、野良猫よろしく野良と表現しています)、そういうわたしにとっても、肩身が狭くない場所だと思っています。べつに野良で肩身が狭いってこたぁないんですが。そもそもね。

 我々は自信を持って言っていいのではないでしょうか。協会が存在するのは「あなたの作り出すどんな形の俳句でもその存在を保証するためだ」と。

「現代俳句」5月号 p.10

 冒頭に戻りますが、これからメリットを訊かれたら「わたしがいます」と答えることにします。いや、べつに、部長でも副部長でもなく、青年部の野良会員には違いないんですけどね。でもなんだろう、いろんな人がいるからおもしろいっていうのは、多分、あります。興味があれば、ぜひ。


「翌檜篇」(49) 青年部編

春日を畳む  吉良香織

大学旗下ろし春日を畳みけり
 天気の良い日を想像しました。入学式でしょうか。なにかイベントのときに掲げられている気がします。そういう晴れの日を「春日を畳み」という表現で彩られているあたたかな気配がする句だなと思いました。

楽園  坂本吟遊

エプロンのおしゃれも桃の節句かな
 桃の節句に、子どもが自分で選んだとびっきりおしゃれ(だと思っている)エプロンを身にまとってご満悦な様子を想像しました。いつもは着ないのかもしれませんね。お手伝いも、あんまりだったり。でも、桃の節句だからはりきっちゃう。

螺旋状  小田島渚

海霧のドグマ数限りなき虐殺史
 ドグマという言葉を知らなかったので調べました。宗教上の教義、独断的な考え、という意味を持っているようです。「数限りなき虐殺史」というのは、どこかひとつの国ではなく、世界中であるということ。そしてそれは「海霧のドグマ」であるということ。海もまた境がなく、「数限りなき」と共鳴しているような気がしました。

向こう側  近藤幽慶

ランプなきゴッホの部屋や春愁い
 昨年「ヴィンセント・イン・ブリクストン」という舞台を観劇し、わたしの中でゴッホ(というよりヴィンセント)が少し身近になりました。1888年、1889年に制作された3つの「ファンゴッホの寝室」には、どの作品にもランプはなく、まさに「ランプなきゴッホの部屋」なのです。あの絵からの着想か、あるいはべつのエピソードからのものか、それともまるで関係がないのかはわかりませんが「春愁い」という季語に、彼の友人であったゴーギャンが過りました。


 好きな句というか、気になった句や関心がある句を選んでいるのですが、5月号は「好き」より「気になった句」が多かった気がします。いつも読んでくださっている方からすると「おや、珍しいな?」と思われるかもしれません。そのときに感じたことを残しておくのがラブレターなのでね。こんな感じで今月は終わっておきます。
 最後までお付き合いいただきありがとうございました。また次回。

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