「踊り場」2022 春号
俳句・短歌・エッセイの読み応えたっぷりのネプリ「踊り場」。今回、宮永さんはお休みとのことです。そういう回があってもいいよね。そういう自由さ、まさに踊り場。今日休みやねん、そっかそっか、みたいな。
俳句連作「流れる」
初っ端から謝罪ですが、今回連作ということを「置いといて」書き出しています。完全に無視するということではないんですが、恒例の「好きな句」という選抜スタイルです。連作は連作として楽しむとして、それはそうとこの句がいいな、という話をしたいだけです。すいません!(バカ正直)
佐々木紺
ながれきてまたながされり春は粒
なにが、とは書いていないところに惹かれました。なにが流れて、なにが流されていくのか。「春は粒」というのも、言っているようで言っていない。わかるようでわからない。その不安定さが決して不穏ではないところに春を感じました。ぽつぽつ、ころころ、きらきら。水彩画の滲みのようなうつくしさが好きです。
春風に余韻の長き言語かな
言葉に音としての余韻があるのかな、と思ったのですが、なんとなく「今、なんて言ったんだろう。ちょっとよくわかんなかったな」と思っているのかも、とも思いつつ、それだと「余韻」からは離れるので、なにかいいことを言われたのかな。そういう心に残る余韻があって、それはどこの国かの言語なんですよね。どこの国の言葉なんでしょう。とても気になります。
有瀬こうこ
雛の間のアリス眠つてしまひけり
本当にアリスでもおもしろい句だな、と思いました。アリスはおんなのこなのでひなまつりがあってもいいんですよ。あの国にはないし、今は「おんなのこだから」ということは理由にならないかもしれないんですけど。
実際のところは、雛人形が飾ってある前で眠ってしまった少女の光景なんだと思います。でも、そんな彼女を「アリス」と称するのは、きっと普段から元気で、ちょっと理屈っぽくて、退屈がきらいなのかもしれません。夢の中で不思議の国に行ってるのかな、なんて思いながら起きるのを待つのも悪くないですね。
三月や羽化するやうに新住所
新年度というのは、転居ラッシュでございます。ええ、まったくもってそのとおりでございます。引っ越しにも理由はいろいろありますが、新社会人や新入生と言った「生活が一新する人」に向けて言うなら、それはある種の「羽化」なのかもしれませんね。四月ではないのがリアルだな、と思いました。三月の間に引っ越し先って決めなきゃいけないし、四月から必要な書類に新住所を書くことは自然なことです。リアルなのに説明臭くないところがさわやかで好きな句でした。
内橋可奈子
花の雨ぐりとぐらならどうするか
雨が降ってきたときにふと、ぐりとぐらのことを思い出す。仕事の悩みか、人間関係か、はたまた今まさに傘がないという状況なのか。どんなちいさな悩みや迷いも、じぶんにとっては一大事です。「あのふたりならどうするんだろう」と想像する間、その悩みや迷いはほんの少しだけ軽くなる。きっと、桜が咲いていることと似た癒しがあるのかもしれませんね。
必要があってかざぐるまを買うわ
一瞬「なんでだよ」とツッコミを入れたくなって飲み込みました。いや、でも、なんでだよ。どんな状況やねん。「必要があって」って言ってるけど、ないんじゃないかなぁ……必要があって買うならわざわざ言わないと思うんですよね。本当は、目について買いたくて買ったんだと思うんですけど、さも必要に迫られたかのように言う。どことなく童心がにおう感じ、人間味があって好きです。
短歌「音」
佐々木紺
はりさけるまでためている晴天のたった一人が余韻に気づく
余韻に気づいたひとりに、ふと(わたしの中で)ある人が思い浮かんで、不思議な気持ちになりました。でも、その人はきっと、ひとりだけ気づけるんです。その人しか気づけないんです。「はりさけるまでためている晴天」は、弾ければそれでおしまいの晴天だったのに(それってなんだ、花火とか? いやそんな話じゃないんだこれは)。そういうひとりになる人って、いるんですよね。ちゃんと。そういう人になんだかすこし、救われるんです。
有瀬こうこ
女子力の高いホタテとアボカドのサラダを食べて寂しくなった
短歌を読んで共感することって、実はそれほどなかったんですけど、急に「わかる」って頷いてしまった一首でした。もうそれはさみしい食べ物なんですよ。「女子力の高い」って思ってしまっている時点で、ホタテとアボカドのサラダになんの罪もないけど、さみしいことは確定してる。それでも食べた。食べようと思った。それもさみしんだけど、もうなんていうか、ナイスガッツって感じです。ああ同志よ。
内橋可奈子
赤ちゃんも仔馬も春もそれぞれに自分のために音など鳴らす
そうですね。そうだといいなと思うし、そうだろうなって思います。鳴き声も泣き声も「鳴らす」わけじゃないかもしれないけど、でも、結局は自分から発せられるものだから。自分のために違いない。そうだといいな、っていうことが書いてあるとちょっとうれしくなりますね。「春も」とあるのが、いっしょに暮らしている感じがして好きでした。
エッセイ
みなさんのエッセイは、どれもご自身に近い話というか、経験や実感からのお話でとてもおもしろかったです。結局「他人の話」って、興味がないと聞けないものだと思うんですけど、エッセイはその「興味」が自分の思いがけないところにもあるんだと気づかされます。知らないことを知れるから読むこともあるし、書いている人のことが好きだから知りたくて読むことだってある。紺さんの「アメリカ」は、遠いところに住んでいて会えないからこそ、元気に過ごしているんだな、とわかってうれしくなりました。こうこさんのお話は、実は句会で聞きかじったことがあった話だったのですが、全貌を知ることができておもしろかったです。内橋さんの「きっかけふたつ」は、共感する部分もあって、なんだか身近に感じられました。
わたしはエッセイを書いた経験がそれほどないので、こうして読むといろんな表現があるんだな、ととても勉強になります。今回も大変楽しく拝読させていただきました。ありがとうございました!
というわけで、とりとめもなく長々とお付き合いいただきありがとうございました。「踊り場」のみなさん、すてきなネットプリントをありがとうございました。次回も楽しみにしています。
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