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「現代俳句」2023年6月号

 気づけば7月になっていました。職場でも口々に「あ、6月って書いちゃった」なんて声がちらほら。わたしはと言うと、早めの夏期休暇を無理やり取って休養中です。いっそなりふりかまわず休職してやろうかと思いつつ、さすがにそこまで非情にもなれず(いい顔したいだけともいう)今日にいたります。いろいろとつらかった6月でしたが、無事歳をとることができたのでオールオッケーということにします。
 前書きはほどほどにして、6月号の感想を。


直線曲線 思い出したこと/松本勇二

 「小津安二郎監督作品『宗方姉妹』のなかで、姉の節子が妹の満里子に向かって言ったセリフに、『ほんとに新しいことは、いつまでだっても古くならないことだと思っているのよ。そうじゃない?』というのがあります。俳句作品の新しさについて述べられているのではないかと思いはっとしました。今後俳句を書く上で気を付けていきたい言葉です。」
 その昔、平成十五年度第二十一回現代俳句新人賞をいただいた。その時のあいさつでこのようなことを言った。

『現代俳句』2023年6月号10頁

 何度聴いても新鮮に感動する曲、何度観ても心を揺さぶられる絵画。きっと俳句も、同じことで。「新しさ」の追求は、同時に「ふへん(変換はおまかせします。どれも正解だと思うので)」であることでもあるということなんでしょうね。師からの言葉の数々が綴られながらも、ご自身の答えをしっかりと持っていて、じんわりと熱いものが伝わってきた記事でした。


宮沢賢治と現代俳句  佐藤映二

―宮沢賢治没後九十年『春と修羅』刊行百年を記念して―

 以前に、宮沢賢治の俳句を取り上げた記事が掲載され、その際も感想を書いた記憶があります。

 セイロガンにぎゃーぎゃー言ってますが気にしないでください(というか去年の夏頃からおなかの調子悪かったの……? 半年かけてやっと治りました。お騒がせしました)
 そのなかで、わたしはこんな感想を述べております。

 わたしは今まで「俳句は、誰が作っているかわからないからフラットな気持ちで読んでもらえる」と思っていましたが、それは句会でのやりとりで、句集やSNSへの投稿は作者が明かされた状態ですよね。
 この場合、座の文学という魅力から作家の作品としての魅力へと移るわけですが、作家の作品としての魅力を感じる上では「誰が、どういう思いで書いたか」という部分も研究され、評価されることがあるということになりますよね。

 『羅須地人』という句集について、「俳句作品を賢治になぞる」という言葉がでてきます。作者冥利に尽きる、と続いているのでその評について異論はなさそうですし、佐藤さん自身賢治を見つめて作った句も多くあるようですね。
 いわゆる二次創作とそうでないオマージュ作品というのは、俳句に限らず議論されることとは思いますが、読みにおいてもそのオマージュ読み(というしかないのかこの場合)があり得ることがわかっておもしろかったです。
 この辺の話は、友人と話してみたい内容です。今度話題にしてみよう。


俳句と私 「青い海」なれど/中村春

 冒頭から津田清子の句があり、最近、津田清子に関する書籍『津田清子(花神コレクション)』を買ったわたしとしてはとてもタイムリーでした。わたしはあまりたくさんの俳句を読まないので、作家についてはほとんど知識がないと言っても過言ではありません。だから余計に、「あ、知ってる句が出てきたぞ」と目を引きました。単純明快。
 中村さんはNHKの番組で、「虹二重神も恋愛したまへり」という清子の句に、俳句は花鳥諷詠で叙景的なものを詠むものだと思っていた概念が覆されたということを書かれていました。だからわたしにもできそう、と。ただ同時に、清子の天衣無縫な作り方に接し、志してもできないだろうと思ったようです。それは、うん。わかる(わかる) 

 師高野ムツオの著書『時代を生きた俳句』に俳句は「たった十七音のささやかな言葉の中に、ある時代の、ある日ある時を懸命に生きている人間の命の輝きを、その時々の自然や社会の姿とともに映しだします。俳句が一瞬を詠う詩と言われる所以です。」とある。

『現代俳句』6月号41頁

 「懸命に生きている人間の命の輝き」という言葉が印象的です。「俳句と私」のコーナーは、いろんな考えや俳句との距離感、接し方などを知ることができておもしろいです。師匠からの金言を記す方も少なくないので、「師」の存在を感じられるのも好きです。


「翌檜篇」(50) 青年部編

紐結び  野口麻礼

東京は淋しき塔よ冬の梅
 塔というと東京タワーかスカイツリーという電波塔をイメージしますが、冬の梅との取り合わせだとスカイツリーのほうが、より淋しさが増すような気がします。「よ」と詠嘆しつつ、早咲きの梅がギリギリ悲観ではない印象を持たせているような。

集ふ  磯部美咲

冷麦や課題も何もなくて昼
 暇そうだなぁ、と思わずクスっと笑ってしまいました。だらだらしている夏休みの光景でしょうか。早めに宿題を終わらせた人は大抵八月の半ばで暇を持て余すんですが、どうでしょう。ちなみにわたしは暇な人でした。友だちと遊ぶタイプでもないので。なんとなく、同類の景だったいいな、と思いました(知らんがな)

あかるき雨  佐藤知春

ふと消えて鳥は画のなか冬夕焼
 絵ではなく画というところに、その画がなんなのか想像を掻き立てられます。冬の夕焼けはどこかおだやかで感傷的です。目で追っていたはずの鳥が姿を消す。そして新たに視界に飛び込んできた画のなかに、さっきまでそこにいた鳥がいると感じる。ゆったりとした時間が魅力的な景です。

縁  佐伯一馬

弥生尽手帳と初恋とを捨つる
 2月の終わり。手帳は3月はじまりなんでしょうか。初恋も、終わってしまったんですね。畳みかけるように「捨つる」とあるのが、いっそ清々しく爽快です。春はすぐそこ。書かれていないはじまりを感じる句です。

 今回は、師の言葉が印象的な号でした。「現代俳句の風」はおもしろい句が多かったのですが、ひとつひとつツッコミを入れるわけにもいかないので心の中で副音声を入れておきます(笑)
 それでは今回もお付き合いいただきありがとうございました。また次回。

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