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「現代俳句」2023年1月号

 新年一発目から遅刻する自由奔放ぶりですが、いつもどおりゆるっとお届けします。誰がお付き合いくださっているかはわかりませんが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

若き日の松尾芭蕉  北村純一

 1月号では北村純一さんの「若き日の松尾芭蕉」という記事を読みふけってしまったのですが、これは本誌で読んでいただいたほうがいいかと思います。わたしは若い頃の芭蕉に思いをはせたことがなかったので、あの有名な『奥の細道』に至るまでの芭蕉、というものを考えたこともありませんでした。
 北村さんの記事は、『伊賀の人・松尾芭蕉』という著書の出版の経緯とねらいという視点で書かれており、冒頭から若様と芭蕉(宗房)のやりとりが小説ふうに描かれています。一読すると「BL……?」となりますが、実際、記事の中で「男色」という言葉も出てくるように、若様と宗房の関係性について似たような距離感であり、それが宗房(つまり芭蕉)にとって大事なことだったというようなことが書いてありました。本誌で読んでください、と言った手前、言わずにはいられなかったので書いてしまいましたが、こういう切り口もあるんだなぁ、と思いました。もちろん、芭蕉の人生における情のひとつと言えばなんら不思議ではないことなので、他にも数名の人物と芭蕉との関係の解説がありとても興味深かったです。

俳句と私  武馬久仁裕

 サブタイトルにある「俳句は、不思議なことばかり」のとおり、ひらがなにフォーカスして語られている記事です。
 わたしも、このnoteに句の感想を書きますが、ひらがなのおもしろさをいつも感じています。ひらがなの力は「やわらかさ」や「幼さ」だけではなく、時には「あたたかさ」「まぶしさ」「不穏さ」など、様々な気配を伝えてくれます。ここではいくつかの句のひらがながどんな景を表すかをていねいに解説してあって、とても勉強になりました。
 わたしは「気配」と言いましたが、記事の中では“ひらがなは一句の中で、ある時は、いのちの輝きに、ある時は、降り注ぐ雪や雨に変身します。”とあります。ひらがなにすることによって、言葉が持っている本来の意味を越えて、べつのなにかになることができる、ということなんですね。
 日頃、わたしたちはおそらく無意識のうちに「漢字・カタカナ・ひらがな」を選択しながら文章を書いていますが、実はそこに自分の「ねらい」が潜んでいるかもしれません。その「ねらい」を自分で抽出して、意志を持って選択することで、伝えたいことが確かになっていく。
 かんたんな道のりではないですが、少しずつ意識していきたいと思いました。(ザ・読書感想文のシメ)

「翌檜篇」(45) 東海地区青年部 編

 松永みよこさんによる「青年部初めての吟行会」のレポートです。吟行、いいですよね。今回は桑名だったそうです。桑名ってどこだ……「その手は桑名の焼き蛤」しか知らんぞ……と思って調べました。三重県でした。失礼いたしました。
 句会の参加人数が三十五人、ということで。関西でそんなに集まった回あったっけ、と思ってしまったのは内緒です。関現俳の青年部、とてもアットホームで楽しいよ!(急な宣伝)
 七月に行われたものの、かなりの暑さだったとのことで「炎天」「風死す」「日盛り」という季語が目立ったようです。いかにも吟行という感じでいいですよね。吟行句は、自分も同じものを見たはずなのに! と思うこともしばしばありますが、似たような季語があって「ですよねー」と思うこともあって楽しいですよね。共通認識というか、共感があるとうれしくなっちゃうというか。句への共感以前に温度感が伝わってくるっていうね。そういう臨場感が楽しめるのも吟行句会のよさですよね。
 こういう地区の青年部の活動って、普段、自分の所属している場所しかわからないので、旅行などで遠方に赴くことがあったら参加してみたいなぁ、と思いました。そういうのも、出会いとしていいんじゃないかな、って。そんなに頻繁に旅行に行けるわけではないんですが。まあ、ちいさな夢くらいの気持ちでね。

 今回は記事の感想文が中心になりました。こういうときもあります(あるんだ)
 最後に、現代俳句の風にわたしの句が載っていたので(がっつり本名ですが、本名で提出した句なので気にしないでください)(まだややこしい時期)

山茶花や久しき甥の口答え  相田えぬ(ちゃっかり俳号で再掲するスタイル) 

 それでは今日はこの辺で。「現代俳句の風」も、もっとしっかり読みたいんですが……もっと早く読めるようになりたいです(願望)
 お付き合いいただきありがとうございました。

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