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「現代俳句」2023年12月号

 今年も終わるというのにまったく実感がありません。下半期は治療と療養で終わってしまい、年始も治療です。そんなことある? と思いますが、そんなもんですよね。生きてるだけハッピーって思えるようになっただけでも成長かな、と自分を甘やかしていきたい今日この頃です。


列島春秋

千日の墓地へと急ぐ狐かな  曽根毅/大阪

 掲載句の下部に岡田耕治さんの「千日の墓地」という解説がありました。先に読んでしまったので、完全にネタバレ(?)してしまったのですが、一旦ネタ元は忘れて句を読むと、千日という場所(わたしは大阪の千日前を想像しました)にある墓地に狐が急いで向かっているという光景が読み取れます。文字通りですね。
 墓地に狐。狐は神の使いとされている場所もあります。年の瀬に神様から仕事を頼まれているのかもしれません。世話しない日常が神秘的な存在によって心休まる瞬間になるような気がします。岡田さんの詳しい解説はぜひ本誌でご覧ください。


翌檜篇(56)

その他  入江優

「その他」ばかり集まっているコタツかな
 職業・性別などの欄に「その他」があります。その他ってなんだろうと思います。答えたくない人もいれば、答えが選択肢にない人もいる。そんな「その他」の集いは、決して悲観的なものではないような気がします。

少しだけ  冨塚聡子

一人ずつ心から消す夜長かな
 いやなことがあると、この記憶今すぐ消したい! と思うわたしですが、残念ながらいやなことほどはっきりと、鮮明に覚えているという無常。この句は、自分の意思ではっきりと消している。長い夜をかけて、ひとりずつゆっくりと消している。静かな夜の堅い意志を感じます。

はらいそ  佐々木歩

桃刺してもうすることのないナイフ
 桃を刺すことだけに使われたナイフ、という存在。そもそも、切るのではなく刺すというところに、一種の暴力性を感じます。その暴力性も「もうすることのない」とあり、ナイフは途端に役目を失くします。アンバランスなシチュエーションがやけに心に残りました。

冬銀河  北山暁亀

致死量の孤独だつたか冬夕焼
 死に至るほどの孤独、というのは実在すると思います。孤独が引き金になって、ということではあるのでしょうが、孤独は目に見えません。「致死量」という大袈裟な言葉でようやく気づけるほどの孤独。「だつたか」とあるので、視点ではない存在に対して思いを馳せているのだと思います。冬夕焼が切実にしみわたってきます。


第十五回 現代俳句の風

十二月八日ゴスペルの新譜  小林かんな/関西

 「十二月八日」は、太平洋戦争開戦の日ですが、終戦日のほうが取り上げられることが多い気がします。十二月はクリスマスもあり、ゴスペルも聞こえてきます。戦争はいかなるときもあってはならないのだと強く思わされる一句でした。

底冷えの郵便局の休刊日  西谷剛周/関西

 郵便局の「休刊日」が具体的になんなのかわかりませんが(郵便局がお休みなのであれば、休業日な気がするので)、「底冷え」の寒さの感じと、「休刊日」という動きのない事実が年の瀬にあっていておもしろいな、と思いました。

 今年最後の感想でした。冬の句はじんわりあたたかいものもあれば、しみじみと感じ入るものもあり、また、身を切るような痛みを感じるものもあります。それはすべて「冬」の感慨なんだと思います。
 今年一年、いろんなことがありましたね。いいことも悪いことも、どっちかっていうと悪いことのほうが多かったんじゃないかと、世の中を見渡してみて思います。いいと思ったのは、M-1がおもしろかったことかな。いや、もっとありますけどね、今すぐ思い出せないだけで(記憶力よわよわ)
 とは言え、明日は来るものなので。これもあたりまえに来るわけではなく、なんだかんだ言いながら進んでいくことでしか得られないものなので。そういう日々を大事にしながら、2024年も楽しく俳句を読んでいこうと思います。
 そういえば、WEB版が増えるらしいです、『現代俳句』。読むとこ増えるんか~~~と思いつつ、こっちもチェックしようと思います。
 今年もお世話になりました。最後までお付き合いいただきありがとうございます。来年もよろしければお付き合いくださいませ。
 みなさま、よいお年を。

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