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終わりのない

月末に昇進試験がある。
面倒で一昨年からチャンスはあったけれどスルーしていたのだが、やっぱりお金は欲しいし、1人で生きていくには今のままではまずい。
と、渋々決断した。
と言うわけで、日々地道に勉強したりしている。

noteを書くとかそんなことしてる暇あるなら勉強しろよ、と言われそうだが、私は苦手なことを延々とやると精神が病みがちで、いらんことまで考えてしまうのだ。
今回も同様で、好きな男のことだったり(普通は幸せになりそうなものだが、付き合っているわけでもないと全然幸せな構図は出てこない)結婚適齢期なんて畜生な世間体だったりと、死にそうな顔になっている。
というわけで、やる時とやらない時を切り替えている。
自宅だと母がいて気を遣ってしまいなかなか進まないので、仕事後や休みの日にドトールやタリーズに入って集中してみたりとか。おかげでお茶代がかさむかさむ。
図書館は学生との座席争奪戦なので、行っても大抵空いてない。
お茶代くらいは出せる大人なので、勝てない戦には乗らない。

勉強の合間などにふとぼんやりすると、唐突に思い出すCMのワンフレーズがある。
シチュエーションが決まっている時に、脳内再生されたりするものだ。
朝、職場で仕事を始める時、どうもだるいな…と思うと、やる気スイッチ。

昔の友人のことを思うと、大五郎。

そして、自分の容姿にコンプレックスを抱くたびに、TBCだ。

「絶対キレイになってやる」
このフレーズ、幼心(歳は定かではない)に衝撃だった。
そして、ことあるごとに思いだしていた。
私は幼少期から目が悪く弱視で、ド近眼のいわゆる「瓶底メガネ」をかけて過ごした。
小さい頃は「アラレちゃんみたいでかわいいわね~」なんて言われたものだが、成長していくにつれ、思春期特有の自意識もあり、メガネがものすごく嫌だった。
コンタクトも高校になってからようやくだったが、度が悪すぎてハードコンタクトしか合わず、当時は定額制なんてものもなかったので値段も高く、失くすのが怖かった。
中学から高校にかけてずっと同じ人を好きだったのだが(一途!)自身の容姿が自分の中の「かわいい」基準に全く満たない状態だったので自信もなく、1度だけ手紙を渡して「友達になってください」という文とYES/NOの選択肢を書いたのだが、見事に「NO」で返ってきた。
ダイレクトに振られたのはこれが初めてだった気がする。

私は容姿に対して「こうありたい」というビジョンのようなものがそれなりにあって、このおかげなのか、周りのかわいい子に対して妬み嫉みというのは全く生まれなかった。
羨ましいなと思う気持ちはあったかもしれないけれど、それがマイナスの方向に向くことはなかったので、いい育ち方をしたのだと思う。
ビジョンはあるけれど過度ではないので、摂食障害とか、そういうこともなったことはない。

今、コスメをみたり、美容情報を見るのが好きなのは、美意識からではなく、コンプレックス故なのだ。
承認欲求が強いことも一因かもしれない。
今でもコンプレックスはある。常にどうにかしたいと思っている。
コンプレックスをどうにか払拭したくて、少しでも「普通」になりたくて。
何をもって「普通」なのかは、言ってる自分が一番わからない。それもある意味病気だな。
痩せすぎは不健康そうなので嫌、服が好きなので、それなりに楽しく着られるスタイルでいたい。
美人じゃなくていいから、老けて見られるのは嫌。
化粧っ気は今でもさほど無いのだが、学生時代の負の遺産であるニキビ跡や毛穴はずっと気になるので、どうにかカバーできないかとか、顔色良くなるような化粧とか、そういうのにはとても敏感になる。
派手なリップもあまり好きでなはいけど、少し血色よく見えるようになる色とか、唇が荒れないのとか、そういう基準で選んでいる。

こんな私だが飲み屋での一見スキルは高い。モテる要素ある。
でも正直、普通にモテたい。告白されたいし、断りたい(酷い)

と言いつつも、結婚はしたくない。
なんで結婚願望ないのだろうと自問した結論は

「私は勝手に幸せになるけど、相手の幸せは保証できない」
「1人に永遠の愛なんて誓えない」
「子供は欲しくない、自分をかまって欲しい」

という勝手すぎる理由だ。
だから結婚は無理だと思っている。
誰かのためになんて生きられない、私は私のためにしか生きていけない。

そんなことを考えながら、脳内に竹内まりやが流れ始める。
何がキレイの基準なのか、永遠に辿りつかないゴールを目指しているような気もする。

昇進試験に落ちたら、転職を考えるかもしれない。
きっと空しくなりながら、やる気スイッチを探すんだろう。

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