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元首相の事件から考えていたこと(愚痴です)

犯人、私に似てるな

 この事件に限らず、いろんな事件で思います。
 私は底辺の貧困の人間で、現実の世界になんら希望を持っていません。かといって、来世を信仰する気もありません。もう、今を、あるがままに生きるだけだと思っています。
 しかし、この日本社会は、
 生きるだけでもかなり難しい。

 
 ワイドショーで誰かが『最強の人』という表現をしていました。失うものがない底辺の人が事件を起こすとこう言われます。
 私、この『最強の人』という言い方は間違っていると思います。『追い込まれた人』とか『孤立して誰にも相談できなかった人』という言い方のほうが正しいと思います。
 もちろん犯人がしたことを支持するつもりはありません。たとえ極悪人であろうと、殺人や暴力はいけません。
 しかし、今回の宗教がらみの話を聞いていると「正攻法で礼儀正しく抗議活動をしても、誰も見向きもしなかったのではないか」
 と思わざるを得ません。実際、あんなに問題のある団体が、何十年も野放しにされて、テレビや報道も見向きもしなかったわけですから。

 周りの無理解、無関心が、
 犯人を事件に追い込んだ。
 私はそう考えています。

 最近、ある大事件から3年というニュースがありました。放火でかなりの人数が死傷した事件です。しかし、私がそれを見て思い出したのは、別な事件でした。
 知的障害者施設で、十数人が殺傷された大事件がありました。
 ほとんど虐殺です。
 なんの罪もない人が、ただ殺されましました。
 なのに「殺されたのが障害者だから」という理由で世間には顧みられなかった。
 それに比べて放火事件では、世間の同情が一気に集まり、多額の寄付までありました。

 健常者が殺されると、
 みなが同情しますが、
 障害者が殺されても、みんな何とも思わない。

 ああ、命が平等だとか尊いとか、
 みんなが言ってるのは大嘘なんだな。
 健常者の命しか尊重されない世界に、
 私達は生きているのだな。

 私はこの2つの事件の扱いの差に絶望しました。
 今でも思い出すと怖くて叫びたくなるくらい、障害者殺害事件のほうが私には重いのですが、世間がそれを理解することはない。

 もちろんわかっています。放火殺人事件と、この障害者殺害事件にはなんの関連もないことは。どちらも痛ましい事件です。優劣なんて本来、ないはずです。

 しかし、私の世界では、
 この2つは、世の中の光と影として、
 対照的に結びついたまま、
 焼きついてしまっているのです。

 これは私にしか理解できないこと。




 なので、安倍首相の事件で、 
 コメンテーターが、

「なぜ宗教団体を狙わずに、
 関係ない元総理を狙ったのか」
 
 と不思議がっているのが、私には逆に不思議です。2つの出来事、あるいは存在が、奇妙な感じで結びついてしまうことは、人間の心の中ではよくあることなのに。このコメンテーターたちにはそういう経験がないのでしょうか。

 おそらく、犯人の中では、奇妙な形ではありますが、その宗教団体と元首相が強く結びついてしまったのでしょう。

「権力をもっているくせに、あんなに問題のある宗教団体を野放しにして、関連団体にまでメッセージを送っていた」

「苦しんでいる人がたくさんいるのに、何もしてくれなかった」

 もう、これで、
 動機としては十分だと思うんですが。

 テレビを見ていると「動機と元首相がつながらない」とか言ってる人が多くて驚きますが、
 貧困または困っている立場から見ると、

「こんな重大な問題があるのに、政治家が何もしてくれなかった」

 というだけで、恨みが出ても何もおかしくない。
 もちろん、だからって殺しちゃだめですけど。
 政治家が気に入らなければ、支持しなければいい。投票しなければいいだけです。
 暴力はいけません。



 

 あるコメンテーターが、

「そんな知能があるなら、
 別なことに使えばいいのに」

 とか言ってました。
 これね、よく言われますが、
 無理な話なんですよ。
 知能が高い人は福祉施設にも底辺にもたくさんいますが、他の病気や症状や家庭の事情のせいで、仕事や生活が上手くできなかったりする。
 そういう人に、事情がよくわかっていない人がよく言うんです。
「もっとましなことに才能使えば?」
 それができたらとっくの昔にしてるわと思います。福祉施設から出られない状況、または、非正規雇用しかできない、いや、バイトすら見つからず失業、孤立という状況で、「才能を生かせ」とか言われたって、一人の力では無理すぎます。

 犯人に一人でも、理解者がいれば。
 そう思いますが、
 一方で私は知ってしまっています。
 貧困の当事者として。

 底辺の人間を理解しようとしてくれる人は、
 この国にはまずいない。

 SNSにも人が集まらないし、
 地位も金も才能もない人には、
 みんな関わろうとしません。
 それが現実です。

 世の中が『孤独、孤立は問題だ!!』と言いながら、自分に都合の悪い人(金のない底辺の人、障害者、非正規雇用者、マイノリティなど)は徹底的に無視し続けているのを、日々私達は目撃しています。

 助けを求める気力もなくなりますよ。
 現実に起きた差別的な話を聞いてると。

 余談ですが、最近は生活保護を受けるのも難しいです。一人で行くと断られ、別な支援者を立てて同伴してもらわないと話を聞いてもらえないということをよく聞きます。
 『支援を受けるための支援』が必要で、もちろんその人たちもタダでは動きませんから、そこに賃金や税金が使われている。二重に金と手間がかかり、翻弄される当事者は疲れ果てる。

 最近別に「死刑になりたかったから」と人を襲った女性もいましたね。もちろん身勝手な犯行です。死にたきゃ一人で自殺しろと思った方も多いでしょう。
 でも、気持ちはわかってしまいます。それくらい、今、底辺には希望がないのです。生きる望みが、ないんです。
 そこに目を向けずに、いくら孤立対策だのなんだのと言ったところで、無駄だと思います。
「こういうことをすれば就職できる」とか、
「こういう手順で生活費を確保できる」
 とか、
 そういうのが明確にあればいいんですが。
 ないんですよね、そういう希望を得る手段が。
 経済的に貧窮すると、人付き合いもできなくなって、ますます孤立します。
 恋愛や結婚だってできないでしょう。
 趣味も持てません。
 『人間らしい最低限の生活』が、
 できない人が大量発生している。
 それが現状。

 結局これは、
 政治の失敗なんじゃないでしょうか。


迷惑な宗教団体について

 実は、最初に『宗教団体』と聞いたとき、私の頭には別な団体が浮かんでいました。
 いるじゃないですか。あの団体が。
 選挙前になると「○党に投票してください」と電話をかけてきたりするあの宗教団体が。
 名前は伏せますが、だいたいの人が知っていると思います。私は最初、あの団体だと思いました。でも後で違うとわかりました。

 政治に、宗教団体が入りすぎです。
 私はこれが嫌で、選挙のたびに考え込んでしまいます。
 障害や差別について、なんとかしてくれそうな候補者はたいてい皆無。なので別な条件で選ぼうとしても、ちらほら見える怪しい団体の影。

 選挙に出る人は、自分を支援している団体を一覧表にして公表してくれないかな。
 そこに、マイノリティに対して差別的な団体や、怪しい宗教団体が書かれてたら、私は投票したくない。

 その、事件とは別の宗教団体は、昔から、選挙の前になると知人や身内に投票をお願いする電話をかけてきました。
 選挙法違反ではと思うのですが(詳しくは知らないです)、実際にかかってきてました、私の身内にも。

 あと、30年以上前の話ですが。
 私の祖父が、近所付き合いで、その宗教団体が発行している新聞を取っていたんです。
 でも、はっきり言って役に立つことはなんにも書いてないので、祖父はその新聞取るのやめようとしました。
 すると、

「どうしてやめるんですか!?」
「やめないでください!」
 
 という電話がひっきりなしにかかってきて、驚いたそうです。祖父は店をやっていたので、
「まるで営業妨害だ!!」
 と困り、結局その新聞をやめることができなくなりました。
 もう脅しです。押し売りですよ。


 そういうことがあったのと、
 オウムの事件があったことがあり、
 私は、宗教団体というものが基本、嫌いです。


 歳をとってから仏教やキリスト教に興味を抱きましたが、原典を読むと、カルト教団や怪しい自己啓発の教祖達が、いかにそれを捻じ曲げて都合よく利用してるかがわかるようになり、ますます宗教『団体』が嫌いになりました。
 

 信仰は魂の問題だから、
 基本一人で向き合うものではないかと、
 私は思っています。


 今頃になって、こんな問題のある別な団体が野放しになっていることに驚きました。同時に、自分がいかに無知だったかも思い知りました。カルト教団に対する警戒心は、当たり前にみんなが持っているものだと思っていました(90年代のオウムの記憶がある世代は特に)。でも、そんな単純な問題ではないのですね。
 今事件で問題になっている宗教団体は、最初は宗教の話はせずに、趣味やスポーツの活動で勧誘してきたりするそうです。そりゃ騙されますわ。私だって手芸サークルとかに誘われたらうっかり入ってしまいそうだもの。
 とにかく、やることが巧みなんです。
 個人の力では抗うのは難しそう。

 やっぱ、一人ではだめなんだよ。
 いろんな人の助けがないと駄目なんだよ。
 その助けが得られなくて、
 苦しんでる人がたくさんいるんだよ。
 しかし、
 安易に「助けを求めましょう」と言われても、
 その前のハードルが高すぎるんだよ。
 相談しても追い返される率高いんだよ。
 貧困だと。

 結局、人の意識が変わらないと、
 制度も変えないと、
 いつまでも絶望しかないんだよ。


 怪しい宗教団体に依存しないようにする。 
 それには心を安定させる。
 生活を安定させる。
 
 そのために政府は動いてほしい。




 ということを最近いろいろ考えたり思い出したりしていました。
 もちろん殺人はよくないです。当たり前です。
 でも、こういう大きな事件が起こらなければ、みんなこのカルト教団の実態に気づかず、関心も集まらなかったでしょうね。

 結局、長年放置していた宗教団体や貧困、孤独のツケが、たまり溜まってこんな事件になってしまった。

 容疑者一人の個人的問題では済まないし、
 それでごまかして、
 何も変わらずに数十年過ぎたら、
 また同じような事件が起きるに決まっています。

 今のうちになんとかするしかありませんよね。

 でも、そこにもあまり希望はなさそうですが。

 障害者の事なんて、
 あんな大事件があっても変わらなかったし。
 今回の宗教団体だって、
  90年代、いや、もっと前から、
 何度も問題になっていたのに、
 野放しだったわけだし。

 あまりにも根深い問題で。

 私にできるのは、
「自分が容疑者にならないようにする」
「変な怒りを溜め込まずに生存する」
 ことだけです。

 しかし、今は、
『生存する』ことすら、
 なんて難しいのでしょうか。









 愚痴を読んで頂いてありがとうございました。



※宗教や政治のことはなるべく書かないようにしようと思っていましたが、今回は事件があまりに大きくて考え込むことが多かったので、記事にしてみました。
 不快を感じられた方がいたらすみません。





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