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社会派映画のすゝめ

 今回は「社会派映画」と呼ばれるような少し堅い作風の映画について書きたいと思います。抽象的で曖昧なカテゴライズはあまり好みませんが、分類やラベリングが時に新鮮な視点を与えてくれることもまた事実です。製作国と扱うテーマの被らないよう、有名なものからあまり知られていないものまで年代順に6作品ほど紹介しています。「社会派映画にしては」といった枕詞なしに、純粋に映画として楽しめるものを選出したつもりです。興味のある方はどうか最後までお付き合いください。  


※以下、作品の詳細を含みます。ご了承ください。

1.『父の祈りを』(1993年)

○製作国:イギリス/アイルランド
○監督:ジム・シェリダン
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[あらすじ]
 1974年、イギリス政府とIRA(北アイルランド共和軍)との間で続く抗争の中、ロンドンのとあるパブで爆破テロ事件が発生。容疑をかけられたのは、北アイルランド出身の4人の若者たちであった……。

 本作品は、「ギルフォード・パブ爆破事件(ギルフォード・フォー)」と呼ばれる実際の冤罪事件を扱った映画です(原作はジェリー・コンロン本人の回想記)。
 ジェリーとその友人であるポール、パディ、キャロルを合わせた4人は、イギリス政府が定めた「テロ防止法」によって証拠もなしに勾留を余儀なくされます。警察としては、相次ぐテロに対する市民の不安を取り除くために、それがでっち上げだとしても「犯人」というスケープゴートが必要だったわけです。次第に、捜査の手は容疑者家族にまで及び、主人公ジェリーの父ジュゼッペらも逮捕、投獄の憂き目に遭う事態へと発展。それでも、ジュゼッペは不当な判決に屈することなく、獄内で再審に向けた嘆願運動を続けます。息子のジェリーは、盗みを働いたりドラッグに手を染めたりとろくでなしの放蕩息子ではありますが、それと同時に父親に対する確かな愛と尊敬の念も感じられます。そしてある悲劇を境に、ジェリーは目の色を変え、仲間と家族の無実を証明するために闘うことを決意するのです。
 『父の祈りを』は、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞しており、世間的な評価も非常に高い作品です。脚色の強い演出も多々ありますが、冤罪事件を扱う映画としても、父と息子の絆を描いた映画としても、はたまた法廷映画としても、見どころの多い一作だと思います。

2.  『グッドナイト&グッドラック』(2005年)

○製作国:アメリカ
○監督:ジョージ・クルーニー
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[あらすじ]
 舞台は冷戦初期1950年代のアメリカ。ジョセフ・マッカーシー上院議員の「赤狩り」による理不尽な告発が相次ぎ、不信と恐怖が蔓延する中、毅然とした態度でマッカーシー批判を行う一人のTVキャスターがいた……。

 実在のCBSキャスターであるエド・マローを取り上げた本作は、かのジョージ・クルーニーが監督、脚本、出演を務めたことでも有名です。 
 「赤狩り(≒マッカーシズム)」というのはつまるところ、共産主義者を社会的に追放・抹殺しようという一連の運動を指すもので、その旗手となって大衆を扇動したのが当時のマッカーシー上院議員だったというわけです。この「マッカーシズム」が反知性主義や陰謀史観の文脈でも引き合いに出されるのは、これが反証可能性のない“悪魔の証明”だったから。共産主義者が「一人いる」ことは証明できても、「一人もいない」ことは証明できません。加えて、冷戦期50年代のアメリカというのは保守的な“順応主義(コンフォーミズム)”による思想的不寛容の時代であって、これがまた集団ヒステリーのように赤狩りを加速させる土壌を育んだのです。
 そんな中、不屈の精神と正義の心をもってマッカーシーに立ち向かったのが、この映画の主人公である“エド・マロー”。彼はキャスターとして、また自由を掲げるアメリカの一国民として、最後まで言論を武器に権力と真っ向から対峙します。
 本作の注目すべきは、全編モノ(白黒)のクラシック・スタイルで映像化されているという点。これによって、ダンディで抑制の効いた演技と、燻るタバコの煙が一層印象的に映ります。「アイアンマン」になる前のロバート・ダウニー・Jrなんかもキャストとして参加しているのでぜひ探してみてください。

3.『悲しみのミルク』(2008年)

○製作国:ペルー
○監督:クラウディア・リョサ
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[あらすじ]
 ペルーのとある村で一人の老女が息をひきとった。娘のファウスタは母親の埋葬費用を捻出するため、ある女性ピアニストの家でメイドとして働くことに。しかし、彼女は心に深い傷を抱えていて……。
  
 “クラウディア・リョサ”という監督の名前は聞き慣れなくても、“マリオ・バルガス・リョサ”と聞けばピンとくる人がいるかもしれません。マリオ・バルガス・リョサは、2010年にノーベル文学賞を受賞したペルーの小説家で、監督の叔父にあたる人物です。そして、マジック・リアリズムの名手として知られる彼の作品に通づる文学性と抒情性を、「映画」という形で発揮してみせたのがこの『悲しみのミルク』という作品であると言えます。
 ペルーは内戦とゲリラの記憶が新しい国ですが、主人公ファウスタの生まれた80年代はまさにそういった武装闘争の時代に当たります。同時に、南米は民間伝承や民間医療の根強い土地でもあって、テロの恐怖が母親から母乳を通して伝染したのだとファウスタは語るのです。そんな一人の女性の内面を真摯に丁寧に描きつつ、彼女の視点から、未だに続く悲劇の影とペルーが抱える貧困問題を映し出す監督の手腕は見事と言うほかありません。
 ベルリンの金熊賞を受賞していながら中々話題に挙がらない本作ですが、ペルーの乾いた風土と鮮やかな青い空のコントラスト、ファウスタが口ずさむケチュア語の唄が美しい大変魅力的な作品です。VODでは観られませんが、たまにはレンタルもいいものですよ。

4.『眠れる美女』(2012年)

○製作国:イタリア/フランス
○監督:マルコ・ベロッキオ
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[あらすじ]
 不治の病を抱える妻と政治家の夫、娘のために女優としてのキャリアを捨てた母親とその家族、自殺願望を持った女性と一人の男性医師。2009年のイタリアで起きた実際の尊厳死論争を背景に、法案決議に至るまでの3組の心の揺れ動きを丹念に描く……。

 『眠れる美女』については以前のnoteで尊厳死の話が出た時に少し触れたのですが、よくできた映画なので改めてここで別項を設けて書きたいと思います。
 この映画の最大の特徴は、3つの物語をオムニバスという形ではなく、一つの時間軸で共時的に描いてみせたところ。それでありながら本作は、全ての登場人物が有機的に連関して複雑に絡み合うガイ・リッチー的な群像劇ともまた違った独特の質感と情感を持ちます。ある一つの事件・事象に向かって盛り上がりを見せるというシナリオは、ポール・トーマス・アンダーソン(PTA)の『マグノリア』やロバート・アルトマンの『ナッシュビル』などを彷彿とさせますが、実際の事件と論争を媒介にするという構成の妙が、さらに強烈なリアリティを作品に付与しています。その他にも、豪華な俳優陣、美しいカメラワーク、画面内の「テレビ」というフレーム、歪な家族愛の行方など注目すべき点は多くあります。また、イタリアという圧倒的にカトリックが多くを占める国で、こういったセンシティブな話題を正面から描くことにも大きな意味があるでしょう。
 「尊厳死」や「自死」といった重いテーマを扱いながら、正否の二元論に終始することなく、映画的な魅力も護持して一つのドラマにまとめあげる巨匠の巧みな演出に魅せられる人はきっと多いはずです。

5.『人生タクシー』(2015年)

○製作国:イラン
○監督:ジャファル・パナヒ
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[あらすじ]
 ここはイランの首都テヘラン。政府に映画制作を禁じられた監督が、タクシー運転手に扮して人々の生活と交流を素朴に映し出す。果たしてこれはドキュメンタリーなのか、映画なのか……。

 映画だったらマーティン・スコセッシの『タクシードライバー』、ジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』、ドラマならバカリズム脚本の『素敵な選TAXI』、また今年話題になったアニメ『オッドタクシー』など、「タクシー」が物語の中心に据えられた映画は面白いという持論があるのですが、この『人生タクシー』も例外ではありません。
 製作国のイランは、表現規制や情報統制の厳しさでも知られる国です。そのため、イランではしばしば、政治的な要素を除くために“子ども”に焦点を当てた映画が撮られるのですが、本作からもその特質の片鱗が窺えます。監督の姪っ子として登場する「ハナちゃん」に注目してみてください。彼女の語る言葉と非力な眼差しに、誰しも思うところがあるはずです。
 またモキュメンタリー(≒フェイクドキュメンタリー)という手法がなんとも器用というか狡猾というか、とにかく、映画制作の禁止令を受けた監督が市井に生きる人々の実情を描画するとなれば、このような形を取るしかないわけですね。そんな中で、これほどユーモアとペーソスに溢れた人生賛歌を撮れるのは彼だけではないでしょうか。

6.『僕たちは希望という名の列車に乗った』(2018年)

○製作国:ドイツ
○監督:ラース・クラウメ
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[あらすじ]
 物語の舞台は1956年の旧東ドイツ。西ドイツの映画館へと忍びこみハンガリーの民衆放棄を知ったテオとクルトは、その哀悼のためクラスメイトに黙祷を呼びかける。しかし、2分間の黙祷は一大事へと発展し……。

 最後は、2018年製作の青春物語です。一応「社会派映画」という括りの中で紹介していますが、一つのエンタメとしても非常に完成度の高い作品で、人を選ばず老若男女誰でも楽しめる映画だと思います。
 大人と子どもの対立や、解放のための闘争といった普遍的なテーマの俎上にありながら、そこに冷戦下の閉塞感や緊張感のエッセンスが加わることで、至極の一本としての輝きを放ちます。
 また実話を基にした映画とはいっても、見どころは主演二人(テオとクルト)の「友情」であって、今風の言い方をすればそれは”ブロマンス”と呼ぶことができるかもしれません。一人一人校長室に呼び出される「取り調べ」のシーンにはサスペンスの面影さえ覚えますが、ここでは追い込まれた際の人間の弱さや強さが、学生たちの迫真の演技と共に細やかに描かれます。
 他にも東西ドイツに関しては、例えば『善き人のためのソナタ』でシリアスに、『グッバイ、レーニン!』でユーモラスに活写されているため、予備知識に不安のある方はここらも併せて鑑賞することをオススメいたします。


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おわりに ー映画批評についてー

 自分が映画を観る際によく参照している「先輩がすすめる100本」という大学図書館のリストがあって、これが非常に素晴らしい出来なのでどうにか共有できたらとは思うのですが、作品を羅列したリストであっても“編集著作権”なるものが発生するため中々難しい部分があります。
 このリストの素晴らしさは、ただ純粋に面白い映画を複線的かつ横断的な映画史の試みの中で位置付けることに成功しているという点にあり、その正確さと丁寧さは他に類を見ないほどです。有志の学生たちによって充分な議論と推敲が重ねられたのでしょう。何より感心するのは、「こういう映画を観ている僕/こういう映画が好きな私」といったエゴや私意がおよそ排されているところ。映画や小説を勧めるとなるとどうしても、そこから他人の内に形作られる自分のイメージの憂慮と期待が先行して、邪な私心が顔を覗かせるものですが、映画への大きな愛と「後輩たちに古今東西の名作を観てもらいたい」という制作者の熱意が、その厄介な自尊心を抑え込むことを可能にしています。
 そしてこの誠実さこそ、我々が信奉すべき最も重要な姿勢であり、傲慢さや独りよがりを抑制しながら映画評論/映画批評を行うたった一つの方途であると考えるのです。自分も常にその誓約を念頭に置いて、noteを書いていければと思います。長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

最後までありがとうございます。