じぶんらしく夢をえがく
Where there is a will, there is a way.
精神一到 何ごと か 成らざらん
あなたは何のために今、頑張っているの?
新規感染者数が記録的な伸びを見せている東京。
その東京で行われたオリンピックは、何年もの努力の成果を問う、アスリートたちには大切な場だったのだと思いますが、歴史上、他に類を見ない形での開催になりましたね。
一方、一般の社会では感染しないよう観戦を我慢しつつ、今年の夏も過ごしている中で「危機感の共有」がなされていない、とメディアでもそこかしこで発信者の声が取り上げられています。
緊急事態宣言がもたらす、生活の大きな変化。
漠然とした未来。不透明な将来。
動けなくなってしまっている進む道。
危機感の共有とは、言い得て妙。
なにも新型コロナウィルスの感染状況だけでなく、
自分たちの今日、これからの生活に迫っていることも、
知らんぷりはできないのですから。
ここで一つ一緒に考えて欲しいのですが、
私たちは何のために、今、あれこれ頑張っているのでしょうか?
いつのまにか「何のために」がわからなくなる
・誰かのため?
・生活のため?
・自分のため?
回答する人の数だけ、その答えがあるのだと思います。
頑張る理由も、働く理由も、学ぶ理由も、それぞれ異なります。
一方で、回答する人の数だけ、それぞれの環境が異なり、
ゴールにたどり着くまでのルートも異なることもまた事実です。
だからこそ「自分だけがよければいい」という人も増えています。
自分だけが不幸、と思う人の心因的な犯罪も日々増えています。
社会で共に生きていくためには、様々な境遇の人がいる中で
共通の「何のために」が明確にないと、
お互いに励まし合い、お互いにつながって支え合うことの
必要性を感じなくなってしまうのです。
「異常が日常になる」と、違和感に誰も気づかなくなる。
マスク生活が異常から日常になると、
反対にマスクをしていないと異常になるわけですが、
2年前には私たちはもともとマスクなしで生活をしていました。
しかし、異常な環境からマスクがある生活へと変わり、
三密を避けて、できるだけ人との関わりを減らしていきました。
文句は言っても、仕方がない、と従ってきたわけです。
そこには「力ある人から言われたことを素直に受け入れる」という教育方法が、今まさに、見事に国民の行動として、花開いているからだと思います。
自分の意思はあったとしても、力ある人からの要請を受け入れていくことで、自主的行動に結びつけないために、自己肯定感や自尊感情はそっちのけで受け身の練習をたくさんしてきているわけです。
このスタンスがまさに、今、子供たちの教育現場にそのまま導入されています。誰もがマスクをし、手洗いうがいの励行、教室での食事は喋らずに前を向いてひたすら食べる。
「嫌だな」と思ったとしても、大人や先生から言われたことを受け入れていくことで、「私はこうしたい」という行動に結びつけないために、違反者には自己肯定感や自尊感情はそっちのけで、受け身の練習をさせられているわけです。
だからこそ、そのうちに「これは危ないからやらない」「これは怒られるから手を出さない」と、連想がうまくなり、見えない漠然とした未来に不安を抱き、その不安を消そうとするあまり、「共生・連帯」よりも、「まずは自分がよければいい」という判断をしていくことになります。
適切な負荷は、子どもの成長には必要ですが、生活の負担しかり、学びのレベルも、身の丈に合わない重すぎる負荷は子どもにも、家庭にも、精神的に、経済的にも負担が大きくなることを理解しておくことが肝要です。
今、これからの日本国を支える子どもたちに必要なのは、
真の国民を育成する教育を幼児教育・義務教育・高等学校・大学のあり方を抜本的に変える必要があります。
その基準づくりは、一番小さな社会の単位、家庭です。
幸せな国を創る第一歩は真の人間を育てる教育体系をまずはあなたの家庭から作り上げることから始まるのです。
<次週はお休み。再来週からはテーマを変えてお届けします。>
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