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社会のルールを知ることによる恩恵

「〇〇さんの電話番号教えてください!」というお願いに対して、その対象が自分ではなく別の人物だった場合どう対応しますか?

自分だったらOKするから「大丈夫ですよ!」と伝えるのか、それとも、これはあくまで〇〇さんのことだから、勝手に自分が決めちゃいけないと思って、「ちょっと本人に聞いてみないとわからないのですみません」と伝えるのか、はたまた、そういえば〇〇さん人脈を広げるために頑張っていたなと気を遣って、「大丈夫ですよ!」と伝えるのかと、色々なパターンがありますよね。

このような対応全部“社会のルール”を身につけているかどうかで、安定的により正解らしい答えを導くことができるのです。

こういったルールは、社会の性質と人間関係が相まって自然発生的に作られていったものです。

こういったルールを身につけていくごとに、社会の性質が自分の精神に宿っていくのです。

よって自分の行動が社会的常識のラインを越えているのかどうなのかを理解できるようになっていきますし、社会的ルールからもたらされる応用的な対応も直感的にできるようになるのです。

逐一社会的ルールからの発想ではなく自分の発想だけで考えていたら疲れますし、毎回安定した結果を望めませんし、いつの間にか社会構造の枠から飛び出した自分の時間も相手の時間も無駄にする対応をしていることもあるのです。

雑談や共感もすごく大事なことですが、あくまで私たちは資本主義社会に組み込まれ、その原理通りに動いてお金を生みだす仕事をする存在なのです。

その行為自体が資本主義社会にプラスになるように結び付かなければ、ルールを破っていることと同じなのです。

ただし、自分がプラスになると思っていることも、より上位の人間がそうは見なさなかった時(狭い視野もしくは広い視野、野望や個人的思惑など)、それは半分ルールを破っていることになります。

逆をいえば、あなたの独自の考えを持ったまま地位を上げれば、それより下の対象にあなたのルールが適用されるということです。

ルールを破ったらどうなるか。

社会のルールではないのですが、トランプの大富豪で説明しますと、

全くルールのわからない状態で大富豪を始めたとして、手札の強さ順がわからないので手札を同じ数字で順番に揃えることをしませんね。

しばらくすると、早くカード出してよ!と言われます。渋々適当に5のカードを1枚出すと、時計回り順に他のプレーヤーがカードを出していきます。

ここで、数字が高いとカードを出すことができるのか!と気がつき、8に対して9
のカードを出そうとますが、8を出したプレーヤーから「8を出したら今までの流れを切って、自分の番から始めることができるの!」と言われてしまいます。

「へーそうなんですね。知らなかったすみません」と謝って、ゲームは再開されます。

あなたはまたルールを破って文句を言われるのが嫌になったので、他のプレーヤーを観察して、どうやっているのか覚えることにしました。

なんだかんだ自分の手札を捨てることができ、残り一枚、これを出せば勝てると思いジョーカーを出しました。

しかし「ジョーカーを最後に出してはいけないとルールがあるのであなたの負けです」と言われます。

「ふざけるな!そんなルールありかよ!」と文句をつけるも、勝敗を覆すことはできませんでした。

ルールを破ることは、そのルールを守ることで成立していた構造を破壊することであり、ルールを守ってきた人たちとの約束を破ることであり、そのルールを破った者に対して何らかの対応をしなければ、物事が現在進行形でも将来のことを考えても進まないという危機感と苛立ちを募らせるのです。

しかしこのようなマイナス感情は、ルールを知らない者には一切もたらされないのです。

無知は罪なのです。

幼い子供がコンビニでお菓子の袋を勝手に開けて食べてしまっても、お金を払わないといけないというルールを知らなければ、罪悪感などないのです。

また改革的思想を持っていても、ルールを把握していなければ、その社会構造自体を破壊してしまうといった事態になりかねないのです。

社会のルールを知ることで、あなたは社会に守られながら利益を得るのです。

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