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耳目を貸す位置♪

※ 私にも将来を わが家系を担う身内がいる。
  彼らが私世代の老後を担う。
  他人事でないことを知った上で投稿しています。


荒川和久さんが長く「少子高齢化」「人口減少」がもたらすことを日経COMEMOで投稿していらっしゃる。
荒川さんの「独身研究家」「男女の恋愛・結婚事情と違い」にばかり目を向けて、申し訳ないことに大切なことを説いていることを「全く」とらえていなかった。
途中、荒川さんが何度も投稿している言葉が下記に登場してしまう。
私が83カラットの頃には人口が絶句するほど減り、「老後はどうなってる?」「会社のことどころでないじゃん」と真剣に考えるとは思いもしなかった。

下記の投稿をしたが足りない。全く伝えたいことが足りない。
未来を恐れずにもっと耳目を置く位置を変えないといけないと考えている。

「つぶやき」を削除したが形を変えて投稿する。
「国民の不信感」を感じるなら、政界のことは政界内で納めて欲しい。
そんなことで長い時間を費やさないでほしい。
表に出すべきことを間違っている。

今後のほぼ確定されている未来の日本人口=急激な人口減少に陥ることをもっと大きく掲げてほしい。

国民に何が起きるか(覚悟しておいてほしいこと)?
何が必要になってくるのか?

今年生まれたお子さんが20カラット時に人口減少で何が起きているのかを前面に出して、私たち国民に政府ができること、国民がすべき心構えや準備を伝えてほしい。

ある紙面では未来の人口を表に出すと国・国民が疲弊するとある。
しかし、現実に確実に!訪れる 減少を指をくわえて待ってろ?
今 子育て世代のお子さんが手を放れた時に「残酷な国になっていました」のほうが、おかしいのではないか?

なぜ黙っていたんですか?
子育てを終えた私たちの老後、私たちの子どもの未来はどうなるんですか?

となるのではないかと日々思うようになってきました。
未だに、「これから子供が増えたら まだ間に合う!!」と思わせるようなことを(政策)一度大きく止めていただきたい。
「子育てし 各自の老後も100%準備できる方のみ お子さんを!」と伝えるほうが好意・善意的ではないかと思えるのは私だけだろうか。

隣の国では既に若い人々が自国の人口減少を知り、人口減少=未来の人口がわかっているのに子育て世代にのみ助成金はおかしいのではないか?
完全に助成金はなしにするか、出すなら独身者・既婚者で子供のいない夫婦も同じように働いるのだから助成金を出すべきと訴え、助成金が平等に出はじめている。

幼稚園・保育園・小学校・高校・大学の定員割れ・各校の合併・専門学校維持が危機的状況の理由を恥ずかしながら私は未来人口数(20年後)で知った。
各校・各学年の令和6年度の生徒数を知り愕然とした。
私世代が在学中の半分以下、酷いところは1/3になっている。

子供=子孫がいるから わが家系は安泰!!とは言いかねる。
周りに将来を共に担う子が少ない中で、安泰は約束できないはず。

有名校・名門校・・・このままいくと、優秀な子も学校を選べなくなる。
先生も・生徒も減る。
学校施設自体の空き物件さえ増えてくる。
塾や予備校も激減する。
優秀な子・優秀な人材は海外に出ることになる。
これで人口は減り、一層維持できなくなる。
各企業の社員も維持できなくなる。
各所にある祭りをはじめとする伝統行事が継承できなくなる。
そういう構造になる。

そういう現状を 国民の一番近いところで起きる一番大切なことを報道を通して伝えていただきたい。
それについて政界で表で討論していただきたい。
国民の意見を耳にして共に未来を作っていただきたいと思います。
今の問題を与野党の蹴とばしあいを次期選挙に使わないでほしい。
今の問題が画面に出るとチャンネルを変えていると伝える。
無駄である。
国民の不信感を勝手にそこに持っていかないでほしい。
全員が同じところに不信感を持ってはいない。
これからの選挙は、人口減少についての未来を語れる人物の話を聞き選びたいと切に思っている。

そんなに遠くない将来、一企業の第一線から外れた位置で私も働き続ける。
私が昨今 細かにチェックしているのが、政界で岸田さん世代から後の与野党の人々を 彼らの周りを囲んでいる人々をチェックしている。
彼らが、これらからの日本の未来を担う。
私たちと未来を歩く。
人口減少の世界を共に歩く人々の考えを様々な位置から耳目にし「未来を選び準備したい」と考えている。
近未来と遠い未来を既に見据える。

これからの この現実に目を背ける人、受け止めて各自各視点で準備できる人・企業=経営者で未来は大きく変わる。
それは、生活差が出るということにもなると考えます。
あなたは、どのように受け止めますか?


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Cohibaのちょっと一言♪

創業者はツールド国東などに出場していた。
どのイベントも支援する人々が減っていき、一部開催を終えたところもある。
スポーツイベントは、開催地と訪れる人々を繋ぐ大切な架け橋。
開催地の人々は町を盛り上げるのに楽しみにしていたと聞く。
今 どのような思いだろうか。

博多には「どんたく」「山笠」がある。
どれも集団である。
それを支える人々は山のように必要である。
「山笠」の各流れには伝統的な決まりごとがあり、流れによっては参加者を厳選していた。(そこに住んでいる人・過去に住んだ人以外は参加できなかった流れもあり、たぶん今も流れによってあるかもしれない。)
ジワリ変化し始めている。
少子化・人口減少は、将来の開催危機を伝えている。
この祭りの継承は続けなければならない。
打つ手はないのか?と思いながら、今年も山笠準備に入る。

※ 政界のお金は何らかの形で「※国内社会」に貢献しているのであるなら入出金に細かに興味はない。