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私について:4 祖先と謙虚

何故か・・・小さい頃から第三者の目で何でも観る癖がある。見ているではなく、観ている。

トラウマになるほど厳しい批判に若い頃さらされたことが、功を奏したのだろう。これに至っては、謙虚な姿勢に繋がった。「手のひらを返されることも覚悟である。(今回のようなウィルスや経済の動きなど、人だけでなく「世の中の流れも含めてね)」常に そう思っている。そのくらいの緊張感を持っている。

どんなに幸せであっても、転落「も」考えている=そう言うことに陥らないために、遠い未来をまず見据え、それに向かって手前から駒をどう進めるべきか考えるようになった。

以前の職場の同僚: づっと何か考えているやろ?づっと考えている顔をしてる。朝 起きてから そうなん?だいたい 朝 机についたら支持してくれるから私 何も考えなくていいもん。よく そんなに考えられるよね。疲れちゃうよ。たまに、ぼ~っとしなよ。

近くの83歳の上司が笑いながら頷いていた。

この言葉には驚かされた。自慢ではなく、私の中で生きていくこと=考え行動し続けることと思っている。(映画「めがね」のタエコのようである。)

その背景には、祖父の姿がある。歳を重ねるごとに、祖父の姿がクローズアップする。その数が増えている。

以前の投稿にあるが、見た目も とてもハンサムな祖父。それ以上に気になっていたのが穏やかな性格。私は怒られることも、怒鳴られることも、厳しい注意をされたことも「全く」ない。祖父は全く威張る人ではなかった。謙虚が歩いている感じ。

※ 人様より引いていなさい。 人様がいてくれるから自分が生きていられるんだからね。前に出すぎないようにね。人様・身内 誰に対してもね。

上記のような姿だった。姿が教えていた。たぶん 祖先の人々が、そうだったのだろう。

今の私を観たら 祖父は何というだろうか?


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