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ご機嫌よく三輪車にのって♪

仕事で様々なお客様へ会いに行く。お客様が商店街でご商売をしていると、商店街へ足を運ぶ。買い物を必ずして帰る。そう決めている。

私: おばあちゃんが焼き鳥を焼いていたの。美味しそうだったから買ってきた。夕飯にいいでしょ?

母: あら?あそこの焼き鳥?懐かしいわね~♪ 三輪車に乗ったアナタと一緒によく買い物に行ってたのよ。おばあちゃん?そう、そんな月日が経ったわね・・・お元気だった?あなたが来ると喜んでいたのよ♪

私: は? 春日公園から雑餉隈駅まで三輪車って・・・あそこまで、歩いて?三輪車?はぁ~!?私、泣かなかったの?途中でも泣くでしょ?

母: 商店街へ行くって言って振り向いたら、もう三輪車に乗ってた♪ 往復ご機嫌だったわよ♪ 会いたい お店のおじちゃん・おばちゃん達がいるからでしょうね。おやつも 貰えるし♪

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※ 未熟者で言葉が足りず辛らつな言葉が出ます。重要性を示すために投稿します。ちょっと考えてみてください。

※ 個人商店・百貨店・商店街の役割・重要性が、この少子高齢化・100年人生・コロナ化で明確になってきた。商売・営業の分担・棲み分けの必要性が見えてきた。これは、価値観とも比例する。

昭和の時代。商店街が、スーパーマーケット・ショッピングモールの役割だった。百貨店は別格である。扱うものが全く違う。商店街の中にないものは、個人商店で住宅街にあちらこちらにチラリホラリあった。酒屋さん・魚屋さん・肉屋さん・床屋さんやクリーニング屋さん、レコード屋さん。商店街の規模も様々。

スーパーマーケットというものを初めて見たのは、4歳だった。時代背景が出るが子供TV番組「ケーキ屋ケンちゃん」のケンちゃんが店舗の移転先のオープニングに来てくれた時は、感動だった。考えると初で生で観るTVアイドルは彼だった。スーパーは百貨店ほどではないけど、凄いものが出来たと子供ながらに感動した。目に星がキラキラで(ノ・ω・)ノオオオォォォ-である。

時は残酷なもので、その輝きは「身近にあって当たり前の存在」として変化した。また、30歳後半くらいまで、商店街は古臭い・時代遅れと思っていた。過去の遺物だと思っていた。

大人になり、目線が変わる。歳を重ねて、細かな個人商店や商店街が何故 あったのか、何故 必要だったのか、気が付いた。

育児中の親御さんのため。高齢者のためにあったのではないか?

愛する子供のために目や手が離せないお母さんたちが、ちょっと足りない物を「エプロン姿」「普段着」で買い足したい時の助け舟。

長距離歩けない高齢者のための助け舟。

そうだったのではないかと、母を介護していた時期を思い出し、重い荷物を持って歩く・途中で休憩中の高齢者の後姿を見た時に、遠い昔になってしまったご近所にあった商店街や個人商店の有難さが身に染みる。(今の住まいの近くに商店街があったことを話すと誰もが驚く。今 その姿は微塵も残っていない。)

大中小の町や町内にあった商店街や個人商店。

コロナ化でシャッターが下りる現代にこそ・・・遠い昔の風景は・・・今も残る商店街は、地元民の心の拠り所であり、助け舟かもしれないと思えてならない。

下記の商店街をはじめ 福岡にある商店街で買い物をするたび、百貨店やショッピングモールとは異なる存在の有難さに身が染みる。

少子高齢化。住環境がどんなに変わっても、百貨店・ショッピングモールとは別に上記の人々が増える中で助け舟になって存在し続けて欲しい。


・過去に、福岡の天神地区(ほんとド真ん中です)にお住いの親子と家族で会ったことがある。次の会話が良い思い出であり心に深く残っている♪

子: 岩田屋のデパ地下にエプロンで買い物に行くんだよ!エプロンは、先方に失礼だからやめてくれといってるんだけど、やめない。困ってます。

母: 昔からエプロンよ!ちょっと 食材で買い足しに行くのに何故お洒落をしなければならないの。ね~ お嬢さん、変よね。主婦で食事の準備で使うのに何故(怒)

この時20代で平成のバブル期、本物は やはり違う!エプロン姿で百貨店へ行く!すご~!!と 猛烈に憧れた。セレブなだけに百貨店にエプロンは驚いた。しかし、この背景は、本当の生活というもの、人として生活することへの勘違いを指摘しているかもしれないと心している。

時と共に生活形態は変化する。しかし・・・何か 大切なことを置き忘れていないか、忘れていないか?と 商店街・百貨店・個人商店で懐かしい風景に遭遇するたびに考えている。