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コンサータ錠18mg日記         6月22日⑥

そこから電気屋に寄って、電気屋のレジのひとが ああいやいやカードがあれば10%オフになるからと言って、カードありません。じゃあ電話番号で。
あるかな。と口にしたら、はい。ありますよ。と10%オフになり、そのとき、ラッキ!とわたしは声に出していて、そしたら、この声の分量ラッキ!と更に思って、ラッキは声にされることで2倍、3倍になった。
そもそもこのところラッキ!と口にするような状況はどこにもなかった。
あってもラッキ!と思えるようになかった。
レジのひとに親切にしてもらってラッキ!と言える今日のわたしはいよいよ
コンサータ錠18mgが効いている。
そうして家に帰り、さきほどの電話の事で、また別のところに電話をして、先方と話すときも、それはそれは楽なのだった。
そもそも電話をこちらからかけるのが、いつもとてもとても億劫で、
1,まず、かけようと思う。
2,けどいややな。いややけど、かけなあかんなと思いつづける  
3,思いつづけるが いっこうに行動に移せない
4,それだけでこころの中に、電話をかけなあかんと思っている部屋ができて、こころの中がいっぱいになっている
5,いよいよ 電話をかける。
この1~5までの間が、いつも存在して、そしていつもこころが狭くてこころがきゅうきゅうになっている。
それが、今日に限っては少しも存在せず、すぐ先方に連絡をとれた。
それから今までは、連絡をするまえに、何を言えばいいのかを、紙に書いて、その紙を見ながら話していた。ああそうか、うまく言葉が出ないので、
何を言えばいいのかも、いつもすぐには出てこないのだった。
いつも、今日までは、そうしていた。おろかに見えていたかもしれないが、そうしていた。
今日は言葉がすらすらとスムーズに出てきた。なにも困らない。
スムーズすぎて怖いくらい、いつもとちがいすぎる。伝える。話す。
おかげで助かっているとお礼を言う。
そうして、先方は、こちらの条件を更に良くした条件を どうですかと言ってくれる。助かる。助かる。お礼を言う。
電話がどれくらい苦痛で苦手で、そして実際にうまくできていなかったんだなということは、今日気がついた。
今日気がついたのは、昨日までのわたしとはもうちがっているからだ。

子どもが帰ってきて今日は習いごとの日で、子どもは少し休んでマンガを読みだして読みだしたら永遠にマンガから目を離さないから、マンガをとりあげて、さあ行こうと習いごとにうながし一緒に家を出る。
子どもを習いごとに送ってすぐ近くにあるスーパーに入って、そこいらに置いてある食品を見ていても もう全ての商品の輪郭がはっきりくっきりして、もう目に映るすべてがちがうのだった。きゅうりとマッシュルームとたまごと鮭とえびと豚ミンチと餃子の皮と子どもがほしいと言ったキシリトールのおかしはなくってパイの実と、その他を買って家に帰っていく。
家に帰って冷蔵庫に仕舞っていくとき、きゅうりと豚ミンチと餃子の皮を買っているのは、数日前にNHKでやっていた、きゅうりと豚の餃子、というメニューをわたしもやってみようと思ったからで、そのことにしみじみおどろく。
これは、まず、今まで全く作ったことのない新しいメニューで、だからそれをしようと思いついて、それをやってみようと思ったこと、思っただけでなく、実際にスーパーのそれぞれの売り場で手に取ったとき、それぞれの売り場で かごに入れたこと、
ここまで そのひとつひとつは些細なようだけど、このひとつひとつの作業を行うことは、昨日までのわたしは ほぼできなくなっていたのだから、それができていることに豚ミンチ直しながら ほんとうにおどろく。
それから、数日前にNHKでやっていた料理番組のこと、そのメニューのことをわたしが わたしの脳がおぼえていたということが ほんとうに信じられないのだった。昨日までは壊滅的にできなかったことが翌日突然できるようになったわたし、その脳は奇跡のよう。

そして、家の中は、昨日までの片づけができなくなってしまったわたしの痕跡そのままに まあ散らかっていて、でも昨日までのわたしは散らかったものが目に入るたび、ああとこころでためいきをつき、落ちこみ、いつか片づけないとと思いながら、何にもできないでいたのに、今のわたしの目に映る
この散らかった部屋は、散らかっているけど、その散らかりに対して自分を責める心が、1mgも表出しない。ただ散らかっている、だけ。それ、だけ。そして床に落ちているたとえばすぐゴミ箱行の、ゴミを手にとって、ゴミ箱にほかす。ほかす。落ちている、手に取る、ほかす。その繰り返しは、
ただ、それだけで済んだ。そうすると、片づける、それはただかんたんな、行為になった。こんなかんたんな行為じゃなかった。行為ひとつに脳が、それに何かもっとふくれた余分をこしらえていたのか、なんなのか。
片づけが、ただただ早く、シャープに過ぎた。捨てるものと捨てないもの。
それらの分類もああこのまま わたしは、あの押入れの紙類のことを考えると、ほんとうに絶望的なきもちで、こころのすきまを一気に疲れさせる。そればっかり、そしてそのことを思うと、もうこの先なんにもいいことがない。と思うような、これは冗談じゃなくてほんとうにおそろしいほどの諦念だったのだけど、今はちがう。
今は散らかってはいるけれど、このシャープな片づけ脳で片づけたなら、
近い将来にはきっと片づくと信じられる脳。
ああ、部屋からして、今は散らかってはいるけれど、このシャープな脳で
片づけたなら、近い将来にはきっと片づくと信じられる脳なのだから、
これは部屋のそとのできごとにも、このように思えるのだろう。
近い将来にはきっとうまくいくと信じられる こころ。

ああ。部屋の散らかりは こころの散らかりだと言うにはいうし聞くには聞くけれど、わたしのこの脳は、ほんとうに、この見通しの立たない、この脳をもって、ほんとうにきょうまで 見通しも立たないのに、たとえば夢を叶えよう。なんて、そんなこんな脳をして よく今日まで生きてきたわたしというこの 外枠のかたまり。



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