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コンサータ錠18mg日記         6月22日④

今から何をするかがわからない。頭にうかばない。
それのため、小さな紙に書いておく。そうするとわかりやすく、
終わったら消す。そうすると次。となる。
だけれど、その紙がどこにいったのかがわからなくなることは日常。
それからその紙をおっことして、おっことしたらいけないようなことが書いてあるのにおっことして、あるいは人ん家に置いてきたりしたらほんとうにいけないことになる。はずかしい。
というか、この特性のひと、他のひとのことはわからないけど、
わたしは生きていることがはずかしくてならず、そして紙ひとつとっても
書いたものをなくして、なくしたことを責めて、責められてしゅんとして
ようやっと紙のこともわすれて暮らしていたある日、その紙がひょっと出てくる。ああ。こんなくり返しを際限なく、波の音が決してとまらないように
芯から再現なくやっていると、そのギャグマンガのような自分のすべてが
今となっては愚かしい。そうして、ギャグマンガの人たちはマンガであるから それを読む読者がああおもしろいとなるのだけれど、誰も人に見られていないことは ほんとうに救いのようなことだけれどギャグマンガを何年も何年も何十年もやっている本人からすると絶望的にさびしい。
↑このような この何十年であったので、コンサータ錠18mg以前のわたし
が書いたメモに書いてあるカーテンを買いに出る。
自転車に乗って進むと、ああやはり視覚がぜんぜん違っている。
進行方向にある信号、その次の信号、またその次の信号、
それらはすべて青で統一されている、その色彩の目に映るさまが、もう圧倒的になんていうのか、ものすごい、整理されている。
この見えかたは、そう言われてみればはじめてではなくて、これは知っている。この見えかたは、フラワーレメディ(フラワーエッセンス)を摂取しているときの視覚と似ていると思う。
この特性のあるひとは フラワーレメディも知っていますか?
お花のエッセンスを摂取して小さな遮光瓶に詰めて売られている。
例えば愛。恐れ。変容。そういう風にひとつの瓶にひとつのテーマがあって、たとえば愛ならばそのエッセンスをとっている間は 愛に関する気づきや愛に関するできごとが起こる。一見関係を破壊するようなできごとがおこるときもある。だけれども、それは再生のために必要な破壊であったりもする。そのようなエッセンス。
レメディーをとると視覚だけでなく立っているときの姿勢が変わることもある。あれ、なにか肩、胸、その辺が開く感じがする。と感じることが多い。
おそらく愛や豊かさというのは身体を内にかがませてうつむいていたら入ってこないのだろうと、そういうとき思ったりもする。
だけれど、わたしの特性はさっき書いた小さな紙ひとつとっても、毎日小さく落ちこみ、内に内にとその身をちぢませてしまう。
コンサータ錠18mgには、身体の姿勢を変えるような作用は今のところは感じられない。
そう考えると逆にお花のエネルギーを身体に取りこむだけで、身体のくせにまで気がつかせるフラワーレメディーって何か逆にすごいなあと思ったりもする。

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