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音楽が受け取れない時

つれづれ音楽雑感 第12回


今回は、振り返りです。

若い頃は、音楽を受け取れない時が多かったのかもしれない。
今はOFFの時間にしよう
クラシックを聴くかと始めても
いつのまにか心配事や後悔が浮かんできて
気が付けば音楽からはぐれていた。

とりわけ、クラシックの大作は入りにくかった。
音楽評論が好きな私は、知っているエピソードを起点に
連想ゲームが始まり(ADHD特性)
いつの間にか、自分の社会不適合に思いが至ってしまう。
次の盛り上がりが待ちきれない時も多い(嵐の予感的表現の時など)
暗い部屋でJAZZを流して
即席のバーを想像してリラクゼーションを試みたり
ハワイアン音楽を再生しながら寝転んで
夕闇迫る南国の浜辺で
のんびり過ごしたいと夢想することもあった。
心が疲れていたのかもな。

補聴器での最後の悪あがきも空しく
ついにCDを聞くのは無理になった時
リサイクル店に出張してもらい
集めたクラシックのCDを10万円ですべて処分した。
クラシックとは決別したはずだったけど。

今、Bluetoothストリーミングと出会って
乾いた砂漠に水が浸みこむように音楽が入ってくる。

ありがたい時代になった。
YouTubeには無料の一流のコンテンツが、一生かかっても聞けない程ある。
最初は、少し焦って探した時期もあったけど
所詮、少しの有限の時間しか残っていない年寄りには意味がない
今は、気楽に、気長に
偶然に出会える音楽を純粋に楽しめるように感じる。
これまでの無駄に過ごした時間も
気持ちの切り替えが下手な私には
必要な時間だったのかもしれないな
無料のコンテンツしか視聴できない
貧乏な難聴老人ですので、
音楽家のみなさん、ただ乗りは大目に見てやってください。


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